ある経営者の命運に見る、石油資源の戦略性

1962年10月27日、シチリアのカターニャ空港から1機の双発ジェット機が飛び立った。乗っていたのは、操縦席のベルトゥッツィ機長、タイム・ライフ社ローマ支局長マックヘイル、そしてイタリア炭化水素公社(略称ENI)総裁のエンリコ・マッテイの3名だった。機はミラノの空港に向かって飛んでいた。午後6時45分には着陸態勢に入ったことを、リナーテ管制塔が確認している。だが、彼らがそこに着陸することはなかった。通信が5秒間ほど途絶えた後、機体は突然、空港から10数キロの湿地帯に墜落したからだ。乗っていた3名は全員死亡した。

ENI総裁エンリコ・マッテイは、立志伝中の人物だった(以下、この事件を詳細に調べたジャーナリスト、E・ビアージ著「新イタリア事情 上 (朝日選書 226)」にもとづいて書く)。ENIは石油精製、パイプライン、化学など80もの企業群を傘下に置く、イタリアの巨大国策企業である。マッテイはその総裁として活躍し、米英石油資本に真正面から立ち向かい、ソ連から石油をイタリアに輸入するなどして、「民族の英雄」的存在だった。警察官の息子として生まれ、15歳の時から職人として働き始めた彼は、第二次大戦中に反ファシストのパルチザン部隊で活躍し、終戦直後にイタリア石油公団(略称AGIP)の副総裁のポストに、39歳の若さで就任する。

AGIPはイタリア国内の石油資源開発のために’26年に設立されたが、それまでは失敗続きだった。機材を米企業に売り払って業容を縮小しろ、とのローマからの訓令をマッテイは無視し、ポー川流域の探査を続行する。彼の賭けは見事に当たって、翌年、幸運にも天然ガスを掘り当てた。彼はガス・パイプライン埋設にも豪腕を発揮して、工業都市トリノまでつないでしまう。そしてイタリア政府は1953年、AGIPを中心に、北伊天然ガス配管会社(略称SNAM)、水素製造公社(略称ANIC)を統合してENIを設立、マッテイはその総裁に就任する。

彼の情熱と執念の中心には、石油資源の確保があった。イタリアにはほとんどエネルギー資源がなかったのだ。大戦後の世界秩序の中で、石油需給を牛耳っていたのは「セブン・シスターズ」と呼ばれる石油メジャー7社だった。彼は資源を手に入れるために、中東であれアフリカであれ、どこにでも出かけていった。1960年、彼はソ連と石油輸入4カ年協定を結ぶ。ENIが年間500万トンのソ連石油を輸入する代わりに、パイプライン機材24万トンを輸出するというものだった。この取引は米英仏を激怒させたが、彼は引かなかった。

彼はイランとも協定を結び、破格の75%という利権料を払って採掘権を得た。さすがにイランのパーレビ国王と、前イタリア王家のマリア・ガブリエラ王女を結婚させようとした政略はうまくいかなかったが、モロッコ、チュニジアでも(旧宗主国のフランスの頭越しに)合弁事業を設立。エジプトとイスラエルが第一次中東戦争に突入したときは、マッテイは私兵を雇い、自動小銃で武装させた上、ENIの制服を着せてエジプトに送り込んで、自社の油井を守らせた。そのかたわら、フィレンツェ市の要請を受けて、老舗の機械メーカー・ピニョーネ社の経営も肩代わりしたりする。

彼の突然の航空機事故死には、当然ながらいろいろな疑問が出される。霧の天候の中、機長の操縦ミス説もあった。しかし、ベルトゥッツィ機長は20歳の時から爆撃機を操縦してきた大ベテランで、ミラノ着陸回数は700回を数える。車輪の出なくなった飛行機で、滑走路に胴体着陸しながら、ナット一つ落とさなかったという逸話もある。機長夫人の証言によれば、ピストルと釣り道具一式の入った私物の鞄だけが、おかしなことに格納庫から無くなっていた。

マッテイ総裁自身にも、もちろん敵が多かった。マッテイの未亡人は「ある晩、目覚めると、マッテイが一枚の紙切れを持って泣いていた」と証言している。彼は決してその紙を妻には読ませなかっが、脅迫を受けていたのは事実らしい。それから8年後の1970年、この事件を追って、マッテイ総裁の最後の二日間を調べていたシチリアの著名な記者デ・マウロ氏は、自宅前で車に乗った数人組に誘拐され、以来消息を絶ったままになっている。半世紀以上たった今、もはや真相は闇の中である。

以前も書いたことだが、石油は戦略物資である。戦略とは文字通り、戦争に必要、ということだ。エネルギー経済学から見れば、石油も石炭も天然ガスも、みな電力に変換可能という点ではよく似ている。事実、シェールガス革命の進む米国では、石炭炊きの火力発電の炉が、次々に天然ガス炊きに改造・転換されている。しかし、石炭で走る戦車はないし、電池で動く戦艦も、LNGで飛ぶ戦闘機もない。軍隊を動かすには、常温で保管でき液体で輸送しやすい石油系燃料が必須なのだ。かくして、20世紀初等以来、いくつもの戦争が石油をめぐって起こされた。多くの国にとり、石油資源の確保は最重要課題の一つである。

だからといって、石油関係企業のトップが航空機事故などで急死したら、すぐ誰かの陰謀だと決めつけるのは早計だろう。マッテイ総裁が、ソ連と結んだ4年間協定の完遂を見ずに亡くなったことは、事実だ。しかし公式の事故調査報告書は、謀殺説には否定的だった。航空機事故は、それだけ致死性の高い出来事なのだ。そして、言うまでもないことだが、陰謀論など愚か者の理屈である。陰謀論を持ってすれば、どんなことだって説明可能になってしまう。あなたの所持する株価が下がったのも、ユダヤ人の陰謀だろう。今朝の電車に乗り遅れたのだって、CIAの陰謀に違いない。何でも同じ結論に収れんする陰謀論など、相手にすべきではないというのが、世の知的人士の常識だろう。

ちなみに、イタリアのENI自体は今も存続し、世界的に資源事業を続けている。そして、政治的に不安定な地域でも活躍するリスク・テイカーである、などと業界誌では評されている(石油業界はわたしの勤務先の顧客筋だから、このさき、言葉は慎重に選ばざるを得ないが)。マッテイの残した社風が、今も受け継がれているというべきかもしれない。あるいは、そういう地域でしか、石油採掘権を手にできなかったと解釈することもできる。ただ、マッテイが生きていたら、おそらく、もっとずっと大きくなっていて、英米メジャーを脅かす存在に近づいただろうとは想像される。

わたし達が「石油会社」というとき、普通それは二つの意味を持っている。わたし達、消費者がガソリンや灯油といった製品を買う相手としての企業、すなわち原油を精製販売する会社という意味が一つだ。もう一つは、地下資源を探索して原油を採掘する、資源会社。石油業界ではサプライチェーンにしたがって、前者を下流側、後者を上流側企業と呼ぶ。ガソリンスタンドなどでわたし達が目にする日本の石油元売企業は、ほぼ下流側だ。ENIは国際石油メジャーほどではないが、上流も下流も持っている。

さて、一橋大学の橘川武郎教授は、国際協力銀行の「国際調査室報」に、『石油開発ビジネスにおける 日本企業の動向』という興味深い論文を書かれている(2010年3月号)。それによると、世界の石油企業上位50社のランキングを見た場合、三つのタイプの企業群に分けられる、という。第一はExxonMobil、Shell、BPといったいわゆる石油メジャー(大手国際石油資本)。第二が、Saudi Aramco、イランNIOC、ベネズエラPdVSAなど産油国の国営石油会社。そして第三がフランスのTotal、イタリアENI、中国CNPC、スペインRepsolなど、資源輸入国における国策石油企業であり、橘川教授はこの第3のタイプを『ナショナル・フラッグ・オ イル・カンパニー』と呼んでいる。

さて、世界第3位の経済大国であるにもかかわらず、日本には世界ランキング50位に入るような、ナショナル・フラッグ・オ イル・カンパニーが2010年時点で存在していない。その理由は、何よりも我が国で「上流部門と 下流部門が分断されているから」(p.101)である。われわれ消費者がよく知っているJXや出光といった会社は下流部門を主とする企業である。これに対し、日本にも石油資源開発(JAPEX)やアラビア石油などの上流部門企業が以前から存在しているが、「長らく過多・ 過小の企業乱立が続いてきた」(p.106)状態であり、世界ランキングに入る大手が成長しなかった、という。

これに加えて、橘川教授が指摘するのは、「わが 国では、探鉱・採掘という上流部門は、『リスクが大きい』『政府の支援が必要な』分野と理解されている。日本の石油産業をめぐる最大の不思議は、『上流部門で儲ける』という世界の石油産業の常識が通用しないことである。」(p.101)という、業界のあり方だ。

このような業界のあり方は、しかし、本論文にも書かれているとおり、国際石油開発帝石(INPEX)という巨大企業の登場によって、ようやく2010年代に入り、変わることになる。詳しい経緯は省くが、石油公団の解散にともなう上流企業の水平統合を通じて、上記の意味での「ナショナル・フラッグ・オイル・ カンパニー」が登場した、と見ることができる。石油資源開発をめぐる日本の国際競争力の構築という観点に立てば、現状はけっして悲観すべきものではない、という見解になる。(もっとも橘川教授は経産省の石油政策小委員会の委員長として政策決定に関わられた立場だから、当然の結論かもしれないが)。

ところで、石油会社世界ランキング50位を見ると、もう一つ、奇妙なことに気がつく。それは、日本と並び、戦後の世界経済を牽引してきた大国・ドイツにも、大きな石油資源会社が存在していないことだ。まことに不思議なことだ。伊ENIも、マッテイという暴れん坊の存在がなかったら、国内の販売事業だけで、上流側のビジネスは持てなかったに違いない。

イタリア、日本。そしてドイツ。なぜ、この三つの国だけは、G7クラスの大国でありながら、巨大な石油資源企業を持ち得なかったのか。この三ヶ国に共通なことは何なのか?

わたしにはもちろん、分からない。
by Tomoichi_Sato | 2014-11-16 23:18 | ビジネス | Comments(0)
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