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マネジメントとリーダーシップはどう違うか

大学でプロジェクト・マネジメントを週1回教えていることは前にも書いたが、授業は毎回必ず、前回の復習と、学生から出た質問への答えからはじめることにしている。出席シートに質問欄を設けて、そこに気になったことへの質問をかいてもらうのだ。むろん授業でも最後に「質問は?」ときくのだが、だいたいの学生はなぜかその場では質問せずに、紙に書いてくる。

いろいろ出た質問の中から、いつも「本日のBest Question」を選出し、その質問者の名前を明示してほめることにしている。良い質問を考えることは、単に回答を考えるよりも、ずっと価値があるからだ。一般に、マネジメントの問題には正解がない。正解がない中で、自分で考えて決めていかなくてはならない。これは、たくさんの正解を覚えてどれだけ早く答えるかを競ってきた東大みたいなところでは、とくに大切だ。

さて、「マネジメントとは何か」という授業をやった後で、面白い質問があった。印象に残っているので、ここに引用させてもらおう。(以下引用)

Managementの再現性の取れなさ、うさんくささがずっと気になっています。『君にもできるプログラミング』と『君にもできるプロジェクト・マネジメント』という2冊のタイトルを並べてみると、後者の本に頼りなさを感じます。どうして理論が組み立てられているのに、現実の組織はこんなにもうまく機能せず、有能なリーダーはこんなにも稀なのでしょうか? (引用終わり)

とても立派な質問である。本日のBest Question賞にふさわしい内容だ。皆さんなら、どう答えられるだろうか? わたしの答えを読む前に、ちょっとだけ考えてみていただきたい。

わたしが話したのは、こんな内容だった:

「能力には一般に、確定的な能力と確率的な能力があります。成果が確実なものと、成果が環境その他の条件に左右されやすいもの、といってもいいでしょう。プログラミングというのは、前者に属します。知識を得て、一度できるようになったことは、次も必ずできる。ところが、マネジメントというのはそうではない。

それはたとえば、『航海術』というタイトルの本を考えてみれば分かりやすいと思います。教科書を読んで知識を得たからといって、つねに無事に航海できるとは限らない。天候、海象、航路、同乗する乗組員のスキル、船の状態など、さまざまな要因によって左右されます。たとえ同じ路線だろうと、まったく同じ行路をたどることはないでしょう。

では航海術などという本は役に立たないか? そんなことはない。船を操るためには、船の構造、操舵、エンジンの仕組み、海洋の物理、気象、地理と海図の読み方などなど、知るべき航海術の基本がいろいろあります。小さなボートなら、見よう見まねでもなんとかなる。だがちゃんとした大きさの船になったら、センスと勘だけでは正しく動きません。プロジェクト・マネジメントも同じです。」

さて。後半の「有能なリーダーはこんなにも稀なのでしょうか」という質問には、ちょっと注意が必要だ。この質問は、「有能なマネージャーはこんなにも稀なのでしょうか」ではないからだ。マネジメントをする人をマネージャーと呼ぶ。マネージャーが無能なのは、無能な船長が航海術の基本を知らないのと同じで、たぶんマネジメントの基本を知らないのだ。マネジメントは、学ぶことのできる能力だからだ。

だが、リーダーシップは能力だろうか?

『リーダーシップ』は多義語で、経営学でも定義はまちまち、確定した共通定義はない。ただ、リーダーはふつう、同種の人間集団の中から現れ、リーダーシップとは同格の仲間を導くことをいう。

たとえば、少年野球チームのキャプテンは、リーダーである。そして監督がマネージャーだ。リーダー(キャプテン)はいろいろなことを提案したり決めたりするだろう。そして仲間を引っ張るだろう。ところで最終的な指令権も責任も、監督の方にあるのだ。あるいは、オーケストラでいえば、コンサート・マスター(しばしば第一ヴァイオリンの主席奏者)がリーダーで、指揮者がマネージャーである。自主運営面では、コン・マスが皆を引っ張るだろう。しかし演奏では指揮棒に従うのだ。

マネジメントでは、会社の上司部下の関係を思えば分かるとおり、命令が出たら下は従わざるを得ない。もし命令に従わなかったら、懲戒とか減俸とか、あるいはクビを覚悟しなければならない。つまり、マネージャーは部下に対して強制力があるのだ。

ところがリーダーシップの特徴は、フォローする側が主体的に従う点である。チーム員がキャプテンに従うのは、従わないと後が怖いからというより、そうした方が良いと自分で思うからだ。つまり、リーダーが発揮するのは影響力なのである。だが、影響力というのは、能力なのか? 他人が、自主的に判断する結果を、左右できる「能力」というのは、なんだか自己撞着ではないか。

マネジメントとリーダーシップには、もう一つ重要な相違点がある。マネジメントは「システム化」できることだ。ISO-QMSの「品質マネジメントシステム」を見ればよく分かる。ISO9000を好きか嫌いかはさておき、あれが一つの体系(システム)であることに異論を持つ人はいないだろう。そして、このような「システム」は、それに関わる大勢の人たちを組み入れ、いわば束縛する。品質マネジメントシステムは、決して品質管理責任者だけの仕事ではない。

同じように、プロジェクト・マネジメントのパフォーマンスも、決してプロマネ一個人だけで決まるものではない。プロジェクト・マネジメントは組織の能力なのである。組織の中に、どれだけ標準的手順が整備され、ツールが構築され、過去のデータベースが蓄積されているかで、プロジェクトの成否は大きく変わる。

ところが、リーダーシップは基本的に個人に属するもので、「システム化」はそぐわない。

このように見てくると、マネジメントとリーダーシップは、似たような概念のように見えても、じつは随分と違う種類のものだと分かるだろう。異なるレイヤーに属するといってもいい。

ただ、そこには共通するものがある(そうでなければ、両者がしばしば一緒にされる訳がない)。それは、「人を動かす」という部分である。マネジメントも多義語だが、その中核ないし原義は「人に働いてもらって目的を達すること」だ。そしてリーダーシップも、行き先を仲間に示して導くことであり、人を動かす点が共通している。その力の源泉が、強制力なのか影響力なのかが違うのである。むろん、アメと鞭の強制力だけは誰にとっても鬱陶しいから、マネージャーもリーダーシップ的な影響力の行使を期待されるのだろう。図にすると、こんな感じだ。
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ところで、マネジメントとリーダーシップを調べたり論じたりする際に、注意すべき事がある。それは、米国ではマネジメントよりもリーダーシップの方が、ずっと高尚でポジティブに受け取られる傾向が強い点だ。だから米国では、「マネージャーであるより、リーダーであれ」といったたぐいの警句や格言が、とても多い。「リーダーは方向性を示す。マネージャーは示された方向性を実現するだけ。」とか、とにかくこの種の言い方はきりがないほど氾濫している。

米国以外の、英国を含む欧州ではあまりこうした傾向が強くないところを見ると、どうやら、これは米国特有の、文化的なバイアスらしい。これがなぜ生まれたのかは、わたしには定かではない。ただ、米国の経営学は世界で指導的地位にあるから(つまり「リーダー」だから)、その「影響力」は他の国の経営学にも時々見られる。とくに、米国からの学問成果の直輸入を尊ぶ国で、それは著しい。

もう一つ。マネジメントは、基本的にマネージャーが第一に持つべき職能である。ところが、リーダーシップは、必ずしもリーダーだけが体現すべきものではない。リーダーシップ概念が多義語ながらも包含しているもののなかには、
・自発的な強い意思を持つ
・他者を動かし、世界を変えられると信じる
・ゴール地点を決めて人を導く
といった思考と行動の習慣がある。

こうした部分は確かに有益だし、それはリーダーの地位にいなくても、いや、集団を構成する全員が、身につけるべきことだとも言えるだろう。自主性を持つこと、変化への意思を持つこと、人を動かす能力を持つことは、生きていく上で誰にも必須のスキルだからだ。とくに、市場経済も企業組織も巨大化し二極分化が進む今日、「その他大勢」として生きる我々にとって、とても重要だ。マネジメント能力がいわば航海術だとすれば、人々のリーダーシップはエンジンなのだ。風雨の激しいときは、しっかりしたエンジンが必要である。

では、そのようなリーダーシップを、教え育てることはできるのか? わたしはできると思うし、本当は初等教育の時から必要だと思う。それも、すべての人に対して必要だろう。世間では、リーダーシップ教育は、傑出したリーダー候補だけに授ける「帝王学」みたいな意味づけをしがちだが、それは違うと思う。(まあ、「世の中には生まれつき少数の優秀な人間と、命じられて動くだけの多数の馬鹿がいる」、という信念の人は同意するまいが)

ただし、リーダーシップのトレーニングは、知識伝授的な教育ではむずかしい。知的能力だけの問題ではないからだ。また、点数付けによるランキングにもなじまないだろう。つまり、今の学校教育(≒受験教育)の枠組みにははまりきれない、ということだ。

では、どこで、誰がやるのか。それは公的な教育システムの外側、共同体とか、私塾とか、そして社会の組織の中でやるしかない。リーダーシップはソフトスキルの典型であり、その育成には手間と時間がかかる。

でも、通常は組織の中のフォロワーの立場にいても、全員がきちんとリーダーシップを持ち、いざというときはリーダーにかわってチームを引っ張れるようなチームこそ、本当に高いパフォーマンスを出せる組織だろう。そういう場所では成員は、決して無責任な決断も発言もしないだろう。つねに「自分がリーダーだったら」という視点で考えることができるからだ。スーパーリーダーがその他大勢を動かす組織よりも、各人が自律的に動ける組織こそ、わたし達の組織文化にフィットするのではないかと、わたしは思うのである。


<関連エントリ>
 →「新任リーダー学・超入門(2) マネジメントとリーダーシップというコトバに気をつけよう!」(2011-06-13)
 →「リーダーシップを浪費する組織」 (2012-12-16)
by Tomoichi_Sato | 2016-01-25 23:57 | ビジネス | Comments(3)
Commented by poe0208 at 2016-01-27 20:21
なぜにかはらへって、困ってます  。
つきばらいいわゆるツケで、出前とらんと・・・すみません
たまには、あそびにきてください。
Commented at 2016-01-27 20:53
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2016-01-27 21:55
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