製造は代替可能か

もう10年以上も昔の話だから書いてもいいと思うが、米国Apple Computer社が、初の軽量ノート型Macintosh PowerBook 100を発売したとき、実際の製造は日本のSONYが請け負っていた。

そのころ技術者から聞いたのだが、SONYは小型化・軽量化の見地から、Appleの設計部門が出してきた設計図に対し、改良提案をいろいろと出した。しかし、Appleはそれをことごとく却下し、「自分たちの設計どおりに作れ」というスタンスを曲げなかったという。いかにも米国流のエンジニアの態度ではある。つまり製造は設計の下僕である、らしい。いやなら、ソニーではなく別の安価な受託製造会社に作らせれば良いのだ。事実、AppleとSONYのMacでの関係は、PowerBook 100だけで終わった。

ある意味で似たような経験が、じつは私にもないではない。米国企業のプラント建設の仕事を請け負ったときの体験だ。当初の合意では、「バリュー・エンジニアリング」による節約の利益は、顧客と我々エンジニアリング会社が半々でシェアすることになっていた。だから我々は最初、いろいろとアイデアを提案したのだ。しかし、客先と結んだ契約書には事細かに基本設計の仕様が定められており、その中には顧客の膨大な技術標準も含まれていた。れを遵守しないと二重三重のペナルティが課せられることになっていた。

我々の提案のうち、材料や設計を軽減する案は、契約を盾にことごとく退けられた。そして少し余分な設備投資をして、運転費用を軽減する案も、結局当初予算を守るという金科玉条のもとに退けられるのだった。とにかく、彼らの決めた基本設計と技術標準を逸脱することは、決して許さないのだ。計算で根拠を示して「これでも大丈夫でしょ?」と説明しても、『契約書では』の一言につねに舞い戻る。相手との対話はエンジニア同士の会話と言うより、弁護士と話しているみたいに思えた。

どんな基本設計でも完全というものはない。われわれが詳細設計に着手する中で、矛盾に気づいたり、より経済的な案を思いつくことはいくらでもある。それがエンジニアリング会社の価値だ。そのときまで、私はそう信じていた。それなら、なぜ、改善提案を受入れないのか。それは、彼らが「詳細設計以降、調達や建設工事は力仕事であって、誰でも出きるはずのことだ」と信じ切っているからなのだった。もっと言うと、請負エンジニアリング会社が基本設計から逸脱すると、彼らスタッフ自体が評価で罰せられるのだ。

私は、エンジニアリング会社は良い下僕であるし、あるべきだと思っている。少なくとも、海外市場における石油ガス分野においては。この分野ではすでに基本設計と、詳細設計・調達・建設(頭文字をとってEPCと略称する)は分割されている。基本設計完了後は、EPCは原則として入札にかけられる。入札すると言うことは、つまり「誰がやっても同じ(代替可能だから、一番安い下僕を選ぶ」という意味なのだ。代替可能なものは、相応の値段だけで決まる。そこには、本質的な付加価値はない。

同じようなことを、米国の企業は、工場についても考えているらしい。製造は誰がやっても同じだから、安い海外企業に受託生産させる。「誰がやっても同じ」とは、言いかえれば「設計こそ価値の源泉なのだから、そこはいじらせない」という意味だ。ちょうどAppleがPowerBookについて実行したように。その結果として、米国の製造業は空洞化し、もはや、もぬけの殻の状態に近づいている。

その同じ道を歩いているのが日本だ。そうでなければ、あの「中国生産移転ラッシュ」は何だろうか。製造機能は代替可能だから、人件費の安い海外にシフトすればいいと、本社にいる頭のいい人達がみな信じた結果ではなかったか。

ところで、本当に製造は代替可能な仕事なのだろうか。そこには何の付加価値もないのだろうか。

技術の本質は、誰がやっても同じ結果になるようなプロセスを作りあげることにある。そういう意味では、日本の製造技術のレベルがきわめて高くなったために、代替可能性が高まったのだと、言えなくはない。だとしたら、日本の生産技術者達は、明らかに自分たちが不要になるように、一所懸命に努力をしてきたことになる。

だが、製造作業自体はともかく、生産マネジメントも代替可能だろうか。「製品という名のシステム、工場という名のシステム」でも書いたとおり、工場とは一個のシステムである。システムは、動的特性が身上である。工場が未来永劫、同じ製品を作りつづければいいのなら、そこには何の「改良」の余地もない。しかし、現実は、製品も変わり、原材料も変わり、環境も法規制もかわり続ける。その中で、真に適応能力を出せるかどうか、それが工場システムの動的特性の一番大切な部分だ。

たとえば、あのトヨタが自動車の製造を単に外部の工場に委託して、自分はファブレス・メーカーになることがありうるか、ちょっと想像してみるといい。「トヨタ生産方式」の生み出した原価低減の魔術を捨てて、ただ人件費の安いだけの会社に生産移転するかどうか。賭けてもいいが、彼らは決して製造が代替可能だとは思っていないに違いない。

もっとも、トヨタ自動車は生産企画部出身の社長が出る、数少ない会社だ。日本の製造業では例外的に珍しいといってもいい。ウソだと思うなら、あなたの会社の役員に、生産管理出身の重役が何人いるか数えて見ると良い。営業畑や財務や研究開発など、生産現場を知らない役員から見たら、工場は代替可能にみえても不思議ではない。

昨今、製造業の「日本回帰」が見られはじめているという。海外生産の失敗には、いくつか教訓があるはずだ。その中の一つが、「製造にも大事な価値がある」という教訓であることを、私は心から願っている。
by Tomoichi_Sato | 2006-01-12 23:27 | ビジネス | Comments(0)
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