イノベーションのもう一つのジレンマ

数年前、「知的創造の現場―プロジェクトハウスが組織と人を変革する」という本の出版企画にかかわった。これは米国MITのビジネススクール教授でイノベーション研究の専門家であるトマス・アレンと、ドイツをリードする著名な建築家グンター・ヘンという、異色の組合せによる共著の本で、製品開発プロジェクトの組織設計とオフィスの作り方に関する最新の研究と実践例を述べたものだった。非常に重要なテーマであるにもかかわらず、日本では本書が注目されないばかりか、このようなテーマと問題意識が欧米にあることすら知られていないので、わたしの勤務先が監訳する形で訳書を出すことになった。

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さて、翻訳作業がそれなりに進んだ段階で、訳書のタイトルをどうしようかと議論になった。原題は"The Organization and Architecture of Innovation"という、格調高くもアカデミックなフレーバーの漂う題である。ところで出版社の編集の方いわく、「この頃は、多少長くても読者の問題意識にズバリと刺さるようなタイトルがはやる」とのことだった。たとえば、当時売れていた本に、『スタバではグランデを買え』などがある。なるほど。それともう一つ言われたことは、「イノベーション」という言葉はすでに手垢がつきはじめているという意見だ。陳腐化しやすいので、タイトルそのものには使いたくない、とのことだった。

あれこれ悩んだあげく、皆で選んだのが『知的創造の現場―プロジェクトハウスが組織と人を変革する』というタイトルだった。「イノベーション」がダメなら、せめて「プロジェクト」という言葉を入れたい、それがわたし達の希望だった。だが、これが読者に”刺さる”タイトルだったかというと、かなり微妙だ。我々エンジニアには、まだ十分なマーケティング・マインドが足りない、ということかもしれない。

ところで、著者の一人トマス・アレンは、ちょっと変わった経歴を持つ学者だ。彼はもともと、ロッキード社のリサーチ・エンジニアだった。「リサーチ・エンジニア」という職種名自体、日本ではあまりポピュラーではないかもしれない。研究開発に携わる技術者という意味だ。「研究開発に携わる科学者」ではない点に注意してほしい。

わたし達の社会では、「科学技術」というような言葉があって、両者を一緒くたにする傾向があり、特にお役人にそれが強いが、科学者と技術者とは全く別のものである。科学者の動機は、科学自体に内在する知的興味にある。有益であれ何であれ、興味深い知識・知見を、人類にとって積み重ねることができれば、それで科学者は満足する。そのかわり、そこには理屈が通っていなくてはいけない。

ところが技術者はまったく違う。技術では具体的な成果が得られるかどうかが勝負だ。たとえそれが製品開発のような不確実性の高い分野であっても、である。そして良い結果が出れば、理屈に多少不明な点が残ってもそれでいい。そこでは集団的な、組織的な経験・知見の集合がものをいう。科学者が原則として個人で評価される(その当否は別として)のに対し、技術力は一種の組織力である。

聞くところによると、リサーチ・エンジニアだったトマス・アレンは、MITの経営大学院であるスローン・スクールで製品開発のマネジメントを勉強しようと思ったらしい。しかし、そこの教授にについて色々と質問しても、製品開発は非常に漠とした難しいテーマで、専門家はほとんどいない、という状況だった。そこで彼は一念発起し、こうなれば自分が専門家になる以外ない、と研究の道に踏み込んだという。まだ70年代ごろの話だ。

製品開発に専門的研究が無かったのも、無理はない。そもそも新製品開発はどこの企業でもマル秘事項であり、成功しても失敗しても外に出る情報はほとんどない。そんな中、アレンは色々な苦心をして事例調査と研究成果を積み上げて行く。

彼の業績の一つとして知られるのが、「研究開発における組織内コミュニケーションの重要性」の研究である。発明とは、すでに知られている要素の組合せである事が多い。その場合、組織内でいろんな知識を持ったもの同士が意見をかわし、「気づき」を生み出すチャンスが重要になる。だから、組織の構造と、その内部でのコミュニケーションの質・量に注目したのだ。

彼が発見したのは、ある意味あっけないほど単純な法則性だった。それは、コミュニケーションの量は、その二つの部門(あるいは二人の個人)の物理的な距離に依存するという事実である。近くにいれば、会話量が多い。遠ければ、少ない。彼によると、二つのチームが50m以上離れていると、(たとえ組織図の上では同一部門であろうと)ほとんどコミュニケーションがなくなってしまう。多分、週に一度とか月に一度の公式な会議などでは顔を合わせるだろうが、それ以外のやりとりは滅多にない。

そんな馬鹿な、電子メールってものがあるだろ。そんなのは昔の話だ、とお思いだろうか? もちろん、アレンはそれについても調べている。そして結果は同じだった。電子メールは、顔を合わせる機会のない相手には、あまり発信されないのだ。だから、組織図の上だけでなく、実際の配置においても、組織設計はよく考えねばならない。

--このアレンの研究は、日本ではほとんど注目されなかったようだ。初期の著書の翻訳は1冊出たが、あまり売れたふしもない。無理もない。なにしろ、マネジメントは科学の対象である、とは夢にも思わぬ人が大半なのだ。

しかし、ドイツではこれに注目した。自動車メーカーのBMW社がその筆頭である。BMWでは、新製品開発と生産の距離を縮め、技術の共有をはかりつつ、なお製品開発の効率を上げるにはどうしたら良いかを考えてきた。そこで建築家のグンター・ヘンの登場である。彼はアレンの問題を、建築面から解決する方法を考えた。そして、建築空間の中に人の流れる「軸」(spine)を作るとともに、そこでの人と人の偶然の出会いが増えるようなデザインを考えたのだ。

また、彼は組織と組織を隔てる壁の一部を素通しのガラスにしたり、ロー・パーティションを使って、違う階の人も顔が見える(在席がわかる)ように工夫した。こうして完成したBMWのプロジェクトハウスProjekthausは、専門技術者たちが作りかけの新車のモックアップのそばで出会いやすくなっており、同社のコミュニケーションは質的に大幅に向上したという。彼らはまた、同じような発想を工場にも取り入れて、新しい画期的なレイアウトを実現してきている。

もともとイノベーションには二重のジレンマがある。その一つはクリステンセンが指摘した「破壊的イノベーションのジレンマ」で、ベストセラーになった『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』に詳しく書かれている。破壊的イノベーションは当初、むしろ最先端よりも劣った技術として登場する。そしていつの間にか主流の持続的イノベーションの力を奪って行くのである。

もう一つはプロジェクト・マネジメント上のジレンマである。イノベーションは定義上、それまで誰も知らなかったものを生み出す行為だ。では、そのようなイノベーションを含む新製品開発というプロジェクトを、計画したりコントロールしたりすることは本当にできるのか。なりゆきまかせ風まかせ、では企業としてこまる。しかし、最初からすべてを見通して、WBSやCPMのネットワーク・ダイアグラムなんて作れるのか? どう見たって無理ではないか。

わたし自身も、新製品開発プロジェクトに関わった経験がわずかながらある。一番悩んだのは、スコープとスケジュールのジレンマであった。新製品開発は本質的に不確定要素が多い。したがって、スケジュールの要所要所に、バッファーを用意して、予期しない変化から納期を守る必要があると考えた。ところが新製品開発には市場をいかに早くつかむかが大事で、競合相手もあるから、できるだけバッファーを削って納期を早めたい。営業政策上、リリースの時期は外部に事前に公表する必要がある。最後は、製品の機能をとるかスケジュールをとるか、というトレードオフに何度も直面することになった。

これは、受注型プロジェクトのマネジメントとは随分異なる。受注ビジネス型企業では、赤字か黒字かは天と地ほどの差がある。たとえ1万円でも赤字は赤字である。しかも契約納期がある。だからジレンマはほとんどの場合、コストとスケジュールの間にあった。スコープはそもそも契約条件だから、これを勝手に変える訳にはいかない。ところが新製品開発では、1万円を惜しんで製品の大事な機能を削ったら、愚か者と言われる。予算枠はあるが、それはゴムのように多少伸縮可能なのである。ただ、機能はつけ加えたい、しかし納期は遅らせたくない、おまけにあとから機能を追加・削除したら、あちこち変更管理の手間が生じる。それをどうするか。

したがって、製品開発と受注業務とでは、マネジメントのスタイルも価値基準も変えなければいけない。この観点が、現在のPM論では抜け落ちているようなのだ。

そこで今週26日(金)の「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」では、新製品開発の専業である(株)iTiDコンサルティングの蟹江氏を招いて、『製品開発競争に打ち勝つスケジューリング』のお話しを聞くことにしたのである 。とくにスケジューリング技法の話が興味深い。PMBOK Guide(R)では、納期短縮のテクニックとして、CrushingとFast trackingの二種類のみがあげられている。しかし氏によると、実際の短縮技法は7~8種類に分類できるという。慶応大学システムデザイン・マネジメント研究科での特別講義の一部を、無料で聞けるチャンスでもある。ぜひ、製品開発に苦労しておられる製造業・サービス業の諸賢にご来聴いただきたい。

え? 宣伝くさいオチの付け方だって? そういわれてもあえて反論はしない。ただし、研究部会は自分の金儲けでやっている活動ではない。参加費も無料だし、わたしも純粋にボランティアで運営している。スポンサーであるスケジューリング学会が、この活動に多少なりとも価値を認め、続けてもいいかなと判断してくれるよう、「参加して良かった」と感じる方が大勢こられることを期待しているだけである。--「なんでわが社は(わが業界は、わが国は)画期的な新製品が出ないんだ!」とビール片手に叫ぶよりは、多少なりともマネジメント・テクノロジーの一端に触れて感じる方が、金曜の夜の過ごし方としては楽しいはずである。


<関連エントリ>
 →「(書評) "The Organization And Architecture of Innovation" by T. Allen and G. Henn」 (『知的創造の現場―プロジェクトハウスが組織と人を変革する』の原書)
by Tomoichi_Sato | 2014-09-21 16:36 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)
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