書評:「マエストロ」 さそうあきら

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マンガの書評を書くのは本当に久しぶりだ。でも、この「マエストロ」全3巻は、夏休みに読み直して、やはり傑作だとあらためて感じたので、取り上げることにした。

不況で、日本屈指の名門交響楽団が解散する。行くあてを失った音楽家達が、謎の老人指揮者・天童のもとで少しずつ集まり、オーケストラを再結成する。演奏曲目は、「運命」と「未完成」だ。最初は不信と疑惑と、お互いへの反目に満ちていた音楽家集団が、しだいに天童の不思議な音楽づくりに引き込まれ、だんだんと一つにまとまっていく。だが、ある日、スポンサー企業から彼に関する驚くべき噂がもたらされ・・

これは、音楽と、音楽を演奏する人びとを描いたマンガである。そして、音楽を愛するすべての読者にとって、とても興味深く面白い物語となっている。念のためにいうけれども、別に「クラシック音楽ファン」だけでなく、すべてのジャンルの音楽ファンに、おすすめできる。どんな種類の楽器であれ、あるいは歌であれ、それに触れたことのある人、それを楽しんで聞いたことのある人なら、この物語のいくつものエピソードに、身をつまされ、あるいは引き込まれる思いがするだろう。

この話は、全体としてもストーリーの軸があるが、オーケストラの演奏家一人ひとりのエピソードをオムニバス形式のように積み上げて作られている。オーボエ、クラリネット、ホルン、フルート、ピッコロ、ヴァイオリン、チェロ、ティンパニ・・皆が、それぞれのシーンでは主役だ。ファゴット奏者は「地味だけれど、針に糸を通すような微妙な仕事なんだ」と独白し、トランペット奏者は「オーケストラで吹くのは、森の中で走り回るようなものだ」と若手を諭し、傲岸なホルン奏者は「歯は音楽家の命じゃのぉ」と指揮者の天童にからかわれる。それぞれの楽器が、どのような難しさと、苦労と、喜びがあるか、順番にソロを回して唄わせるのだ。まるで良くできた「オーケストラのための協奏曲」ではないか。

音楽家の物語を描くマンガは、これまで他にもあった。しかし、音楽を描くマンガというのは、表現としてはとても大きな挑戦である。何といっても、紙から音は出ないのだ。構図と、コマ割りと、漫符と、キャラの動きから、音楽のリズムや調和やドラマチックな変化を描かなくてはならない。マンガは基本、絵である。絵で音楽を表す--たとえばマネの有名な絵「笛を吹く少年」から、あなたは音楽を聴きとれるだろうか? 正直、わたしには何も聞こえない。むしろせめて、クレーの抽象画の方に、よほど和声を感じるほどだ。

さそうあきらというマンガ家のキャリアについては、よく知らない。正直、表紙の絵だけ見ると、あまり絵の上手なマンガ家という印象は受けないだろう。率直にいって、マンガ的な観点からは、あまりうまい絵描きとはいえない。背景を含めて全体に絵が白っぽいし、キャラの顔もときどき不安定だ。だが、ときおりこの人は、若いときに古典的な『絵画』の勉強をした人かもしれないと感じさせる構図がある。そして、あまりウェットな情念の湿り気を感じさせない、ニュートラルで乾いた画風なので、かえってこのような荒唐無稽な話にぴったり合っている。

そう。荒唐無稽であるということは、マンガという表現形式の持つ最大の美点である。そして、さそうあきらは、その美点を最大限に活かす話作りをする。前作の『神童』などもそうだったが、この話は、落ちついて考えると妙に都合の良すぎる偶然が多い。天童の指揮者天才ぶりを示す眼力(聴力)もそうだ。だいたい、「運命」と[未完成」だけの演奏会プログラムなど、そもそも成立しようもないだろう。

もちろん、作者はそんなこと承知の上で書いている。でも、この二曲だけをクローズアップすることで、わたし達はいろんなことに気づかされるのだ。「運命」交響曲の第2楽章、アンダンテの変奏曲の歩くようなテーマの終わり近くで、なぜメロディは急に立ち止まるのか。あるいは「未完成」の第一楽章、突如ヴァイオリンだけが、他のすべての楽器の沈黙の中で、数小節だけ悲痛な歌をかすかに奏でるのはどういう意味か。そこに、ちょうどぴったりのエピソードが重なってくる。だから良い意味で、荒唐無稽を話作りに活かしているのだ。

それにしても、オーケストラのメンタリティというのも面白い。この話の主人公は別に指揮者の天童ではない。天童(通称「ジジィ」)はむしろ、トリックスター役である。全体としては、コンサートマスターである第一ヴァイオリン奏者の香坂が、ナレーターに近い役柄を引き受けている。その香坂が、第1巻の最初の方で、

 「指揮者はオーケストラのだねっ。」

と大声で言うのである。招かれざる指導者としてやってきて、勝手な指示を出し(出したつもりになり)、しかも演奏が良ければ賞賛は全部、指揮者が持っていってしまう。まことに不条理な仕組みである。

それでも彼らがプロの音楽家として演奏を続けるのは、やはり何より音楽を愛しているからだ。彼らの、音楽の美に対する強い(しかし、めったにしか満たされない)憧れ。その失望と葛藤、だがやはり残る綿々とした愛情--そうしたものが、この話を通して、よく伝わってくる。だからこそ、第2巻のおわり、香坂が、ちょっと三枚目的なヒロイン役のあまね(フルート吹き)に対して語りかける、

 「なあ、あまね・・・それでも--
  この世で一番美しいものは 音楽だ

という夜の水上のシーンこそ、この話の中で描かれる、最も映像的に美しい絵なのである。
by Tomoichi_Sato | 2014-09-19 00:24 | 書評 | Comments(0)
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