プロジェクトは失敗するものである、という英国人の思想

1993年3月、ロンドン証券取引所は、ビッグバンを背景に7年にわたって進めてきた、株式取引決済システム「トーラス」開発プロジェクトの中止を発表した。証券取引所はすでにこの事業に8000万ポンドの費用を投じており、人件費を含むシティ(ロンドン金融街)全体の投下コストは、総額5億ポンドに上っていた。証券取引所のP・ローリンズ理事長は、責任をとって辞任する。

「トーラス」は、株式売買のバックオフィス業務である株式決済処理の電子化・効率化を目的とした、英国金融界の共同事業で、中心的な推進役はロンドン証券取引所であった。トーラスは米国のパッケージソフト「ヴィスタ」をベースに開発されることになっており、本来ならば、'91年10月に稼働しているはずだった。それは一度、'92年夏に延期されていた。しかし、中止決定時点では'93年中の稼働すら危ぶまれる状況だった。

ちなみにこのプロジェクトは、ローリンズ理事長がはじめたものではない。'89年に弱冠38歳で理事長職に着任した彼は、その後の数年間、シティの規制緩和への対応に忙殺されていた。それがひと段落したとき、「トーラス」プロジェクトを見て、それが容易ならざるものであることに気づいたのであった。その当時、プロジェクト・マネージャーであったクーパース&ライブランド社のJ・ワトソンは、稼働開始日見通しの記者質問に絶句して答えられない状況だった。ローリンズ理事長は第三者のアンダーセン・コンサルティング社にプロジェクトの調査を依頼する。約3ヶ月間の調査の後、アンダーセンは、「トーラスの設計は未完成」と報告する。

結局、ローリンズ理事長は、この「トーラス」プロジェクトと差し違える形で辞任する。それは同時に、何年間も長時間の労働に耐えてきた、シティの大勢のSEとプログラマたちの失業をも意味していた。

この巨大プロジェクトが、いかなる経緯をとって迷走し頓挫したかについて、我々は詳しく知ることができる。経営学者ヘルガ・ドラモンドが、関係者への徹底的なインタビューを含む詳細な調査研究を行い、『プロジェクト迷走す―ビッグバン「トーラス」システムの悲劇』という本にまとめて公開したからだ。この本はきわめて興味深いアカデミック・ドキュメンタリーとなっている。

誰の目にも混乱を極めていたトーラス・プロジェクトを、関係者たちはどうして途中で止められなかったのか。従来の経営学では、(1)それまでにつぎこんだ損失に目が眩んで、合理的な決定ができなかったのだ、あるいは、(2)情報の不確実さゆえに、正しいリスク判断ができなかったのだ、という説明がなされてきた。いずれも、意思決定が合理的に行われなかったのだ、という解釈である。

しかしドラモンドは、プロジェクトの経緯を詳しく調べて、そのどちらも当たっていないと考える。そして、合理的な意思決定の積み重ねが、全体としては非合理な意思決定を導く、という第3の理論を提案する。ひとつひとつは当然にみえるミクロな意思決定の集積が、マクロにはまったくの不合理を導く。これを、ドラモンドは「意思決定エスカレーション」理論と呼んだ。

ドラモンドの理論の当否については、いろいろな議論があるだろう。だが、わたしが感心するのは、このような大きな失敗事例が、きちんと第三者によって検証され、分析が行われるイギリス社会のあり方である。これを英国文化のもつ理知性と公明正大のあらわれ、と解釈することも可能だろう。いやあ、英国人特有の変てこな自虐趣味さ、と皮肉ることもできる。だが、ともあれ、社会的資本を投下した事例については、その経緯や結果について、第三者による検証が必要だ、との発想が、彼らにははっきりある。

英国は失敗の研究がよく行われる、とも言える。もちろん日本でも、畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」というベストセラーがあるし、「失敗学会」という学会組織もあって、失敗事例研究の普及につとめている。ただ、逆に言えば、そのような学会を作って旗振りをしなければいけないほど、わたし達の社会では「臭いものに蓋」という態度が蔓延している訳である。

当たり前のことだが、失敗を研究し分析しても、そこから教訓を学んで同じ轍を踏まぬよう努力するのでなければ、無意味である。失敗からの「学び」こそ、リスク・マネジメントの要(かなめ)なのだから。

もう一つ、英国の例を挙げよう。『FIDIC標準契約約款』と呼ばれる、海外の建設プロジェクトで広く使われる契約書の雛形がある。歴史はそれなりに古いものだが、1990年代の終わりに、英国主導で大きな改訂が行われた。これはじつは、80年代以降、英国で建設プロジェクトの失敗が相次いだためだったといわれている。

なぜ失敗プロジェクトが相次いだか。その最大の理由は、「発注者が請負業者に対して、あまりにも過剰にリスクをヘッジするような一方的な契約条件を求めたため」であった。もともと一括請負契約は、発注者がある程度のリスクを受注者にヘッジする形態である。だが、受注者のリスク管理能力を超えてリスクを押しつけすぎると、受託側がプロジェクトを正常に遂行できなくなる。結局、受注者が発注者と一蓮托生に沈没してしまう事例が、多く出たのである。その失敗の反省にたち、FIDIC約款は、受注者に対してよりフェアーとなるよう、条項を明確化したと言われる。まことに大人の知恵ではないか。

ちなみに契約法務の世界では、いわゆる商務仲裁機関も英国が主導している。さらに、損害保険(再保険)の世界も、英国がメジャーだ。彼らはリスク・マネジメントに関しては徹底している、と言うべきだろう。そして、「仕組みを作って世界を動かす」ことにかけては、たしかににたけている。

英国が自国向けに標準を作ると、それなりに実際的である点も特徴である。たとえば、プログラム・マネジメントの分野で、米国PMIのThe Standard for Program Managementと、英国商務省のManaging Successful Programmes (MSP) を読み比べるとわかるが、後者の方がずっと分かりやすく、何をどうすればいいか具体的である。「PMIの標準は、コンサルタントを呼ばないと分からないよう、わざと抽象化して書いている」という人もいるくらいだ。それと、MSPは、限られた少人数で著述しているらしく、全体の記述に一貫性があり、たしかに読みやすい。なお、ついでながらプログラムという語のスペリングが、米国と英国で少し違っている点も面白い。

同じ英国商務省が、プロジェクト・マネジメントに関して制定した標準がPRINCEである(現在はPRINCE2となっている)。PRINCEは元々、英国の官公庁で発注するコンピュータ・システム開発のプロジェクトに失敗があまりに多いため、それを改善するために生まれたと言われている。日本プロジェクトマネジメント協会の元理事長で、現在は北陸先端科学技術大学の教授である田中宏さんに以前うかがった話によると、PRINCE2というのは、“プロジェクトというものは放っておくと失敗するものである”という思想が根底にあるのだそうだ。まあ、たしかにこの「自虐的」規定の仕方は、いかにも英国人風である。だが、彼らが確立した立憲君主制や三権分立制などに見られるように、制度設計というものは、“放っておくと失敗する”という発想をベースに考えた方がリスクが小さいのである。

マネジメント標準というのは、それに従っていれば万事うまくいく、というような魔法の教科書ではない。せめてこれぐらいは知っておいた上で、自分の仕事にあわせて取捨選択しろよ、という体系的な道案内の書である。それを読むには、読み手のインテリジェンスが必須である。

ところで、このインテリジェンスというものは、知識や法則や論理的演繹といった、「頭の良さ」だけではないらしい。むしろ、自分はまだ一度も歩いたことのない道なのに、この先に何かがありそうだと察知するような能力のことを、インテリジェンスとよぶのである。わずかなデータしかないのに、何だか価値がありそうだと気づいたり、ヤバそうだと感づく嗅覚のような能力--それこそが、プロジェクトという深い森の中を正しく導く、導き手なのである。

だからインテリジェンスというものは、こまったことに、経験によって深まったり、逆に鈍ったりする。自分がいかに何も知らないかを分かれば、深まるし、なあに所詮こんなものよ、と知ったつもりになれば、逆に能力は鈍るものらしい。単なる経験年数ではない。経験から、何をどう学ぶか、なのである。

わたし自身がインテリジェンスをもちあわせているなどと言うつもりは、もちろん、さらさらない。だからこそ逆に、失敗に学ぶのがお好きな英国発のプロジェクト・マネジメント標準PRINCE2がどんなものか、知りたいと思って、今週、研究部会で講演をお願いした次第なのである。PMBOK Guide(R)は読んだけど、何だかもの足りない気がする--もう少し別の知恵はないのだろうか、そんな疑念をお持ちの同輩諸賢のご参加をお待ちする次第である。


 →「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(2014/07/01) 開催のお知らせ

<関連エントリ>
 →「組織におけるルールはいかなる機能を持っているのか
by Tomoichi_Sato | 2014-06-29 23:12 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)
<< 原価の秘密 - なぜ、黒字案件... お知らせ:Webメディア「IT... >>