マネジメントの仕事・地位・パワーを混同してはいけない

ある朝、目が覚めると、あなたはノルウェー国王になっていた。いったいどうしてこんな事になったのか。あなたは自分の名前も、生まれ育った日本の町も経歴も、全部ちゃんと覚えている。なのに、ノルウェー国王になったつい最近のいきさつだけは、すっぽりと記憶から落ちている。

呆然としながらも身支度を終え、質素ながらも立派な朝食を食べて人心地ついたあなたの前に、宰相がやってくる。彼は礼儀正しくあなたに挨拶をすると、いくつかの紙の束を取り出して、あなたの前に置く。「国王陛下。これが本日、発布いただきたい法律と政令です。どうか、ご署名ください。」

念のために言っておくと、北欧の国ノルウェーは、完全な民主主義国家である。法律は国民の選出した議員が国会で決める。だが、すべての法令は、国王の名前で公布するしきたりになっているときく。宰相があなたにサインを求めてきたのは、そのためである。あなたの前には、法令書類一式と、国王用の立派なペンが置かれている。

さて、ここで問題である。あなたは、法案にサインして交付することにした。あなたのしている事は、マネジメントだろうか?

・・これは、わたしが大学の授業でプロジェクト・マネジメントを教える際に、学生に問いかける質問の一つである。プロジェクト・マネジメントの講義であるから、最初はまず、プロジェクトとは何か、そしてマネジメントとは何か、について、簡単にレクチャーするところからはじめる。プロジェクトとは、(1)終わりのある仕事であり、(2)複数の人間が協力する必要があり、(3)失敗のリスクがともなうような種類の仕事である、とまず説明する(これはPMBOK Guideの”A project is an endeavoir …"という抽象的な定義を、わかりやすく言いかえたものだ)。

ついで、マネジメントとは多義語だが、その中核にある原義は、

 「人に働いてもらって、目的を達成する事」

だと教える。人を動かすことがマネジメントであって、自分の手を動かして何かを産出することは、(それ自体は尊い仕事だが)マネジメントとはよばない。

他に二つ、マネジメントとして大事な要件がある。それは、先読みとリスクテークを含む「決断」を必要とすることだ。不確実な状況下で決断しない人、決断できない人、先延ばしにする人は、マネジメントに向かない。また、計画を立て、現実との差異から学ぶことも、マネジメントに必須の仕事だ。 計画立案と現実の統率は「マネジメント」の車の両輪である 。だから、

「人を動かせない・決めない・見通せない・学ばない上司やボスに、皆さん方は将来、出会うかもしれません。だが、その人がたとえ立派な役職についていようとも、そういう人の仕事ぶりは『マネジメント』からはほど遠いというべきです」

という話をしてから、上記の質問をするのである。ある朝気がつくと、あなたはノルウェー国王になっていた。さて、法案にサインし交付するあなたの仕事は、マネジメントか? と。

こういう聞き方をすると、マネジメントではないと思います、と答える学生がほとんどだ。なぜ? とわたしは聞き返してみる。たいがいは、こう答える。
「だって、人を動かしている訳でもないし、自分で決断している訳でもないでしょう。」

でも念のため、わたしは意地悪く質問を重ねる。・・そうかなあ。法律を定めたっていうことは、ノルウェーのすべての人がそれにしたがって動くということじゃない? つまり、人を動かしている訳だ。それにあなたは、自分の意志でペンを取って、サインすると決めたんでしょ?

「でも、法案にサインしない、っていう選択肢はないんだとしたら、それは決断とは言えないと思います」

その通りだ。ノルウェー国王には、こんな法案は気に入らないから、別のものを持ってこい、と議会に命じる権限はない。拒否権はないのだ。それに、法律が人を動かすのは事実としても、それは国王が意図した目的のために作られる訳でもない。だから「人を動かして目的を達する」ことにはならない。

念のためにいうと、ノルウェー国王は、元首である。国内で、彼(彼女)よりも偉い人はいない。人々の上に立つ、トップリーダーだ。だが、人の上に立つということと、マネジメントをする事とは、まったく別である。この単純な事実を理解してもらいたくて、わたしはこんな変な質問を学生にするのだ。

というのは、「管理職の地位に就く」ことと、「マネジメントの仕事をしている」ことを、人はしばしば混同するからだ。何らかの地位にあるのは、英語で言えば to be 〜である。しかし、マネジメントをするのは、英語なら to do 〜だ。イコールにはならない。

さらにいうなら、マネジメントは、管理職になるよりずっと前から、たいていの人に必要となる仕事なのである。「人に働いてもらって目的を達成すること」である以上、入社後まださほど年数もたたない若手技術者が、仕様書を書いて外注先に発注し、仕事をしてもらったら、明らかにこの人はマネジメントをしている訳である。あるいは、同僚や先輩の協力を得て店を決め、得意先との楽しい飲み会をセットし幹事の仕事を全うできたら、マネジメントの初歩をしているのだ。いや極端に言えば、朝の食卓でお母さんに「そこのお塩とって」と頼んで、お塩をとってもらったら、その瞬間は母親をマネジメントしたのだ。

もっとも、「立っている者は親でも使え」の諺にしたがって、母親にお塩とってと頼んだら、「何いってるの、あんたが自分でとりなさいよ、この不精者!」と逆襲される可能性は多々ある。あなたには、母親を動かす『強制力』がないからである。上長はふつう、部下に命じて動かす強制力を持っている。なぜなら上司には、部下の査定と予算承認の権限があるからだ。部下が著しく不従順ならば、査定で給料を抑えたり他部門に飛ばしたりすることも可能だ。発注書だって管理職の判子がなければ普通は効力を持たない。

こうした強制力のことを、英語ではパワー(Power)とよぶ。いいかえれば、『権力』である。管理職は部下に対する権力を持っている。とくにアメリカ英語は簡潔かつ即物的だから、権力を持つ人のことをパワフル(Powerful)だと表現する。かつて黒人女性としてはじめて国務長官の地位に就いたライス女史のことを、有名誌が「世界で最もパワフルな女性」と表現したが、これは単に彼女がエネルギッシュであることを述べただけではない。実際に世界で(米国大統領を除けば)もっとも権力を持っていて、他国を否が応でも動かせる立場にいることを意味したのである。

さて、世の中のたいていの組織は、地位についてピラミッド型の階層構造を持っている。どうしてこういう形の組織が生まれるのか、本当にこうした位階秩序は合理的なのか。この問題については、ノーベル賞を受賞した経営学者ハーバート・サイモンをはじめ、多くの研究と説明があるが、ここでは省こう。ともかく、上に行けば行くほど椅子の数は少なく、職位が上の方が名誉も大きいとされている。人間には生まれ持った競争心があるから、組織人はつねに、上に行きたいという気持ちを抱いて働くことになる。

昇進への欲望をモチベーションにして、人を働かせるという方策は、たいへん良くできた仕掛けであって、これまで十分な効果をあちこちで示してきた。昇進もなく、将来への希望も全くない職場だと、どれくらい仕事の質や効率が落ちるか、容易に想像できると思う。

しかし、このような仕掛けには、まずい点が一つある。それは、地位・権力(=パワー)と、「人を動かし、見通しを持って計画し決断して、目的を達成していく」仕事(=マネジメント)とが、混同されやすい点である。くどいようだが、地位・権力は、"to be" とか "to have” で表現するもので、マネジメントは “to do”で語るべきものだ。

だが、管理職という地位・権限と、マネジメントという職能を等号で結びつけてしまったがゆえに、
「マネジメントは管理職がするもの」
「管理職だからマネジメントしているはず」
「自分は技術者だから(管理職じゃないから)マネジメントは関係ない」
といった誤解と錯覚が、あちこちで無限に増殖していく。

マネジメントは一種の専門的な技量であり、それをきちんと行うためには専門的技術(「管理技術」)を学ぶ必要がある、というような認識は、出世街道とピラミッドからなる組織図からは生まれにくい。まして、「プロジェクト・マネージャーとは、マネジメントという仕事を専任で引き受ける、一種の『役割』(Role)である」という概念など、非常に縁遠くなる。

プロマネとは一時的な(=有期性の)役割である、というのは、現代PM理論の世界では常識的な概念だ。ちょうど演劇で、今回の芝居ではこの人が国王役、と決めるように、そのたびごとに決める役割である。そして、いったん役割が決まったら、たとえそのプロマネが自分より年下であろうが、技術的には自分の方がずっと知識があろうが、最終的にはプロマネの計画や判断に従って動いていく(むろん、途中で意見のやりとりはあるだろう、当然だが)。なんとなれば、プロジェクトの最終的成果、価値への責任はプロマネが負っているからだ。責任を負うから、権限も委ねる。「権限=責任」の等式の両辺は一致させる。そのかわり、マネジメントのための管理技術の体系を学ばせる。これがまあ、現代流の(あるいは西洋流の)PM理論の考え方である。

ここでは、マネジメントをする「個人」と「ポジション」と「管理技術」が、それぞれ独立している(DB技術風にいうと、独立したエンティティになっている)。ところが、出世街道ピラミッド型の組織論で、すべてのマネジメントをまわそうとすると、
「優秀な個人」←→「上の立場・権力」←→「マネジメントの仕事」
という風に、ひとつながりになってしまう。

ここからさらに派生して、「部下を動かすのが上司の権限」=部下を不合理にいじめて上司風を吹かせるのも有能なる自分の特権の一部、と合点するパワハラ不心得者さえ、一定数、出現する。

ピラミッド型組織で、このような不都合を防ぐには、どうしたら良いのか。解決策は、二つある。一つは、管理職位ごとに、きちんと細かくルールを設定することだ。どういう人間ならばその職位につけるのかという、能力による品質基準(Qualification)。その職位がなすべき機能と権限の範囲。そして機能が要求する技術・知識・スキル。こうしたことを、個別に設定する。これを、ガバナンスとよぶ。

ただし、この処方箋の困難な点は、社内ルールを制定する権限もまた、上位職者が握っていることだ。だから「マネジメントには独立した管理技術がある」なんて意識がこれっぽっちもない方々が経営層に多い場合、こうしたルール制定は不可能だろう(そんなルールを敷いたら、まず自分たちが真っ先に不適格になってしまう)。本当は株主がガバナンスを要求すべきなのだ。だが、利益が出て株価が高ければ、あとは興味のない株主も多い。

もう一つの方策は? それは、「外を見る」ことである。自社のありようは自社のありようとして、外ではどうなっているのか。目前のライバルだけでなく、広く視野を世界に求めて、世の中ではどうしているのかを、学ぶ。これは日本企業が、これまで以上に海外と接するようになった今日、むしろ日々得られる体験でもある。

その昔、咸臨丸にのって米国を視察してきた勝海舟に、江戸城で幕府の重役がたずねた。かの米国と我が国の違いは何かと。海舟は、人間のすること古今東西同じもので、アメリカとて別に変わったことはありません、と答える。しかしそれでも何かの違いはあるであろう、と繰り返したずねた重役に対し、
「さよう、少し眼につきましたのはアメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つものは、皆その地位相応に利口でございます。この点ばかりは、全くわが国と反対のように思いまする」
と答えた。するとご老中が目を丸くして、「この無礼もの。控えおろう!」と怒鳴ったという(「氷川清話」による)。

わたし達は勝海舟ほど剛胆ではあるまい。だが、米国の実情が彼のいう通りかどうかはともかく、他者を見て改めて我を振り返る、というのはわたし達に共通した特性である。勝自身、さまざまな身分の浮沈をくりかえし経験した人間であった。だからこそ彼には、地位と職務の違いが見えていたのである。

追記:
e0058447_18202730.jpg

ネットで検索すると、現在のノルウェー国王ハーラル5世は、この方である。Wikipediaによれば、なんでもノルウェー生まれの国王は、500年ぶりらしい。ときには自国の言葉もしゃべれない他所者を国王に招いたりするヨーロッパの人たちの王室感覚というのは、よく分からないものである。国王というのも、あるいは一種の『役割』なのだろうか・・?
by Tomoichi_Sato | 2016-08-11 18:21 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)
<< 職人的であること、エンジニアで... 書評:「アルベマス」 フィリッ... >>