“仕事が面白くない”症候群とたたかう三つの方法

まず、絵をちょっとご覧いただきたい。モネの傑作「日傘を差す女」(1891年)である。
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陽光の降り注ぐ戸外に、すっと立つ若い女性を下からのアングルで描いている。青空と白い雲をバックに、白いドレスと青いスカーフの立像。背景と人物に同系色を使いながら描き分けて、全体にちょっとドラマチックな階調を生み出している点が、この画家の手腕だ。顔はわざと表情を描いていないので、登場人物の内なる情念ではなく、ただ光と風の中に立つ喜びだけが、肌身の感覚として伝わってくる。

ところで、足元の草をよく見てほしい。もし手元の端末で拡大可能なら、画像を大きくして見てみるとよく分かるが、全体として夏草のように見えながら、個々には赤や水色や紫や緑など、ずいぶん原色に近い色彩が、まちまちな形に、ほとんど粗っぽい筆遣いで置かれているだけだ。そして彼女の来ているドレスも、よく近寄って見ると、本当の白地はほとんどなくて、赤や青やその中間色が多彩に塗られていることが分かる。

それでも、普通の距離を置いて絵の前に立つと、ちゃんと白いドレスを着た女が草原の上にいるように見える。クローズアップして見ると、バラバラな原色なのに、カメラを引くと、ある色調があらわれる。このことを、モネという画家は意識して描いている。

ここで話は(例によって)飛ぶ。あれは入社して何年後のことだったろう。まだわたしが中堅と呼ばれるようになる前、ほんの駆け出しだったころだ。部の忘年会で、今年のふり返りや来年の抱負などを、皆が順番にしゃべっていた。そこでわたしは、「来年はまた面白い仕事がしたい」と言ったのだ。面白い仕事。それは、2、3年に一度くらいはめぐってくるはずだ。わたしはその時、そう考えていた。前回の面白い仕事から、もうしばらくたつ。だから来年はまた面白い仕事に巡りあいたいと願ったのだ。

前回の面白い仕事とは何か。それは、病院の患者数予測システムを作る仕事だった。わたしの勤務先は主にプラントや工場を作る仕事だが、病院とか研究所とかいった技術的に複雑な建物も作っている。病院を建てたときの来院患者数の予測は、計画と設計の基礎だ。そこで入手可能なデータの分析を行って 予測モデルをつくるのがわたしの仕事だった。別に医療は専門でも何でもないが、そこは素人の蛮勇、なんとか現実データを説明できるモデルを見いだした。そして地図情報システム(当時はまだホスト・コンピュータに高価なグラフィック端末をつないで表示した)の上で、地域の人口分布をメッシュに切り、交通工学の手法で移動時間を算出して、来院数を計算するシステムを開発したのだ。

その仕事は幸い、ある東北の小さな新設病院の仕事に結実したし、それ以降、わたしの勤務先が顧客を開拓するツールになった。これはちょっとした、わたしの誇りだった。たしかに途中はかなり労力も使い、数値のモデル化に迷いもして大変だったが、最終的には「面白い仕事」に感じられたのだ。

しかし、面白い仕事がしたい、と考えることは、現在の仕事はつまらないと思っていたことの裏返しだ。いや、その時、自分が「今の仕事は面白くないな」と意識してはいなかったかもしれない。だが、忘年会の席上で、ふとそうした感情が泡のように浮かび上がってきたのだろう。普段は意識下に押さえ込んでいたはずなのに。

さて。話は、再度飛ぶ(す、すまない・・)。

今月初めのことだが、PMAJのシンポジウムで、慶応大学大学院システムデザインマネジメント(SDM)学科の専攻長である前野隆司教授の講演を聴いた。教授は元々キヤノンのロボット技術者で、後にアカデミアの世界に転じた方だ。昔、脳科学と認知をテーマとした本を1冊読んだことがあった。結論は必ずしも納得できないが面白い考え方の本だった。しかし、講演によると、前野教授はロボティクスの研究から始まって、しだいに認知論や脳科学に範囲を広げ、イノベーション方法論を経て、さらに最近は「幸福学」の研究もされている、といい、著書も紹介された(幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書))。

人間の幸福感情については、心理学を中心にこれまで多くの研究が積み重ねられてきた。その知見から、物・金・地位による幸福感は、たいして長続きしないことが分かっている。金や地位を得れば、一瞬は幸せになるが、やがてすぐにもっと欲しくなって飢餓感が生まれてくるのだ。前野教授は長続きする幸福の事例をいろいろと分析し、「成長・自己実現」「人とのつながり・利他」などの4つのカテゴリーからなることを見いだしたという。

非常に面白い見方だ。とくに、人間が幸福感を感じるメカニズムを解明し、それを最大化できるような社会システムや組織デザインを考えようという工学的アプローチは、わかりやすい。

しかし、家に帰って反芻し考えるにつれ、また少しずつ分からなくなってきた。そもそも感情というのは移ろいやすい。今、恋人と一緒で幸福でも、離れたらすぐ孤独や猜疑心にさいなまれる。そして会えばまた幸せになる・・そんなものではないか。だとすると「幸福である」とは、どの瞬間に測ったものなのか?

人間の感情は重層的だ。「面白い」とか「うれしい」とか「やりがいがある」という感情は、個別の局面ではすぐに阻害されやすい。たとえば上に述べた、わたしの最初の本格的な仕事は、実際には大変な作業も多かった。患者数の予測など、本当にできるかどうか、誰にも保証はない。山ほどのデータを解析するのに、(今では信じられないだろうが)ホスト・コンピュータでいちいちプログラムを書くしかなかった。当時はPCなどというしゃれたものはなかったし、そもそもExcelというソフトの誕生以前の話だ。

終わってみて、それなりに無事成功したから、ふりかえって「あの仕事は面白かった」と思う。それは、多少の距離を置いたから言えることだ。そのさなかにいる時は、面白いと感じる瞬間は少ない。だとすると、「面白い仕事」であっても、実際には数%の面白さと、90数%の徒労感のまじった、まだら模様の時間ではないか。結果が失敗したら、その数%の時間だって記憶の前面から消えてしまうかもしれないのだ。

しかも、こまったことに「面白い仕事」とは、失敗するかもしれない仕事でもあるのだ。なぜなら、そこにチャレンジの要素があるからこそ、自分の成長につながり、やりがいやおもしろさを感じるのだ。結果が見えてしまうような、何のリスクもない仕事は「つまらない仕事」でもある。

だからといって、仕事に対する感情は、かりそめのものに過ぎない、などと言うつもりはない。感情は、わたし達の時間を豊かにし、人間に生きる価値を与える一つの源泉である。そのことは、事故などで感情機能を喪失した人の症例を見ればわかる。働く者の感情を無視して、ただ命令と統制だけで動かそうとする組織は、必ず長期的にパフォーマンスが落ちていく。「仕事は会社として必要なんだから、面白い・面白くないなどと言わずに働け」と上司が命じたら−−そんな感情を押し殺したような灰色の続くシステムに、誰も長く耐えられるわけはない。

それでは、どう考えたらいいのか。わたし達は、仕事に対する感情に、どう向き合ったらいいのか? 

そこで、冒頭のモネの絵を思い出してほしい。足元の草も、ドレスの色も、じつは単色ではなかった。ローカルには赤や青などの原色が置かれながら、全体としては、ある形と光の階調が生み出される。モネはこれを、「網膜上での混合」と呼んだ。当時すでに、白い光は異なる色の混合であることは知られていた。しかしパレット上で色絵の具を混ぜ合わせても、鈍い灰色になるだけだ。逆に原色を斑点のように置くことで、見る者の眼の中で、あるいは脳内で、光が感じられるようになる。モネの発明したこの技法が、印象派の「明るさ」を生み出したのだった。

この一筆ごとの原色を、その時点その時点での自分の感情だと思ってみてほしい。個別には喜怒哀楽の、いろいろな感情がある。だが、全体の中でそれがうまく位置づけられ、形と意味を持てれば、より高次な「面白さ」を感じられるようになる。人間の感情は認知によって方向が与えられ、形が作られていく。こういう意味で、人間の感情は重層的なのだ。ただし、そのためには、いったん「目を遠ざけて」見る努力が必要になる。

わたしは以前、古代の異国に生きた一人の女性についてふれて、「幸せであることと、価値があることとは、すこし違う」と述べた(「クリスマス・メッセージ:幸せな人」2014-12-23 )。動乱と困難の時期を生きた女性が、自分の人生を不幸だと感じなかったとしたら、それはなぜなのか。幸せであることは大切だが、自分のしていることに価値があると思う方が、もっと大切だと。

そこで、わたしは自分への自戒も込めて、こんな風に考える。仕事に対する感情を、よりポジティブに保つためには、三つのことをすべきだと:

第一に、自分の感情に気づいて向き合うこと。自分の感情を押し殺したり否定してはいけない。つまり、感情をバカにしてはいけないということだ。そうすれば、退屈や嫌悪を含めて、個別にはいろいろな感情を自分が持っていることを知るだろう。自分の感情を対象化し言語化できれば、人はその感情に対処しやすくなる。これほどつまらないのはなぜだ。どうしたら面白く、あるいはせめて楽になるのか。そういう工夫の余地が生まれる。感情を言語化できないうちは、人はその感情に支配されて奴隷状態になりやすい。それは議論の場などで、けっこう怒っているくせに、自分は論理で話しているだけだと思い込んでいる人を見れば、よくわかる。

二番目に、少し離れた視点から、現在の仕事の意味や価値を考えること。これは、なかなか難しいことだが。仕事の渦中にいると、どうしても離れがたくなる。その時には、自分の信頼できる先輩なり上司なり、あるいは家族友人でもいいが、そういう人たちと話してみるのがいい。すると、自分で気づかなかった仕事の全体像や、意義に気がつくこともある。むろん、そんな良い上司に恵まれないから、こんなに不幸なんだ、と思う人もいるだろう。ただ少しずつでも、億劫さを乗りこえて、話す努力を続けることは、決して無駄にはなるまい。

それでも誰とも話が通じず、壁に囲まれていると感じたらどうするか。そのときにおすすめしたい第三の方法がある。毎日、ありがたいと感じたことを日誌に3つずつ書くことだ。これを、3週間続ける。それだけである。わたしはこれを、ショーン・エイカーという人の「幸福と成功の意外な関係」 (TEDTalks) というエントリーで学んだ。あの震災の直後のことだったろうか。それ以来、毎日実行している。どんなつまらないことでもいい、必ず3つ書く。今日は昼食が美味しかった、iPodがシャッフルで好きな曲を続けて選んでくれた・・何でもいい。

この習慣は、わたしが自分の毎日を見る認知の仕方を、確実に変えてくれる。エイカーは、わたし達が「成功したら幸せになれる」と考えているのは逆で、幸せに感じることこそ成功の源である、という。そして、上記の簡単な習慣化で、脳の認知の仕方をかえることができると主張する。

これを知って以来、4年あまり実行してきて、成果はどうだったのか? 佐藤は少しでも楽天的になったのか? 自分では、それはよくわからない。ただ、苦虫をかみつぶしたような、近寄りづらい自分はやめて、せめて少しは「にこやかな自分」であろうと思うようになったのは事実だ。実現できたかどうかは、周囲の評価に任せよう。ただ、知性だけではなく、そういう感情面が大切だと考えるようになってきた。だからこんなあやしげなエントリを書いているのだろう。

理知的な働きのすごさを、人は「頭がいい」とよぶ。しかし、感情的な働きも伴ってこそ、はじめて「賢い」とよばれるのではないか。わたしは自分が成功したかどうかは知らない。ただ、少しでも「賢さ」に近づきたいと、願うようにはなったのだ。
by Tomoichi_Sato | 2015-09-30 12:36 | 考えるヒント | Comments(4)
Commented by マリオ at 2015-10-01 10:11 x
私は頭がよくないのでうまいこと感想を文章にできないのですが、ただ一言言わせてください。この記事を読めて良かった。ありがとうございます。
Commented by nobu at 2015-10-01 12:54 x
いつもすばらしい内容の記事の配信、ありがとうございます。
筆者さんの文章の愛読者です。
私がこちらのサイトを愛読しているのは、
・筆者さんが考えを伝えたい という目的が、ひしひしと伝わること
・筆者さんの考えに、とても共感を覚えること
からです。
Commented by Tomoichi_Sato at 2015-10-02 21:07
マリオさん、nobuさん、コメントありがとうございました。
この文章を書いているとき、“こんな飛躍の多い、あやしげなエントリ、誰かまともに読んでくれるだろうか? でも、訪問してくれた中でたった一人でも、読んで良かったと感じてくれる人がいれば、それでいい”と思っていました。
今やその2倍もの方に面白いと言っていただけたので、十分に報われた気持ちです。(佐藤知一)
Commented by takamu- at 2015-11-21 23:15 x
記事ありがとうございます。この記事に、このブログに出会えてよかったです。
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