ハイ・パフォーマンス・チームへの道のり

チーム(組織)のパフォーマンスは何で決まるか、という問題を、このところずっと考えている。

組織の業績はリーダーで決まる、というのが現在、世に広く受け入れられている言説である。言説というより、最も分かりやすい直感というべきかもしれない。ひいきのスポーツ・チームがリーグでこのところ連勝している。監督がかわったばかりだ。だから新しい監督が良いのだ。あるいは、隣国の巨大メーカーは、オーナー経営者が超優秀な人材を本社に集めて、近頃なかなか業績がいいらしい。かたや、昔から製品を買ってきた国内の巨大電機メーカーが、何年間もひどい不振にあえいでいる。ならば、これは経営者がわるいにちがいない・・

どんなに長期的な業績であれ短期的な戦績であれ、あるいは数十人のチームから十数万人の組織まで、すべてリーダーの性格や良し悪しだけで、決定的に決まる。これが世間に流布する受け取り方だ。この方法にはいくつかの利点がある。まず、単純明快で受け入れやすい。また、リーダーだけを見ればいいので、分析方法として手軽である。リーダーの顔写真さえあれば、直観的に判断できる。他人の顔を見て好き嫌いを直観的に判断する能力は、誰でも幼児の頃からもっていて、万人が使え、とくに必要な予備知識もいらない。顔写真に加え、出身校や略歴に関するもあれば、完璧だ。これでほぼすべての属性は説明できてしまう。

もっともこの方法、多少の限界もある。一つ目は、業績結果はうまく説明できるが、業績予測にはあまり使えないことだ。また同じリーダーの元で、業績のアップダウンがあったりV字回復したりする現象は、説明がつかなくなる(まあ、そういう場合は「女房役」の人材の良し悪しで補足説明する方法もあるが)。

さらにもう一つ。多少なりとも組織の長やリーダーになって、かつ、思わしい業績を上げられなかった経験のある人間たちは、この方法の適用に慎重になる。自分が課長に昇進したとき、あるいはチームのキャプテンになったとき、すべての戦績が自分のせいとされるのは、いささか不本意である。この程度の手勢でどうしろというのだ? あの市場環境では、むしろ善戦した方ではないか。

むろん、中間管理職なら、自分の上司や経営者のせいにもできる(だからリーダーによる説明法はすたれない)。しかし世に中間管理職は数多いので、中には、業績はリーダーだけでなく、組織をとりまく環境や、組織が持っている要員、設備や技術などもけっこう重要ではないか、と考える人も出てくる。

まず、組織の要員のコンピテンシーについて見てみよう。リーダーの性格や能力だけでなく、チーム員の能力が高くなければ、良いパフォーマンスは発揮できまい。監督がいかに有能でも、選手陣があまりにオンボロでは、勝ちようがない。まあたしかに、前期最下位のおんぼろチームを新任の監督が率いて、見事に優勝する例もまれにある。めざましい例だから、皆の注意を引き、記憶に残る。しかし、そうでない例の方が現実にはずっと多いのだ。むろん、人を育てるのも監督の大事な役目ではあろうが、さすがに人は1日2日では育たない。

ついでながら、コンピテンシーというのは、そのポジションが要求する機能を果たす能力を意味する。すなわち、同じ人間でも、与えられた役目によってコンピテンシーはかわるのだ。優秀なピッチャーに、捕手をやらせたらどうなるか、考えてみれば分かる。ポジションを離れた、抽象的な『能力』レベルを議論してもナンセンスなのだ。よく、「優秀な人は何をやらせても優秀」という言い方をする人もいるが、じゃあ日本代表チームのポジションをばらばらにシャッフルしたら、チームの戦績がどうなるか想像してもらえばいい。つまり各人固有の能力と、適材適所な配員のかけ算が、コンピテンシーを生み出すのである。「リーダーの能力」というのも、その意味ではコンピテンシーの一部である。

個人個人のコンピテンシーと並ぶ、もう一つの大事な要素は、組織が利用可能な資源(資産)だ。具体的には、設備や道具などのハードウェア、そして技術や知識といったソフトウェアなど。設備や道具は個人の能力を増幅してくれるし、技術力や知的財産で優位に立つ、という業績の出し方もある。

さらにチームや組織をめぐる外部環境も、リーダーにとって大事である。ビジネスならば、市場環境全体が成長しているのか低迷しているのか、競合状態は厳しいのか、法制度や政策はどうなのか、といったことが、業績に影響を及ぼす。これらは自分たちだけではどうにもならない。無風状態と台風の中では、誰も同じようには走れないのだ。

人間の能力、組織の資源、そして外部環境。組織のパフォーマンスを決める因子は、もう他にはないだろうか? 

まだある。それは、システムとしての『組織のデザイン』である。ここでいっているデザインとは、単なる組織図のようなスタティックな絵を作ることではない。チームを、どんな機能をもつポジションから構成するか。各ポジションに対し、どんな仕組みで指示し統制するか。そして、各ポジションにどんな権限を与え、その働きをどう評価し改良していくか。これが「システムズ・アプローチによる組織デザイン」だ。このサイトで繰り返し書いてきたように、目に見えにくいシステムを、どう理解し設計するかが、管理技術=マネジメント・テクノロジーの肝である。工場ならば、人の働きとモノの動きからなる生産システムのデザインであり、知的成果物をうむプロジェクトならば、人と知識情報の動きからなるプロジェクト・フォーメーション・デザインがそれにあたる。むろん、こうしたデザインは、設備・道具・技術など有形無形の資産と密接な関係にあるし、成員のコンピテンシーにも大きく影響されよう。

それでも、「いや、やはりリーダーの役割は大きい」という声があるかもしれない。だって、組織のデザインも、リーダーのすべき仕事なんだから。まあ、それには一理ある。しかし組織の構造は、ルールや慣習によって決まっている部分も大きい。野球チームの9つのポジションを、監督は自由にかえられるだろうか? そうはいくまい。会社組織だって、法律上要求される部分はかなり多いのだ。もう一つ。リーダーの無能ゆえに、組織のパフォーマンスが急速に落ちるケースは、たしかにときどき見かける。こういうときは、たしかに「組織はリーダー次第だな」と感じることもある。ただし、お城でもどんなものでも、作り上げるには大勢の努力と長い時間がかかるが、壊すときにはあっという間だ。リーダーは、組織がダメになるときにはその「功績」が目立つが、徐々に組織が成長していくときには、リーダー個人の影響は必ずしも見えにくいことが多いのだ。

話を戻すと、組織デザインの一番プリミティブな形は、単なる個人の寄り集まりである。小学生が校庭でやる休み時間のサッカーのように、みながワッと団子のようにボールに群がる。役割分担も何もない。この「団子状態」から一段上がると、一応、ポジションと役割分担のあるチームになる。監督さんの指示と号令の元、皆が一応の機能的な動きを志す。ただし、監督がいなくなると、バラバラで集団機能が果たせなくなる。運転手のいない車のようなものだ。こうした「機械的な仕組み」からさらに一段上がると、組織の成員一人一人が、自分で考えながら、他者と連携し、パスを回してゴールを目指していく「有機的なシステム」になる。リーダーもいるが、全員が成果に対する当事者意識(オーナーシップ)を持っている。この有機的なあり方こそ、高いパフォーマンスを生む組織の姿なのである。

そして、このような有機的な組織を維持する上で大切なのは、働いている人々の気持ちのあり方=マインドセットである。それは仕事へのモチベーション(当事者意識)であり、また、集団としての思考と行動習慣(わたしが組織のOSと呼ぶもの)でもある。たとえば、命じられたからやっているのか、自分から自発的にやっているのか。それが最終的に楽しいからやっているのか、それをしないと後が怖いからやっているのか。こうしたことは、個人個人のコンピテンシーにダイレクトに影響する。また、以前『なぜなぜ分析は、危険だ』などでも紹介したように、組織が「ミスは個人の責任だ」「ミスは罰しなければ直らない」といった、性悪説的価値観を持っていたりすれば、当然ながら猜疑と情報隠蔽がはびこるようになる。

ところが、最もやっかいなことは、このマインドセットは、チーム(組織)のパフォーマンスの結果に影響を受けるのである。業績が良ければ、人々のモチベーションも上がる。モチベーションが上がれば、効率もさらに上向く。逆に業績が落下していくと、みなが「それは俺のせいじゃない」と考えはじめる。すると、人間関係はギクシャクして、さらにダウン・スパイラルにはまっていく。ここには、正のフィードバックが働くのだ。正のフィードバックが働く系は、ご存じの通り、安定化が難しい。

以上の関係を図示すると、次のようになる。組織のパフォーマンスを決める因子は大きく4つ。下から順に、(1)外部環境、(2)組織の持つ資源(技術等)、(3)組織のデザイン、(4)人のコンピテンシーだ。人のコンピテンシーは、マインドセットに影響される。ところがこのマインドセットのある部分は、組織のパフォーマンス結果から正のフィードバックを受ける。まあ、もっと要素を細かくすることも可能だし、厳密に考えればマインドセットの影響力は、組織デザインの中の評価基準のあり方に左右されたりもするが、ここでは複雑になりすぎるので略した。この図は、一種のモデルである。モデルは、多少の細部に目をつぶっても、本質的な要素をとらえることが重要だ。それが、モデルに対するリテラシーである。
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そして、わたし達の社会の産業成長の軌跡を考えると、面白いことが見えてくる。第二次大戦後の10-15年ほど、産業の復興を後押ししたのは、復興政策や朝鮮特需という「外部環境」であった。この時代は、とにかく働けば結果は出た。次の高度成長の15年間は、設備投資や技術導入の時代であった。重化学工業の発展は、「組織の持つ資源」が後押ししたのだ。だが、1970頃になると、曲がり角に達した。

その後、ごく一部の企業だけは、「組織デザイン」にボトルネックがあることに気がつき、トヨタ生産システムなどの『仕組み』の工夫をはじめた。しかし、大多数は新しい外部環境を求めて輸出に走るか、あるいは電子・情報など新しい技術に賭けることで業容を広げようとした。それなりの努力もあり、また幸運な追い風もあって成功を収めたが、95年頃のバブル崩壊以降になると、打つ手を見失っていった。

その時に、システムズ・アプローチによる組織のデザインに向かえば、まだ間に合ったろう。だが、自分なりの生産システムを考える代わりに、「カンバン方式」という道具を真似る勘違いが横行した。さもなければ、システムは飛び越して、管理職に対して「リーダーなんだからリーダーシップを発揮して、何とか問題解決しろ」と号令する向きもあった。管理技術のテクニカルなソリューションを飛び越して、精神論にいきついた感じである。あるいは個人の能力を求めて、『グローバル人材』なる偶像を追いかける、といった次第だ。

高いパフォーマンスという山の頂上へは、二つの道程がある。一つは、
 技術・設備 → 組織デザイン → 人の能力、
という尾根伝いのルートだ。最後の登坂には、マインドセットの助けを得る。もう一つは、
 技術・設備 → (精神論) → 人の能力、
という垂直ルートだ。どちらも高みには上れるだろう。後者の方がルートは分かりやすい。だが、高いリスクをもつ。

もちろん前者だって、決して楽な道のりではない。とくに、マインドセットという見えざるものが、やっかいだ。技術は左脳の論理で制覇できるが、モチベーションは右脳の感情との協調作業だからだ。ただ、これを掌中にしなければ、たぶん頂上は極められないはずなのだ。


<関連エントリ>
 →『なぜなぜ分析は、危険だ』(2014-04-26)
by Tomoichi_Sato | 2015-06-02 23:24 | ビジネス | Comments(2)
Commented by ケン at 2015-06-03 06:39 x
日本は精神論や情緒的な人間関係が得意で一定レベルまでは生産性が上がってしまうので勘違いしてさらなる強化に走りブラックになってしまうと思います。
これからはやはり成果主義になっていくと思います。
Commented by kaiseik at 2015-06-07 20:33
組織の成熟度によって、リーダーの役割は変わってくるので、一概にこうあるべき、とのリーダー像はナンセンスだと思います。また、優秀な人材を集めれば上手くいくのは、ある意味正しいと思いますが、業界トップの大手企業でないかぎり難しく、やはりしっかり育てることが求められてくるのでしょうね。
ただし、常に新たなものに挑戦してゆく企業風土の醸成は、いつの時代の経営者にも必ず求められてきます。
私も、サラリーマン管理職ですが、常に挑戦的な言動、部下へのストロークを心掛けています。永遠の課題ですね。
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