なぜアメリカに海外工場を展開しないのか?

デンバーでの仕事を終えたわたしは、テキサス州ヒューストンに向かった。最近開設したばかりの新しいオフィスで、グループ企業の幹部と打合せするためだ。全米のOil & Gas業界のメッカであるヒューストンは現在、非常な好景気にわいている。もちろんシェールガス革命のおかげである。米国の経済状況はまだら模様で分かりにくいが、少なくともエネルギー関係の産業は活況であり、そのためプラント系エンジニアも人手不足状態になりつつある。

シェールガス革命については、いろいろな事がいわれているが、的外れな解説も日本ではときどき見かける。Oil & Gasの分野の用語や技術が、分かりにくいからだろう。当サイトで1年ほど前に『シェールガス革命と、エネルギー価格のゆくえ』とう記事を書いたが、その後の情勢などは、いずれ項を改めて書こうと思う。しかし今回は、別のテーマである。それは、なぜ日本の製造業は、海外に工場展開を考えるとき、中国だとか東南アジアばかりに目を向けて、アメリカを考えないのか? という率直な疑問だ。

これについては、昨年の夏に、わたしの属する「生産革新フォーラム」(MIF研)で、米国の製造業に詳しいTPMコンサルタントの田尻正治氏をまねいて講演いただいたときにも、感じたことだ。そのときは、米国視察から戻ったばかりの本間峰一会長もいたので、ちょっとしたミニ・シンポジウム風の議論になった。日本の製造業の海外展開については、本サイトでも何回も書いてきたが、工場作りのプロの目から見ると、疑問を感じることも少なくない。

最近は何やら経済団体がメディアと組んで、「グローバル戦略うんぬん」のタイトルのもと、セミナーを開いて中堅中小の経営者を集めては工場の海外移転をあおり、それに官庁がお金をつけたりする光景も見受けられる。経済メディアは客さえ集まればそれでいいのかもしれないが、ブームやムードや流行のバズワードを追うだけではなく、少しは多面的な分析報道もしてほしいものである。

多面的とは、どういう意味か。それは、工場経営から見た立地論の多面性である。かりに、ある企業にとって、国内の工場のメリットが落ちてきて、生き残りや成長のため海外に工場展開を考えたとしよう。では、工場立地を選ぶのに、どういう評価の観点があるのか。自社の生産拠点を一つ作るのである。「人件費が安いから」「主要取引先の大手企業に促されたから」「周りがみんな出て行くから(=バスに乗り遅れたくなくて)」などの理由だけで決めるべきことではない。自分の車を買うときだって、値段だけでなくスピードや排気量や加速性や燃費やデザイン、サイズ、居住性まで、様々な評価軸を比較しながら決めるではないか。自宅を買うのだって、広さ・値段の他に周辺環境、通勤の距離、交通利便性、教育環境etc.を考える。生産拠点だって同じである。

たとえば、誰もが真っ先に考える(らしい)人件費について見てみよう。JETROが毎年行う「アジア主要都市・地域の投資関連コスト比較」の昨年の結果が、雑誌『ジェトロセンサー』(2013年5月号)に出ている。わたしはその中のあるグラフを見て驚いた。マネジャーの月額基本給の国別比較で、香港・シンガポール・ソウルなどはすでに一部で那覇を抜き、横浜に迫っているのである。製造業と非製造業で多少の差はあるが、3,000〜4,000ドルのラインを超えてきている。ちなみに「マネジャー」は営業担当課長クラスを指す。つまり、中間管理職層の人件費はもう日本を追い抜きつつあるのだ。(念のために書くが、この調査は2013年1月時点で、このときまだ1米ドル=91円だった。今の換算レートではさらに15%近く上がっているはずだ)

もちろん、作業員(一般工)の基本給ではまだまだ差は大きい。横浜が月額3,300ドルに対して香港・ソウルでも1,600〜1,700ドル程度だから半分だ。だが、工場という仕組みは、一般工だけで回るものではない。工場がきちんとシステムで動くためには、ちゃんとしたマネジャー層が絶対に必要である。その人件費が日本に迫っているということは、日本企業の給与体系ではもう、この先、良いマネジャーを雇えなくなることを意味する(日本の本社の管理職よりも高い給料を、現地の同じ等級の社員に喜んで払える企業は少ないだろう)。自立した生産拠点として機能していくためには、自社の管理職の給与体系も再考する必要がある。

管理職は日本から派遣するからいい? そうはいかない。駐在員用住宅借上料は、中国の各都市を含め軒並み月額2,000〜4,000ドルである。日本人の給料がちょうど倍になる勘定だ。事務所賃料も、香港は別格に高く、また北京・上海・大連・ソウル・シンガポール・ハノイ・ヤンゴン・ムンバイ、いずれも横浜を抜いている。一般用電気料金も、「日本は世界一高い」と言われているが、データを見ると、高い都市は日本並みに高い。電気の供給品質の差を考えたら、日本の方が安いくらいだ。(もっとも製造原価に占める電気代の割合は、4つの特別な業種を除くと、そもそも小さなものだ。だから、原発を止めると電気代が高騰して、日本の製造業が空洞化するというのは、データから見る限り誇張だろう)

少し話を戻すが、工場立地を考える際の評価軸は、決して労働者人件費だけでないことは分かっていただけただろう。ちょっと考えただけでも、以下のような項目があげられる:

A 人間の能力と資質
(1) マネジャー (2) エンジニア (3) 労働者
B 組織力とビジネス文化
(1) 社内教育 (2) 新しいことへの信任 (3) 転職(ジョブ・ホッピングの程度)
C コスト項目
(1) 土地代 (2) エネルギー価格 (3) 原料資材価格 (4) 水の価格(水の質的・量的供給水準も含む)
(5) 物流費 (6) 駐在生活コスト (7) 給与水準
D その他外部環境
(1) サプライチェーン (2) 治安(政治的安定を含む) (3) 通貨の安定性・通用力

これらの項目のどれが重要で、どこにウェイトを置くべきかは、その企業の業態と、とるべき戦略によって当然異なる。一概に他人が決められるものではないし、当然、他の会社がどうやっているか、は関係ないことだ。

それでは、上記の項目について、アメリカという国はどうなのか。田尻氏の意見や、わたし個人の経験などからまとめると、以下のようになる。

A 人間の能力と資質」であるが、アメリカのエンジニアは概して真面目かつ理詰めなタイプが多い。彼らの特徴は、論理的説明+成果を見せることで、自分から動くようになることだ。この点、日本の技術者は優秀だが職人気質であり、残念ながらしばしば頑固でチャレンジや変化を嫌う。中国・東南アジアは、優秀なエンジニアとそうでない者の落差が激しいが、まだ全般的には日米のレベルには追いついていない。

労働者については、アメリカの労働者は機械さばきが上手である、という特徴がある。これは少し意外だろうが、田尻氏によると米国の労働者は農家出身者が多い。そして、あの国の農家は車でも農機具でも、自分で直しながら使うのが常識であり、DIYセンスのかたまりなのだそうだ。日本や他のアジアの国では、労働者は手先が器用だが、そのかわり機械にはやや弱い。マネジャーの資質・能力の差については、ここでは論評を控えておこう。もちろん、日本が世界で最優秀(笑)なはず、である。

B 組織力とビジネス文化」であるが、米国企業文化の特筆すべき点は、新しいことを積極的に試そうとする意欲が高い点だ。つまりイノベーションのポテンシャルが高いのである。日本は、率直に言って、「ブランド信仰」「横並び志向」のようなものが強く、挑戦よりも失敗を避けることが優先されるきらいがある。

転職についていうと、意外に思われるかもしれないが、アメリカの製造業では日本で思われているほど簡単には転職しない。同じ企業で10年、20年働き続ける人が多く、それこそ親父や祖父の代から同じ職場で働いている、という人だっている。もちろん変転の激しい金融業界・IT業界などではホワイトカラー層に転職も多いが、少なくとも中国や一部の東南アジアのような、労働者の激しいジョブ・ホッピングに悩まされる国柄ではない。その分、社内訓練の蓄積効果も高い。もちろん、アメリカはルールとシステムで仕事を動かす国であって、日本のような手厚い社内教育は必要ない。(そのかわり、きちんとルールとシステムを設計しないと会社は回らない。日本人得意の、すり合わせと浪花節とあうんの呼吸では、組織は動かぬ)

C コスト項目」についていうと、土地代、エネルギー価格、物流費いずれも、日本に比して圧倒的に安い。資材は種類にもよるが日本よりはおおむね安い。金属素材・化学品などはいずれにせよ国際相場で決まるわけだが、水も豊富で質が良い(ユーラシア大陸は水質は良くない)。駐在生活のコストも、アジア諸国に比べてひどく高いわけではない。むしろ、日本人子弟の教育のことを考えると、総合的には安いかもしれない。

たしかに人件費の給与水準を比べると、労働者もマネジャーも、日本同等か、あるいはそれ以上かもしれぬ(とくに最近の円安状況では)。ただし供給力は大きい。そして、アメリカのマイナス点はほぼここだけである。「D 外部環境」としての治安の良さ、サプライチェーン面(市場の大きさと近さ)、基軸通貨の力、そして上記A, Bにあげた項目などを考慮すれば、全体にはかなりプラス点が大きいことが分かる。

労働者の賃金についていえば、製造原価報告書のうち、どれだけが直接労務費であるかをまず、考える必要がある。というのは、製造業の総合的な労働付加価値生産性は、労働装備率(一人あたりの生産設備資産)にかなり左右されるからである。たとえばシェールガス革命を見れば分かるとおり、エネルギーや化学は典型的な「装置産業」であり、労務費比率は小さいから、米国で十分ペイするのである。

ちなみにアメリカ立地に向いている業種として、田尻氏が指摘していたのは、自動化・機械化の進んだ産業であり、具体的には以下のようなものだった:

 半導体、ガラス、機械部品、鋳物、テキスタイル(紡績)、食品、医薬品、化学など

逆に、向かない業種だってある。たとえば、縫製、電気製品最終組立など、労働集約的な工場である(こうした産業は、すでに米国から外に出てしまっている)。

いうまでもないが、わたしは何もアメリカが全て良く、中国や東南アジアがだめだと主張してるのではない。工場の立地戦略は、きわめて総合性の高い、多面的な観点から検討すべきことである。それは流行や促しで決めることではなく、各社それぞれが熟考して決めることだ、と言いたいまでだ。何よりも、事前の十分な情報収集が大事である。必要ならば、それを助ける専門家や、支援する公的仕組みなども存在する。そして、イメージや偏見にとらわれずに、総合的・多面的に分析すること。それこそが経営の仕事ではないか。

あるいは、熟慮の結果、やはり日本にとどまるのが最善だという結論になるならば、それでももちろん良い。誰でも、自分で決めて自分で結果を引き受けるのである。それが自由経済というものだ。そんなことを、テキサス南部のだだっ広い平地を走りながら、わたしは考えていた。


<関連エントリ>
 →「シェールガス革命と、エネルギー価格のゆくえ
 →「工場計画論(1) 立地論--工場はどこに行くのか
by Tomoichi_Sato | 2014-04-06 23:20 | 工場計画論 | Comments(0)
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