習慣化の力

一陽来復」——昔の知人からきた年賀状に書いてあった。良い言葉である。いかにも冬の一番の底、陽の射す時間の最も短い時に、また温かい時節がめぐりくることを期待する気持ちがこもっている。賀頌とか謹賀新年とか月並みな言葉でないところが、この人の賀状のセンスなのだろう。

現在の西暦では1年の始まりを今の1月1日に置いているが、なぜこのタイミングを年の初めにしたのか。少し調べてみたことがあるが、よくわからなかった。太陽暦だったら、例えば冬至だとか、あるいは春分の日だとか、そこら辺のタイミングの方がなんとなく適切ではないか。もちろん、ちょうど深夜に一日の始まりを置くように、これから新しい時が生まれ変わる最も暗い季節に、新しい年の始まりを置く気持ちは、北半球の人間として、理解できる。またカトリックをはじめキリスト教の一部では、クリスマスの8日後(つまり今の1月1日)は教会歴の祝日にあたる。だが、それがゆえにわざわざ冬至からずらしたのか? 今ひとつ、不思議である。

しかし面白いことに、ほとんどの人はそういうことには疑問を感じないで、その日になれば「年が改まり」、「新年おめでとう」と挨拶しあう。今までそうしてきたから、そして皆がそうしているから、である。それが習慣の力だ。そして、本当に、大晦日の夜から元日の朝になると、本当に何か空気まで新たに、清浄になったような気さえする。面白いものだ。

新年を迎えて、「今年こそは・・」と何か抱負をいだくというのも、また習慣の力の一つだろう。年末、サイトのアクセス統計を見ていたら、ちょうど1年前に書いた「今年の抱負はこう作ろう」が、また急に多くの人に読まれているのに気づいた。面白いものだ。抱負なんて、いつ思い立ってもいいはずなのに、それでもやっぱり、新年に立てるのだ。わたし達の気持ちはそれだけ、何らかのリズムを求めているのだろう。リズムがある、というのが生きている印なのかもしれない。

抱負というのは、それまでの自分から「変化したい」「成長したい」と思うから立てる。「昨年のままでずっといいです」という抱負を述べる人は、まずいない。まあ、仮に「今のトップの座を今年も維持します」との抱負があったとしても、それは維持が難しいことだからこそのチャレンジなのである。

人や組織が変化し、自分の望むあり方に近づいていくためには、どんなことが必要で、どんなプロセスをたどるのか。諸先生・先輩達からうかがったことや、わたし自身が見聞きし体験したことなどをあわせると、それはどうやら、小さなことの積み重ねによるらしい。端から見ると、急に生まれ変わったように、あるいは突然大舞台のチャンスがやってきたように見える場合も、内実はそれまでに地味な努力や、勇気のいる小さなチャレンジの繰り返しによって、次第に内的な成長を積み重ねている。それによって、自分がself-confidenceをもってやれる範囲(=自由度の範囲)が増えていき、その結果、あるときから変化の閾値を超えるのだ。決して、ただ何もせずに待っていれば白馬の騎士がやってきて、救ってくれるわけではない。組織の場合でも、小さな成功体験を内部で積み重ねることによって、次第に同調者が増えていき、ある時点で臨界質量を超えて急に広がっていく。そんなプロセスをたどるらしい。

小さなチャレンジを繰り返していくことによって、人はできることを増やし、成長していく。そのために、具体的な目標や抱負が必要なわけだ。

ところで、新年の抱負を考える際、まずやらなければいけないことがある。それは、昨年の抱負の達成度をふりかえることだ。当然のことである。ところで、去年の抱負って、何だっけ? え、紙に書いて壁に貼り、毎日それを眺めて気持ちを奮い立たせていた? 大変すばらしい。しかし、多くの人は(過去のわたしも含めて)たいてい忘れちゃうのである。

そこで、ふりかえりのツールとして、日誌が登場する。わたしはかれこれ20年以上、日誌をつけている。日記ではなく、『日誌』だ。最初はMacのHyperCardで簡単なアプリ(スタック)をつくって記録していた。その後、いくつか変遷を経て、ツールも変わった。HP200LX上のIP.COMを8年間つかっていたこともある。メディアはどうであれ、シンプルなテキストのデータベースであること、検索が可能であることが条件だ。だって、ふりかえりのツールなのだから。

わたしは機会があるごとに、多くの人に日誌をつけるよう、すすめてきた。『時間管理術 (日経文庫)』でもそう書いたし、このサイトでも、「日誌をつけよう」(2012-05-13)のシリーズを書いた。大学の授業などでも言ってきた。「お金を上手に管理したいと思う人は、家計簿をつける。それと同じように、時間管理を上手になりたい人は、自分の時間の使い方を日誌に記録しなさい」と。

でも、日記をつけていますか、とたずねて、Yesに手を上げる人はとても少ない。なにせ、「日記」ときくと、反射的に「三日坊主」という言葉がでてくるほどだ。思い立つ人は多いが、続けられる人は少ない。

なぜなら、日誌をつける作業は、直接には何も生み出さないからだ。日誌をつければお金が儲かるとか、成績や勤務査定が上がるとか、異性にモテるようになるとか、そういう直接の御利益がまったく見当たらない。だからモチベーションがつづかないのである。

直接の利益がなくても、日誌という名の記録がそれなりにたまると、過去のふりかえりが可能になり、いろいろと価値が出てくる。去年の抱負だって、すぐに見つけられる。いつ、どんなイベントがあったか。誰に会ったか(年を追うごとにわたしは人の名前の記憶力が低下してきているので、これで大いに助かっている)。何かを買ったり修理したのはいつか。すぐに見つけられる。それが記録をつける=Documentationという習慣の価値である。

船の船長は、航海日誌をつけている。Ship Log Bookという。わたしは、航海日誌もちゃんとつけられないような、だらしない船長の船には、乗りたくない。同じように、わたしはプロジェクト日誌をつけないプロマネの仕事は、あまり手伝いたくない。プロジェクトは航海と同じで、最初に航路を決めても、とりまく周辺環境は変わりやすいし、人の出入りはあるし、思いもよらぬ出来事や故障もある。なぜ、あのとき、そういう決断をしたのか。何が理由で、航路に遅れたのか。すべてにさかのぼってトレーサビリティを確保しておくのは、とても大切なことだ。

もちろん、大切なことは皆、わかっているのである。でも、モチベーションが続かないのだ。なぜなら、しばらく続けないと、日誌は価値が出てこないからだ。経験的に言うと、最低でも、100日くらいだろうか。ここに、いわばポテンシャルの壁がある。そこを超えないと、続かない。そこを超えると、もう日誌をつけることが習慣化する。習慣として身につくと、もはや苦ではなくなる。たとえば旅行や風邪で2〜3日、日誌をつけられない場合には、逆になんだか気持ちが落ち着かなくなってくる。

ToDoリストも同じである。わたしはこれも、時間管理術の一環として、ことあるごとに人にお勧めしている。だが、これも習慣化が必要である。習慣になると、これがないと落ち着かない。たまたま出先で何かやるべき事を思いついて、手元に適当な道具がないときは、携帯メールで自分宛にTo Doを送ったりする。あとでリストに転記するためである。それさえなければ、手に文字で書く(ま、それくらいわたしは忘れやすいということでもある^^;)。

名刺も同じだ。もらったら、数日以内にExcelのデータベースに名前、所属、住所、電話番号、メルアドを入力する。すでに1,000件以上のリストになっている。たった一度会ったきりで、二度と会うかどうか分からない人も、区別せずに入力する。それと・・いや、もうよそう。わたしの個人的な習慣をここにだらだら述べたって、しかたない。それに、こういう「チマチマした習慣」には興味を持てない人だって、大勢いる。でも、そういう豪快な行動派の人たちだって、定期的にやりたいと思っている、何かを抱えているのだ。

では、何かを習慣化したかったら、どうすべきか。一番いいのは、「仲間を作る」ことなのだ。同志を見つけて、おたがいに、習慣化することを誓い合う。ときどき顔を合わせては、「おい、お前、あれどうなった?」とかたずね合う。一応誰だって見栄があるから、やらなくちゃな、と思う。そうして続けている内に、ほんとうに、なしではいられないものと化していく。

『MBAが会社を滅ぼす』(→本サイトの書評)や『マネジャーの実像』などの著作でも知られる、現代経営学を代表する学者の一人であるH・ミンツバーグは、「コミュニティシップ」Communityshipという聞き慣れない英語(一種の造語)を提唱している。英雄的なリーダーシップでも、従属的なフォロワーシップでもない、仲間による統合的な力だ。彼はあるとき、企業人である義理の息子から、窮地に立たされたIT会社をなんとか立て直すにはどうしたらいいかとたずねられた。ミンツバーグのアドバイスはあっけないほどシンプルだった:週に1回、職場のランチタイムに、ミドル・マネジャーたちが集まって、自分のふりかえりをお互いに披露して話し合え、と。これは思いの外、成功して、しまいには彼の義理の息子は「Coaching Ourselves」というプログラムをビジネスとして始めたほどだ。ここで現れる力が、仲間による習慣化の力なのである。

そういうわけで、わたし達が何かを新しくはじめて、それを習慣化したいと思ったら、仲間を見つけて、折々にお互いに表明しあい、お互いを助け合うことが必要なのだ。習慣は、集団の中でこそ強まり、維持しやすい。そして、そのためには『場』も必要だろう。

そうした習慣化された思考・行動こそ、いわば新しい能力なのだ。わたしは、組織において体系化された態度・行動習慣の集合を、(いわゆる知識コンテンツやアプリケーション・ツールよりもベーシックなため)組織の『OS』レベルの能力と呼ぶことにしている。組織のOSレベルの能力を、どうインストールしアップグレードしていくか。これこそ、マネジメントにおける最大のチャレンジであろう。

というわけで、まあ、そこまで大げさな立場にない若手やミドルにも役立つような、海外型プロジェクトの進め方に関する新著も、準備中だ。その中でも、「チャレンジのOS」と、そのコンポーネントである8つの行動習慣について、詳しく説明するつもりである。さらに、わたしが主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」も、個人的に新しい取り組みを志望する人たちに役立つような『場』を提供できるようにしたいと考えている。

何か心に決めても、自分一人だと、三日くらいしか続かない。それくらい、年頭の抱負を続けるのは日常に流されてむずかしい。そこから脱出して、自分が成長していくためには、わたし達は他者と共同した「習慣化の力」が必要なのだ。


<関連エントリ>
 →「日誌をつけよう」 (2012-05-13)
by Tomoichi_Sato | 2015-01-04 23:19 | 時間管理術 | Comments(1)
Commented at 2015-01-08 12:15 x
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