映画評:「イタリア映画祭2015」から

毎年、連休は「イタリア映画祭」を観るのが、このところの習慣になっている。今年も有楽町に通い、合計6本の映画を観ることができた。幸い、今回はどれも面白い、良い作品ばかりだった。まだ大阪では明日まで上映予定があるようなので、多少なりとも参考になればと思い、6本分まとめてアップする。
(いつものように、星の数で採点を表している。また、順番は観たのと逆順になっている)


★★★ ラ・パッシオーネ

2015/05/05
朝日ホール「イタリア映画祭」にて

監督:カルロ・マッツァクラーニ 撮影:ルカ・ビガッツィ 出演:シルヴィオ・オーランド、ジョヴァンニ・バッティストン、カジア・スムートニアク、マルコ・メッセリ、マリア・パイアート、ステファニア・サンドレッリ ほか

これは本当に傑作だった。昨年1月に、57歳で亡くなったマッツァクラーニ監督を偲んで、今回のイタリア映画祭で特別に再上映された一本だが、これを再び映画館で見ることができて幸せだった。

もう5年間も新作を作れずにいる映画監督ジャンニは、トスカーナの田舎町に借りて持っている不動産の不始末が原因で、その町で受難劇を演出させられるはめになる。その町では貴族がスポンサーになって、復活祭の前の聖金曜日に、キリストの受難劇を町ぐるみで上演する伝統だった。だがその貴族が亡くなり、長らく続けてきた伝統がピンチに立たされたのだ(携帯の電波さえろくに届かない、この小さな町の女性町長役を、特別出演のステファニア・サンドレッリが好演している)。ところがジャンニは、いまやTVで売り出し中の若い女優のために、3日以内に新作映画のシナリオを書かなくてはならない約束なのだ。窮地に立たされた彼の元に、かつて刑務所で演劇講座を受講した元泥棒のラミロが現れ、受難劇の演出助手を受難劇を買って出ることになるが・・

この映画は、もちろんコメディである。だが、それにもかかわらず、この映画のクライマックスは正真正銘、キリストの受難劇である。マッツァクラーニ監督は、本当に受難劇がやりたかったのだ。助演のジョバンニ・バッティストンもすごくいい。つねにコミカルな悪役を演じる彼を、このような役で使おうとした監督の意図を受け止め、見事に演じきっている。シナリオも完璧だ。シーンの一つひとつにムダがなく、敢然一体となってコメディとドラマを作り上げている。言葉によるムダな説明を排し、俳優の表情のアップや、窓越しに見える影絵だけで、いろいろな事を伝えてくれるのは、まるで映画の手本であろう。

そしてルカ・ビガッツィの魔術的な映像美は、驚嘆に値する。彼は暗がりの中に光が差すような、コントラストの強い、いわばカラヴァッジョ的な構図の絵を撮らせたら天下一品である。また合間に入る空想的な雪のノルウェーの、清潔だが絶望感にあふれたシーン。受難劇で町民が着るコスチュームも、素晴らしい。音楽も美しい。

わたしがこれまでイタリア映画祭で見てきた数々の作品の中でも、これは三本の指に入る素晴らしい映画である。カルロ・マッツァクラーニ監督は生前、1本も日本で一般公開された作品がないらしいが、このような傑作が、このままライブラリーにしまわれてしまうのは、あまりにも惜しい。この作品の良さは、映画館の大きなスクリーンで観て、はじめて十分に味わえる種類のものだ。ぜひ、より多くの人が観られるようになることを望む。


 ★★ 幸せの椅子

2015/05/05
朝日ホール「イタリア映画祭」にて

監督:カルロ・マッツァクラーニ 撮影:ルカ・ビガッツィ 出演:ヴァレリオ・マスタンドレア、イザベッラ・ラゴネーゼ、ジュゼッペ・バッティストン ほか

マッツァクラーニ監督の遺作。ベネチアの監獄で、エステティシャンの女性ブルーナが偶然、ある女囚の末期の遺言を聞く。自分の家の椅子の中に、財宝を隠してあるというのだ。恋人には裏切られ、不況のため自分のサロンが不振で借金取りに責め立てられる毎日を過ごす彼女は、その椅子を探して財を得ることで、幸せになろうと決心する。彼女は向かい側に店を出す入れ墨の彫り師ディーノの助けを得て、失われた8脚の椅子の行方を追うのだが、同じ遺言を聞きつけた監獄付きの神父も、彼らを出し抜こうと椅子の後を追うのだった・・

これもコメディだが、話がどこに行くのかちょっと分からない感じがある。ただ、最後に主人公たちが、雪の残る高い山頂目指してロバの背に乗って歩いていくシーンは、どこか、監督自身の生命の姿に重なるものがある。ルカ・ビガッツィの撮影は、映画によってはときにやりすぎに感じられることもあるが、この映画では抑制がきいており、しかも自然の美を出していて、とても良い。


 ★★ 僕たちの大地

2015/05/05
朝日ホール「イタリア映画祭」にて

監督・脚本:ジュリオ・マンフレドニア 撮影:マルチェッロ・モンタルシ 音楽:マウロ・パガーニ 出演:ステファノ・アッコルシ、セルジョ・ルビーニ、マリア・ロザリア・ルッソ、イアイア・フォルテ、トンマーゾ・ラーニョ ほか

イタリアでは1996年、第109法令が成立し、犯罪組織から押収した財産を、公共的活動を行う団体に払い下げることができるようになった(ただしこの法案成立に尽力した議員は2年後にマフィアに暗殺される)。この映画はその法令によって生まれた、ある実話に基づくコメディ仕立ての作品である。

舞台は南イタリアのある地方。マフィアから没収した土地を、土地の若い女性が協同組合を作ってもらい下げ、耕そうとする。そこに北部の活動家フィリッポが支援にやってくる。だが彼は、農業のノの字も知らない。ほかに有機農法を夢見る中年女性アッズッラや、地域の半端ものや素人たちが集まって手伝おうとする。唯一、野菜やブドウの育て方を知っているのは、マフィアの小作人コジモだけであった。しかし、最初の収穫の喜びもつかの間、目に見えぬ嫌がらせのさなかに、裁判中だったはずのマフィアのボスが戻ってくる・・

マンフレドニア監督は2008年の作品『人生、ここにあり』でも、自閉症者による協同組合の話をとっており、なかなか傑作だった。本作品もいい話なのだが、シナリオがちょっとだけゆるい。笑いの場面と、マフィアがらみの脅しによる緊迫の場面との、緩急対比がもっときいていたら、ずっと良い映画になっていたと思う。でも出演する役者たちは、なかなか良い。気の強い女性ロッサーナを演じるマリア・ロザリア・ルッソも素敵だが、トンマーゾ・ラーニョのマフィアも、いかにも町の名士らしく、憎たらしい。とりわけ、敵か味方かわからぬ小作人コジモ(セルジョ・ルビーニ)が、いい味を出している。

ところで、エンディングロールを見ていて、音楽にマウロ・パガーニの名を見つけて驚いた。こんな映画音楽の仕事をしていたとは! ‘70年代のPFMというロックバンドの名前を覚えている人ももう少ないと思うが、彼はこのバンドのメンバーだった。その後ソロになり、いかにも地中海音楽的なテイストのアルバムを出したりしていた。クラシック、古楽、ジャズ、民族音楽と、はば広いジャンルのクロスオーバー的な冴えを見せる芸達者な人だったが、ともあれ久しぶりに彼の名前を見つけて、とてもうれしかった。


★★★ 人間の値打ち

2015/05/04
朝日ホール「イタリア映画祭」にて

監督・脚本:パオロ・ヴィルズィ 撮影:ジェローム・アルメラ 出演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ファブリツィオ・ベンティヴォッリョ、ヴァレリア・ゴリーノ、ファブリツィオ・ジフーニ、マティルデ・ジョーリ ほか

これは傑作だった。シナリオがいいし、キャスティングも上等、緊張感もあって観客を最後まで引き込む。素晴らしい出来である。アカデミー賞外国語映画賞のイタリア代表作に選ばれ、ドナテッロ賞をはじめ世界で数多く受賞したのもよく分かる。

タイトルの『人間の値打ち』Il capitale umanoは、英語でhuman capital(人的資本)、すなわち保険用語で死亡事故に払う「人の値段」のことを指す。映画の冒頭、自転車に乗った人物が、不運な事故にあい、道端に転落する。この事故をめぐって、三つの家族の命運が交差する。ひとつは地元の不動産仲介業者ディーノと、彼の後妻と、高校生の娘セレーナ(彼女名義で失踪した母から受け継いだ資産を持っている)の三人家族。二番目は山上に巨大な邸宅を構えるベルナスキ(貴族の末裔で投資ファンドを経営する)と、妻で元舞台女優のカルラ、そしてセレーナと高校で同級の息子の三人家族である。三番目は、大麻不法所持の濡れ衣をかぶって学校からつまはじきにされている孤児ルカと、彼の面倒を見ているアル中の叔父だ。

上流、中流、そして下層階級の三つの目から、同一の事故シーンと顛末をふりかえり、次第にその真相が明らかになっていく。ここは非常に映画的であり、見事だ。ちょっとだけ米国映画『エレファント』をも思わせるのは、親世代を中心としたドラマと思わせながら、問題の焦点が高校生の子ども世代にあるからだろう。とくに微妙に揺れ動く女子高生セレーナ役を、マティルデ・ジョーリが好演している。

それにしても出てくる男がほとんど皆、感情移入できない奴ばかりであるのは、どういうことだろうか。不況の中、騙しと我欲とかけひきで生きのびるしかない、イタリア社会の暗示なのだろうか。ともあれ、最初から最後まで、息をつぐ暇もなく謎に満ちたストーリー運びは見事である。見て得した気持ちになる映画だった。


★★★ いつだってやめられる

2015/05/04
朝日ホール「イタリア映画祭」にて

監督・脚本:シドニー・シビリア 撮影:ヴラダン・ラドヴィッチ 出演:エドアルド・レオ、ヴァレリア・ソラリーノ、ヴァレリオ・アブレア、パオロ・カラブレージ ほか

イタリア映画祭で2本目に観たのがこれ。1本目が良くできたコメディだったので、比較してどうかなと思ったのだが、さらにアップテンポで上質のコメディだったから恐れ入った。これが初監督作品という若手シドニー・シビリアも、大した才能である。イタリアでスマッシュ・ヒットとなったのもよく分かる。

優秀な神経生理学者でありながら、ポスドクとして大学の不安定な地位で生活している主人公ピエトロは、予算カットのあおりを食って、ある日突然職を失う。しかし同棲中の恋人ジュリア(麻薬中毒患者相手のセラピストの仕事をしている)に打ち明けられない彼は、自分の知識を使い、合法ドラッグを作って売りさばくことを思いつく。彼が声をかける仲間は、中華料理屋の皿洗いで暮らす化学者アルベルトをはじめ、ポーカー賭博で一山当てようとする数理経済学者、ガソリン・スタンドの夜勤で働くラテン語学者二人組、道路工事監督の考古学者など、いずれも知識と頭脳を誇りながら不遇な研究者たちだった。彼らが合成したドラッグは高い品質で一気に売れていく。ピエトロはそれでも、やばくなったらいつでもやめられると思っているが、ある日彼らは、麻薬マフィアのボス・ムラーノの縄張りに触れてしまうのだった・・

不遇な研究者達がギャング団を結成する話で、大学の非常勤講師である自分もつい思わず引き込まれて見てしまったが、コメディとしてのテンポが軽快で大いに笑えた。オチの付け方も見事である。それにしても、コメディ『生きていてすみません』も本作も、その本質的な主題は、不況と就職難である。いやはや、イタリア経済も病気だな。しかし、それを笑い飛ばせるところがイタリアの健康さだが。


★★★ 生きていてすみません

2015/05/04
朝日ホール「イタリア映画祭」にて

監督:リッカルド・ミラーニ 撮影:サヴェリオ・グアルナ 出演:パオラ・コルテッレージ、ラウル・ボヴァ、コッラード・フォルトゥナ、ステファニア・ロッカ ほか

今年のイタリア映画祭で観た最初の1本がこれ。才能に恵まれ、若くから海外で活躍していた女性建築家セレーナが母国に帰国する。しかし彼女を待っていたのは不況による極度の就職難と、男社会の伝統だった。レストランでアルバイトをしながら苦心惨憺しつつ、ある巨大集合住宅のリノベーション・プロジェクト案を応募し、見事に当選する。しかし、それは男性の作品と間違えられてのことだった。しかたなく、ゲイの友人フランチェスコに、日本へ長期出張中の建築家に扮してもらい、彼女はその助手という設定で、なんとか設計作業を続行するが・・

女性建築家の奮闘を描いたコメディで、とても楽しい。この作品では主人公のセレーナも友人フランチェスコも自分を隠して生きている。そればかりか、気がつくとほとんどの人間が、小さな嘘をつきながら生きているのだ。そうでないのは、裸の王様じみた大御所建築家のみである。だからタイトル『生きていてすみません』Scusate se esisto! の意味はむしろ、「こんな私ですみません」なのだろうと思う。

カメラ、コマ割りは的確で、余計な言葉の説明なしで観客に状況を伝え、しかも笑いを誘う。主演のパオラ・コルテッレージは脚本にも協力し、歌もうまいし、非常に芸達者な女優である。男尊女卑的な大御所建築家の秘書を演じるステファニア・ロッカの演技も渋くてとても良い。見て良かった映画である。
by Tomoichi_Sato | 2015-05-09 21:38 | 映画評・音楽評 | Comments(0)
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