人を使うということのオーバーヘッド

なんだかひどく忙しい。そう、あなたは感じている。やらなければならない仕事が山のようにたまってしまった。このままでは期限までにアウトプットが出せそうにない状況だ。自分の下に誰かつけてもらって、やるべき仕事量を分担して進めるしかない。

あなたは上司に窮状を訴え、一時的な手助けのために、なんとか若手を一人つけてもらえることになった。この部に入ったばかりの、まだ右も左も分からない新米だ。しかし贅沢を言っていられる状況ではない。周りも皆、忙しいのだ。儲かってもいないのに、ウチはなぜこんなに忙しいんだ?  あなたは独り言をつぶやきつつ、そもかくその新米を席に呼ぶ。頼みたい仕事を説明するためだ。

頼む仕事は、比較的単純だ。あなたが作ったExcelシートに条件の数字をインプットして、何種類かケーススタディをしてほしい。あなたは、ある案件の原価と収支を計算して、売価や条件を関連部門に連絡しなければいけないのだが、その計算の一部を新米に頼む訳だ。本当は、必要な資材数量や外注価格も調べて、インプットの数字も作ってほしいのだが、それには過去の実績を調べたり、関連部署に問い合わせたりしなければならず、ある程度経験がなければこなせない。だから自分で以前作成した計算用シートへのインプット作業だけを頼む訳だ。とはいっても、検討すべき条件にバリエーションがいろいろあるため、ケーススタディの数もけっこう多い。だから、そこだけでも分担してくれれば少しは助かる。

・・と、思ったのだが、何なんだこの新米。端末で表を見せて説明してやっても、眠たそうな顔をしているだけで、分かったのか分からないのか不安だ。質問もしてこない。打てば響くように、即、作業に向かってくれるのを期待していたのだが、心許ない。「分かった?」と念を押しても、「はあ・・」と頼りなげに答えるばかり。いったん席に戻ったが、しばらくするとまたあなたのところに来て、「それで、インプットのデータはいつそろうんですか?」という。まだ全部はそろわないから、できている基本ケースから着手してくれと言ったじゃないか。すると次は、「このセルに入力しても、結果がすぐ出ないんですが。」という。だからそこはマクロを呼び出すんだよ。

あなたは内心、舌打ちをしながら、しかたないので指示書を書くことにする。インプット諸条件の表(まだほとんどは空欄だが)、Excelの入力セルとマクロの起動、出すべきアウトプットとケーススタディの諸条件。ケーススタディ数は、結果によってはさらに増減する可能性がある。ともあれ最低限のケース条件を決めて、その新米に渡した。指示書を作成するだけで、2時間以上もかかってしまった。これじゃ何のために手助けを入れてもらったのか、わからない。

半日後、新米が最初の計算結果を持ってきた。あなたは数字をちらっと見るが、なんだか変だ。表の入力欄を追いかけてみると、案の定、インプットの場所を間違えている。自分でチェックもできないのか!とあなたは叱って、もう一度やり直しを命じる。その後もまごまごして、結局、最初の答えが出たのは夜になってからだった。あなたが自分でやれば、たぶん1時間以内に終わるはずの仕事だったのに、指示書を作りアウトプットをチェックしていたおかげで、二人で半日、つまり1人日もの工数がかかってしまった。

教訓1:人を増やしても、生産性はすぐには上がらない。指示や教育に必要な余計な手間(オーバーヘッド)が生じるためである。

明くる日の夕方、あなたは数ケースの計算結果を新米から受け取る。ところで、横並びの表を見ているうちに、原価に関しては期待した傾向が出ていないので、少し疑問に思う。中身を再度、一つひとつ追いかけていくと、新米の間違いに気づく。計算ミスではない(そもそもExcelなんだから)。だが原価計算に関して、配賦の考え違いをしているのだ。使えない奴だなあ! あなたは内心、毒づく。人事部も、もっと戦力になる人間をとってくれよ。だいいち、大学でもっと即戦力になるよう、教育すべきじゃないの?

(ここでちょっと一言。大学で、ほんの少しだが教えている立場から弁明しておきたい。学校で教えておくべきことと、企業で社内研修で教えるべき事の線引きは、どこが適当だろうか? 答えは簡単である。社会において共通性の高い、汎用的な知識・スキルは学校で教え、企業ごとに違う、個別化されたスキル・能力は企業内で育てるべきなのだ。たとえば簿記の知識などは汎用的だ。だから会計や簿記教育のコースが成立する。しかし、原価の基本原理はともかく、配賦となると、企業ごとに違う。経営方針を反映しているからだ。

「即戦力」という言葉が、企業内業務の個別性を含んだところまで意味するなら、それを学校教育に求めるのはおかしい。逆に、学校教育に多くを期待したいなら、自社内の業務をなるべく社会や業界の標準にあわせていく必要がある。むろん後者は、多数の企業が同じマインドで協力しなければ実現しないわけだ。

この関係はちょうど、情報システムにおける手作りとパッケージ利用の違いに似ている。業界で共通性の高い仕事は、パッケージソフトが存在するし、それに任せておけばいい。他方、他社とは差別化した業務は本来、競争力の源泉だ。当然ながらそれをサポートするパッケージソフトなど、世の中には存在しない。

問題は、競争力の源泉でもないのに、他社とは違う個別化された特殊業務が、あちこちに存在していることだ。それは確実に生産性の足を引っ張っている。そういう状態に無自覚なまま、「即戦力」だとか「クラウド活用」だとか叫んでも無意味であると思う。だが話がそれたので元に戻そう)

ともあれあなたは、自社の原価に関する配賦基準を説明し、計算のやり直しを命じる。正しい答えが出てきたのは3日目になってからだった。今度からこの種の計算は、ちゃんと指示書をマニュアル化しとかないとまずいなと、あなたは思う。Excelももうちょっと表を分かりやすく作らねば。バカでも間違えずにインプットできるようにしないと、あぶない。

教訓2:人を使って効率が上がるのは、より標準化・定型化された業務である。個別化され臨機応変が要求される業務は、他人に外注するにはあまり向かない。

さて、あなたはいくつかのケーススタディの結果を携えて、企画会議に臨む。その場で議論が発展し、さらに検討すべきことが出てきた。あなたは自分の部署に戻り、新米に指示しなければいけない。口頭で背景を説明し、指示書を改定・追加するわけだが、ひどく面倒な作業に感じる。最初から、新米君も一緒に会議に連れて行けばよかったのか。少なくとも、こんな二度手間は不要になるはずだ。

だがその三日後、次なる企画会議に新米を参加させてみると、2時間の会議の中で、かれに関係ある話題は5分ちょっとで、あとの時間はぼおっとして座っているだけだということが分かった。ただ、その話題がいつ出てくるかが、なかなか事前には読めないのだ。しかも会議に参加している間は、確実に新米君の作業が止まってしまう。

だが、少なくとも会議に出させたおかげで、あなたがなぜこんなケースを追加したのか、どういう結果がほしいのか、了解はさせられたと思う。つまり、仕事の「コンテキスト(文脈)」を新米君にも共有させたのだ。しかし、やっかいなことに、コンテキストを理解したらしたで、こんどは新米が「こうすべきじゃないでしょうか?」などと言い出すようになった。お前さんの中途半端なアイデアなんぞ、期待しとらんのよ。いわれたことだけ、きちんとやってくれ。あなたは、そう言いたくなるところを、ぐっと飲み込んで、ただ聞き流すことにした。

そうこうするうちに、ようやく企画も方向性が決まってきた。あなたが彼にやらせたケーススタディも20を超えたが、やっとミスが減ってきた感じだ。企画会議でも、少しはぴりっとした顔つきになってきた(思いつくアイデアは相変わらず的外れだが)。いろいろ忍耐もしたが、少しは育ったかなと思う。「育成とは忍耐だ。」と先輩が言っていたセリフを、あなたは何となく思い出す。

・・というところで、思わぬ展開があった。この案件自体が、海外生産で対応することになったのだ。競争力を出すため、という命題なのだが、おかげで原価計算から何から、全部やり直しである。しかしトップの指示だから、しかたがない。あなたは、この新人にやらせた計算作業を、今度は海外子会社にやらせなければならない。となると、まずExcelの表も指示書も、英語に翻訳する必要がある。それはまだ我慢できるとしても、あの、多部門を巻き込んだ企画会議のドタバタを、こんどは子会社と繰り返すのかよ、とあなたは思う。案件の企画というのは、クロス・ファンクショナルな、相互調整と交渉の仕事である。やるべきケーススタディの条件も、すべて最初から決める訳にはいかない。20のケースを決めて、まとめて「計算してくれ」と依頼するなら、まだしも楽だ。だが、結果を見ながら条件を微調整して、といった進め方を、言葉も働く時間帯も違う相手と、うまくできるだろうか。

案の定、企画の仕切り直しは当初の倍以上の期間がかかってしまった。とにかく海外子会社あてだと、何を頼むにも一から十まで事細かく説明し文字にしないと伝わらない。いや、文字に書いたって、あちこちで誤解と混線が生まれるのだ。結果が出るまで任せきりにできないから、途中経過も逐一チェックし、軌道修正をかけてやらなければならない。本当にこんな事やっていて、コストダウンにつながるの? むしろエンジニアの手間が増えるばかりじゃないの。何せ相手は、話のコンテキスト(文脈)を共有していないのだから。

教訓3:コンテキスト(文脈)を共有しない海外相手の作業外注は、同じコンテキストを共有する日本人同士より、余計なオーバーヘッド(手間)が倍以上かかる。

コンテキスト・レベル」というのは、アメリカの文化人類学者E・ホールが言い出した概念だ。社会の中でのコミュニケーションにおいて、どれほどお互いがコンテキスト(文脈)を共有しているかに関する、無意識の前提である。ハイ・コンテキストな社会では、お互いが「言わずと分かる」以心伝心・暗黙の了解が、コミュニケーションの基本的スタイルになる。ロー・コンテキストな社会では、すべてを言語化して伝えないと分からないはずだ、というコミュニケーション・スタイルが基本になる。ホールは調査の結果、アメリカ先住民はハイ・コンテキストだが、白人社会はロー・コンテキストであるという意味のことを述べている。アメリカに比べて北欧社会はもっとロー・コンテキストだ、とも。

先日、訪日したスペインのPM学者Dr. Javier Pajaresさんと話していたら、同じヨーロッパ内でもコンテキスト・レベルに差があり、たとえばスペインに比べてドイツはずっとロー・コンテキストだが、旧ソ連のCIS国家はかなりハイ・コンテキストに思える、と言われていた。国際会議で、たまたま旧CISの教授が、ドイツ人の教授と、1対1の会食を希望した。他人のいない場所で、本音で話したいことがあったらしい。しかし、それを遠回しな形でしか伝えなかったために、ドイツ人はPajaresさんをはじめ、知人のイタリア人やら誰やらをみんな呼んでいたので、やってきた旧CISの教授はびっくりしてしまったという。「ドイツ人に何かを伝えたかったら、そのものズバリを言わなきゃダメだよ。ドイツ人にとってYesはYes、NoはNoなんだから」というのが、彼の解説であった。

何度も書いていることだが、「人に働いてもらって目的を達すること」が、『マネジメント』という行為の中核である。人を動かすのだから、テレパシーでも使えない限り、言語化して伝えなければならない。ただし、その手間は、相手と共有する文脈、そして相手がよって立つ文化のコンテキスト・レベルに依存する。日本は非常にハイ・コンテキストな社会である。だから、あまり事細かく言語化しなくても、下にいる人間は、上の意向を忖度(そんたく)して動く。

このやり方に慣れていて、これがそもそも当然であると思っている人が、いったん国境を越えると、あまりに指示に手間がかかるといって驚くことが多い。驚くだけならまだしも、怒ったりあきれたり、さらに「相手はバカだ」と思ったりする。そうなると、ビジネス的コミュニケーションのはずが、感情的なやりとりに転化してしまう(ここに、人種的偏見が微妙に影響したりするから、ますます始末におえない)。そうなったら協力的仕事などうまくいくはずがない。

でも、落ち着いて考えてみると、わたし達の普段の仕事でも、コンテキストを共有しない相手とか、世代が離れていて感覚の違う相手とかだと、やはり大小の違いはあれど似たようなギャップがあるはずなのである。それに気づいて、落ち着いて対処できる態度が身についているかどうかが、じつは大事なのだ。

どんな業界でも職場でも、仕事量には山と谷がある。そして個人の能力にも限界がある。それを超えて仕事量を柔軟に増大したければ、他者を使うときの原理と、コミュニケーションに必要なスキル・態度を身につけなければならない。そして、人を使うときには、それにともなう手間=オーバーヘッドが余計にかかるのだ。一人を二人に増やしたって、生産性は2倍にはならない。3割か、よくてせいぜい5割増し程度だ。それを8割増しくらいに持って行くためには、きちんとした標準化等の準備が必須である。

あいにく、わたし達は、そうしたことをあまりきちんと教育されていないようだ。少なくともわたし個人は、人の使い方を体系立てて教わったり、コーチングを受けた記憶がない。だが、「人を使う」という行為は、課長やマネージャーの地位に就くはるか以前から、実務では必要になる。とくに海外とやるときは、組織的な習慣化(=OS化)が望ましい。だから「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」みたいな本を書いた訳だが、たとえ国内とやるときだって、相手が社内にいるときだって、最低限、知っておかなければいけないことがあるのだ。上にあげた3つの教訓などは、その代表例だろう。こうした集合的な知恵とスキルを、わたし達はもっと組織内で蓄えるべきではないかと思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2015-08-23 14:52 | ビジネス | Comments(0)
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