ハラールとは何か、何ではないのか

結婚して間もない頃、米国の留学生寮に1年近くすんでいたことがある。主にアジア太平洋地域の各国から来た留学生や、米国の遠くの州から来た若者が一緒にすみ、キッチンは共同だった。独身者と、子どものいないカップルが10数組ずつ、キッチンをシェアする。お互い顔見知りになるから、ときどき招待し合って一緒に食事したり、あるいは学期試験の終わったころにはキッチン全員が持ち寄りパーティを開いたりする。そういうときには、近くの同じスーパーから食材を買ってきているはずなのに、ものすごくバラエティの大きな各国料理がそろい、楽しかった。

仲間の中には、パキスタンからきたイスラム教徒、インドやネパールのヒンズー教徒、タイやスリランカの上座部仏教徒もいる。だから、お互いの食物のルールなどにも気を遣いながら、一緒につくったり食べたりした。ヒンズー教徒の夫婦は厳格な菜食主義で、鰹節のだし汁も使えない。だから昆布でだしを取った。そのかわりお酒はOK。ところがパキスタン人の夫婦になると、ムスリムなのでお酒は御法度。それどころか、料理に使うみりん(英語ではSweetening wineになる)もダメ。日本料理は醤油+みりん(あるいは酒と砂糖)で甘辛に味付けするものが多い。だから味のバランスをとるにに苦心した。できあがったら、一緒にジュースで乾杯した。

ハラールという言葉が注目されるようになったのは、最近のことだ。イスラム教徒の許容する食事に関して、人々が関心を持つようになったのは、2020年の東京オリンピックで大勢の外国客を迎え入れる予定だからだろう。その際、観光業や飲食業は、なるべく多くのお客様を受け入れたい。そこでにわかに勉強しなくては、となった次第らしい。

念のために書いておくと、わたしはイスラム教徒ではない。だからHalal(ハラール)とは何かについて、書く資格は本当はない。ただ中東・イスラム諸国で多少仕事をし、またイスラム教徒の知人・友人も何人かいる者として、これまで学び、気をつけてきたことについて多少書いてみたい。

「ハラール・フード」という言葉に代表されるように、これはイスラムで認められる食べ物に関する、規則ないし規格だと思っている人は多い。しかし医薬品にも、化粧品にもハラールはある。人が経口ないし皮膚経由で何かを体内に取り込む時に、何が許されるかを判断する基準なのである。その基準になるのはイスラム法(シャリーア)であるが、元々そこに明文規定されていない物事もあるため、基準が必要になるのだ。

ハラールの基準について、今日一番厳密な規定を国家レベルで制定しているのは、中東諸国ではなく、東南アジアの国・マレーシアである。これは、華人が多くすむ地域なので、(あとで述べるように)禁忌とすべき豚肉などが広く流通し、生活圏の中でコンタミネーション(汚濁)の心配が高いからだ。逆に、中東諸国、たとえばサウジアラビアなどでは、そもそもハラールな食品しか原則として流通していない。だからあまり神経質な基準が必要とされなかった、という事情がある。

そのマレーシアの国家規格を読むと、ハラールについてかなり細かく規定しているが、大事な点は「何が許されるか」よりも「何が許されないか」だとわかる。禁止リスト方式なのだ。原則として天地万物は神の創造物であり、天然自然は許容されているが、その中に一部、注意して避けるべきものがある、という理屈になっているからだ。

その典型例が豚肉であり、あるいはその誘導品であるラードそのほかの食材である。しかし、禁じられているのは豚肉だけではない。犬の肉もそうだ。日本では犬を食べる習慣がほとんどないので、とくに心配の必要はないが、知っておいた方が良い。

ちなみに中東では、豚は軽蔑すべき動物だ(ま、たいていの国ではブタは侮蔑語である)が、ユダヤ教の昔から、野犬も軽蔑の対象だった。牧羊犬くらいはいたのじゃないかと思うが、聖書にも犬はあまりいいイメージでは出てこない。「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない」といった具合だ。

イスラム教で許されないもう一つの代表例が、酒・アルコールである。上にも述べたように、みりんの中に含まれる酒精分さえ避けるべきである。ただし、経口ではなく皮膚経由で吸収されるものは、許容される。化粧品の中にはアルコール成分を含むものもあるが、許されているのはこのためだ。「飲めば酔っ払う可能性のあるもの」を避けるのである。

ただ、だからといってハラールを「ノー・ピッグ、ノー・アルコール」という風に単純化して理解するのは、いささか問題があると思う。じつは、避けるべき禁忌には二種類ある。「汚物」だから避けるべきものと、「誘惑」だから遠ざけるべきものである。豚は汚物の典型だから、食べるべきではない。しかし、酒は人間を惑わせるから、遠ざけるべきなのだ。外国や、人の見ていないところで酒を飲むイスラム教徒は、じつは時々いる。だが、どこの国に旅しようと、豚は食べない。もしまちがって食べたら、(一種の汚物だから)生理的に気持ち悪いと感じるだろう。そういう風に、接する態度が異なるのである。

ちなみに「汚物」に相当するものをNajsとよぶ。豚や犬、その肉や派生品はNajsである。さらに、人や動物の糞尿・嘔吐物などもNajsになる。こうしたものは、食品に入っていてはならない(豚肉以外は、誰にも当たり前に思えることだろう)。

さらにいうと、牛や鳥など許容される家畜の肉であっても、アッラー(神)の名で正式に屠られたもののみがハラールである。「だから私たちは、ほんとはスーパーで売ってるこんな肉を食べちゃダメななのよ。」と、寮のキッチンでパキスタン人の女性は言っていた。ただそんな事を言っていたら、留学生は非イスラム地域では飢え死にしてしまう。だからまあ、妥協して食べているのである。

医薬品の中には、豚由来の酵素を利用しているものがいくつもある。こうした製品も、原則としてハラールではない。だから摂取すべきではないのだが、ただし、その薬に代わるものがなく、かつ命に関わる場合は、人命優先の観点から許されている。そういう点では、イスラム法というのはきわめて合理的かつ実際的にできている。なお、人工的に作られた化学物質は基本的にすべて、ハラールである。だから合成原薬からの医薬品は(アルコールを除いては)問題ない。

マレーシアの国家規格にも明確に定義しているように、Najsだけでなく、一般に不潔なものの混入はハラールの観点から許されない。そういう意味では、ハラール遵守は、エンジニアリングでいう清潔管理や、清汚動線の分離などに非常に近い概念である。また規格には「ハラール・マネジメント・システム」という言葉も登場するが、これは一般的な品質マネジメント・システムと非常に相似な仕組みである。

ハラールは現在、外国人観光客受入(インバウンド)の観点から議論されることが多い。だが、上に述べた点を考えると、ハラール対応はむしろ、日本企業が海外に製品やサービスを輸出する「アウトバウンド」のカギになるのではないだろうか? インドネシア、マレーシアをはじめ、中東諸国、そして中央アジアを含め、世界の新興地域に住むイスラム教徒の人口は3億人以上である。「ハラールな商品」は、この巨大なる未来市場に対して、参入する絶好の機会を与えてくれる。

なんといっても、日本製の製品の品質面での信頼感は非常に高い。とくに化粧品や医薬品は、日本が強い業界でもある。幸いにも、「正直であり、また精確であること」は、日本人が持つ優れた能力であり、他の諸国に比べれば、普通ははるかにまさっている。これはわたし達が父祖から受け継いだ大切な宝物であり、次の世代にも引き継がせるべきことだ。そこにハラールであるという付加価値がつけば、鬼に金棒というべきであろう。

ハラール認証の仕組みが世界的に少しずつできあがってきていることも、追い風だろう。認証は基本的に製品に対して与えられるものだが、製造プロセスや品質保証体制なども審査項目の一つである。製造過程で要求される清潔管理や動線管理などは、新興国の企業ではまだ難しいかもしれないが、まっとうな日本企業なら、ごく普通に実践していることだ。医薬品業界のGMPや食品業界のHACCPを思い出せばいい。工場のエンジニアリング面においては、いくつか注意すべき点があるので、イスラム地域の経験のある会社などに相談する方がいいだろう。ただ、いったんシステムを構築してしまえば、それを守って操業運転することはそう難しいことではない。「5S」が実践できている工場だったら、かけてもいいが、必ずできる。

ただし、ハラール認証は最終的には宗教機関から得なければならない。国家規格というのは、「認証の必要条件」を満たしていることを証明する、必要条件である。また現時点では、ある国で取得したハラール認証が、他国でも自動的に受け入れられるような、万国共通の相互認証制度はまだない。マレーシアが規格や認証に熱心なのは、自国をハラール商品の製造基地にして、中東イスラム圏への輸出ハブにしたいという国家戦略があるからだ。

繰り返すが、ハラールの基本は清潔管理である。ただ、何を禁忌とみなすかについて、我々の通念と少しだけ違っている。それだけのことだ。あまり特殊な要求だと思わない方がいい。

まあ、たしかに食物禁忌というのは理解しにくい。たとえば今日の我々は犬を食べないし、その習慣を広く持つ韓国や中国を侮蔑する人々もいる。だが、現実には、日本人は戦国時代まで犬を食べていたのである。ただ、五代将軍徳川綱吉が「生類憐れみの令」を発し、とくに犬を勝手に殺すことを厳禁したから、この風が廃れたのである。わたし達が今日、犬を食さないのは、「犬公方」とあだ名された一権力者のためだといってもいい。

ついでにいうと、わたし達が刺身で生の魚を食べる習慣は、もともと中国から入ってきた。ところが本家中国ではその後、風習が変わり、火を通さない食物は原則として食べなくなった。今日、生魚を食する日本人を内心バカにする中国人もいるが、彼らの父祖だって歴史的には刺身を中華風にアレンジして食べていたのだ。だから、食習慣を元にした他民族への侮蔑は、案外、近世的なことだとも言える。そうした弊風は、いずれ世界各国がより近づいて緊密になるにつれ、ゆっくりとではあるが無くなっていくはずである。

若いときに1年間、留学生寮で多くの文化・習慣に触れる機会を得られたことは、わたしにとって、とても幸運だった。おかげで、少なくとも、互いの風習に寛容であるという態度を、少しは身につけることができた。イスラムはたしかにわたし達からは縁遠い宗教だ。だが、他人の伝統や価値観を、分かりにくいからといって軽々しく詮索したり批判したりすべきではない。他人に向けた無思慮な刃は、結局自分に跳ね返ってくるのだ。そのことは、ひどく攻撃的で尊大な一部のイスラム原理主義者たちの姿が、鏡のように逆転して映し出している。

かつて戦国時代や幕末、明治時代に日本を訪れた外国人は、口々に日本人が誠実で礼儀正しいこと褒めたたえた。誰も日本人が、喧嘩早くて議論好きで尊大な人達だ、などと書いたものはいない。ならば私たちも、父祖の残した美点と伝統を守ろうではないか。

ハラールというのは「儲かるために」目指すべきことではない。それは、他者に対するリスペクト、尊重のためにすることである。わたし達が彼の地を訪れるときに、同様に尊重してもらいたいからでもある。そしてなにより、お互いへのリスペクトこそが、長続きするビジネスの前提条件だからである。


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by Tomoichi_Sato | 2015-12-03 23:19 | 考えるヒント | Comments(0)
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