変わりたいですか?

変わりたい、と思ったことはおありだろうか? 今の自分から脱皮したい、殻を割って変わりたい、“あの人は変わったね”と他者からいわれたい、と切実に思ったことは?——わたし自身は、もちろん何度もある。年の初めにあたって、今年こそは、と決心したことも一度や二度ではない。もしかしたら、新年にあたり、同じような抱負や希望を考えた人も多いのではないかと思う。

では、「あの人は変わったな」と感じた経験はあるだろうか? 他人を見て、ああ、あの人は以前と比べて随分変わった、そんな風に思ったことは? その場合、ふつうは外見とか職位とかの変化ではなく、内面やふるまい方のちがいを指すはずだ。髪型を変え新しい衣服を着たって、あるいは新しい名刺を振り回したって、それで他人から変わったと思われることは少ない。むしろ、話す内容が変わったとか、ふるまい方が随分ちがうとか、そうしたときに人は変化を感じる。

もちろん、「あの人は変わったな」にも裏表の両面がある。良い変わり方と、まずい方への変化だ。「アイツも変わっちまったなあ」には、あまり感心しない響きがある。でも、「アイツは変わったなあ、見ちがえたよ」なら、良い変化に違いない。だれだって、良い方に変化したい。

それはつまり、成長したい、ということだ。

昨年の秋に久しぶりに上梓した新著は、『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』という、まあそれなりに気宇広大な、というかちょっと大げさな(笑)タイトルがついている。このタイトルは出版社からいただいたもので、執筆の段階では、副題にある『チャレンジのOS』という仮のタイトルで呼んでいた。プロジェクト・マネジメントでは、知識(コンテンツ)や技法(アプリケーション)なども大切だが、その底にある思考体系や行動習慣(OS)のレイヤーが一番重要だ、という考えを多くの方に伝えたかったからだ。

人が成長するには、新しいことにチャレンジしなければならない。チャレンジだから、成功することもあるが失敗の可能性もある。しかし失敗を怖れ、守りに入るだけでは、人は成長できない。ちょうど、スキーやスケートは、転ばずには上達できないように。

絶対転ばないためには、滑らないことだ。滑らなければ、うまくなるわけはない。だから、転ぶことを覚悟で滑ってみるしかない。ただ、へたに転ぶと怪我をする危険がある。だから、スキーやスケートでは、最初に安全な転び方を徹底的に教える。そして転んだら、なぜ転んだのか、どんなときに転びやすいかを考える。これがスキーやスケートを学ぶための「OS」の大事な一部である。

成長とは、能力を得ることである。できなかったことが、できるようになる(できる確率が上がる)ときに、人は成長を実感する。では、成長するためのカギとは何か。小さな子どもは、放っておいても無我夢中で成長する力がある。なのに大人になると、その勢いが薄れる。ならば、大人にとっての『成長ホルモン』とは何なのか。

ついでにいうと、わたし自身はもう、けっこういい歳にもなったので、部下や後輩の成長にも同じくらいの関心を持たねばならない立場だ。そこで必須なものは何なのか?

これに関して、新著を出す半年ほど前になるが、ある方からメールで質問をいただいたことがある。その方は職場における育成について研究をしておられ、たまたまこのサイトに2年前に書いた「プロジェクト・マネジメントの教育について」(2014-01-27)をよんでメールを寄せられた。質問は、「『入職後、人が成長する』ということの定義をどうすればよいのか、『自分でふり返ってみて《成長した》と思えること』とは、いったい何を見ているのでしょうか?」というものだった。そこで、ふりかえりをかねて、その時に書いた返事を、少し長くなるが引用してみたい。

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メールどうもありがとうございます。拙サイト、楽しんでよんでいただければ何よりです。

さて、ご質問の件ですが、成長という言葉は、「成長ホルモン」に代表されるように、非常に幅広い分野で様々に使われています。したがっておっしゃるように、研究を進められる際には『成長』なる語で何を意味しているか、明確にする必要があります。

わたしの場合、サイトにも書きましたように、成長とは能力を増大することだと考えています。今ある能力を伸ばすこと、あるいは新しい能力を獲得すること、です。

では『能力』とは何か。能力とは、「意識・無意識に期待された成果を、繰り返し達成できる度合い(または成功の確率)で測られる」、と定義しています。能力の中には数学的能力のように確定的で、つねに再現可能なものもありますが、確率的なものもあります。

たとえば昨日はヒットを打てた。今日の試合では打てなかったけれど、今シーズンを通せば2割5分の打率になっている。これが今の能力です。昨シーズンは1割9分だった。だから自分は能力が高まり、成長したと言えるわけです。あるいは、これまでホームランを一度も打てなかった人が、はじめてホームランを飛ばした。これも成長かもしれません(まぐれ当たり、という可能性もありますが)。

もう少し堅苦しくいうと、能力とは、ある資源の状態(比較的長期的・永続的な状態)を表します。その資源を構成する諸要素資源の組織化の度合いと、それを動かす制御系統の働きが、目的に合致して整合的かつ緊密である状態を示します。また、その状態がつねに維持保守され新陳代謝・再生されていることも補足的条件です。こう定義すると、チームや組織としての能力も考えることができます。ちなみにHuman resourceという言葉があるように、人間は典型的な資源の一種です(経営工学的には)。

個人の能力を構成する要素としては、知識・感覚(センス)・身体的スキル・創造性などがあります。一人前のプロフェッショナルには、このいずれもが必要なことはおわかりでしょう。またこれ以外に、個人の能力を向上する手立てとして、「技術」があります(ツールやシステムは技術に属します)。通常、これらの要素は組み合わさっており、たとえば医師ならば「内視鏡という技術と、それを使いこなすスキル、そして検査に関する知識」がバランスして、はじめて能力が発揮されます。そうなることで『成長』が実感できるのです。

そして、他者の能力を高める方法として、知識の伝達と、技術の移転があります。ちなみに知識は、さらに辞書的知識と経験知に分けることもできます。この中で、他者が言語的に伝達可能なのは辞書的知識だけです。これ以外の要素であるセンスやスキルや創造性は、自分で主体的に獲得するしかありません。ですから、あとは環境と練習台を提供して、自発的に『学ぶ』ことを助けるしかありません。そのためにプログラムや場や報酬系が必要なことは、サイトに書いたとおりです。

というわけで教育では、教える側の努力と、育つ側の「学ぶ力」のかけ算によって、成立します。ただ、一点注意すべき事は、職場では先輩の側が、たとえ職務面では高い能力を持っていたとしても、「教える能力」がないと、ちゃんと伝わらない点です。わたしはエンジニアですが、技術訓練は受けたものの、「教える能力」の訓練は受けた記憶がありません。ここがボトルネックになって、育成がうまく進まないケースは、案外多いのではないかと思っています。

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相手が研究をされている方だったので、つい理屈っぽくカッコつけて書いてしまったきらいはあるが、いいたいことは二つである。
「成長とは自分の能力、すなわち成果の達成度合いが高くなること」
「他者を育成するには、知識の伝達と技術の移転が必要だが、とくに後者は学ぶ側の主体性が大切」

である以上、自分が変わりたい・成長したいと願うなら、誰かによって「変えてくれる・育成してくれる」と受動的に白馬の王子の助けを待っているだけでは、決して実現しないわけだ。同様に、何か知識を「知る」だけでは変われないことが分かる。知ったらそれを、練習し試してみる場が必要なのだ。この『』というのは、空間的な場所の意味もあるが、むしろ励まし合う仲間とか環境という面が大きい。転んでも助け起こしてくれる、そういう場である。

以前書いた記事を補足しまとめると、自分が成長するためには、以下の7つのことが必須であるとわかる。

1 優れた先生につく、あるいは良い手本やロールモデル(なりたい姿)を見つける
2 学ぶための姿勢や習慣を身につける(=チャレンジのOS)
3 対象とする専門能力について、基本的な原理原則の知識を得る
4 繰り返し練習し、あるいは真剣勝負にチャレンジする
5 自分の経験(失敗を含む)から学ぶ
6 互いに応援しあう仲間と良い環境を得る
7 学びの途中で、まだ成果の出ない自分を支える、報奨系を持つ

まあ、世にある道場とか運動部とかは、こうしたことを無意識に知っていて、サポートする仕組みなのだろう。ただ、そうした場も、競争意識が強すぎたり精神主義になりすぎたりすると、十分には機能しなくなる。

ひるがえって、企業の場はどうか?

一番むずかしいのは、4の練習の場を提供することだろう。練習には、失敗がつきものである。だがOJTと称して、実地の場しか与えないと、仕事で失敗させることができなくなる。失敗する前に先輩や上司が手を出してしまうか、ないしは失敗しそうな仕事はそもそも任せなくなるか、二つに一つだ。そうでなくとも、OJTではちょうど良い機会に、ちょうど育成に向いた仕事が来るとは限らない。

わたしが、自分の主宰する「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」で、新しくPMの自己育成のためのツールを共同で作ろう、と発案したのはこのためである。プロジェクトの状況を把握・分析し、その評価・シミュレーションを行い、自分の決断を複数人との協業の中で検証できるツール。まだ漠然とした構想の段階でしかないが、こうした道具立てと場を、研究部会で持てたらいいと思うのだ。

これまで、研究部会では外部講師を招いて、ためになる知識を勉強してきた。それはそれで大事だから続けていくが、もっと参加者にとって実質的な、実になること、成長のきっかけになれること——そんな機会を少しでも提供できる場にしたいと思う。

・・これが今年の、わたしの抱負の一つなのでした。


<関連エントリ>
 →「プロジェクト・マネジメントの教育について」(2014-01-27)
by Tomoichi_Sato | 2016-01-04 11:36 | ビジネス | Comments(0)
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