書評:最低限必要なマクロ経済学 野口光宣

最低限必要なマクロ経済学  要点だけで完全理解 野口光宣・著 (Amazon)

工学部出身のわたしが、会社に入って最初にやった仕事は、なぜか経済性分析だった。某電力会社の依頼で、液化天然ガス(LNG)と燃料メタノールの比較に関するフィージビリティ・スタディを、新入社員として手伝ったのだ。プラントの基本計画と費用見積は先輩たちが行い、わたしの仕事はタンク容量の計算と、経済性計算だった。比較ケース数が200以上もあって、そこつなわたしは難儀したが、とにかくこのとき財務諸表の意味と、DCF (Discounted Cash Flow)法の基本を、文字通り身体で覚えたのは、後々まで役に立った。

しかしその後も、経済学それ自体に対しては、縁が遠いままだった。むしろ経済学という学問には、何となく不信感みたいなものを抱いていたと言っていい。プラザ合意後の円高不況、そしてバブル経済の有頂天と、その後の長い不況の時代を過ごして、経済学が本当に社会を指南する羅針盤として役に立つのかという疑問を持ち続けた。

経済学者やエコノミスト達はさかんにメディアに登場して、あれこれと意見を表明しているが、奇妙にお互い矛盾することを言い合う。そこには、論争を解決する明確な方法論が学問として欠けているように感じられた。経済学は一種のモデリングなのだろうが、『実証』のプロセスがないため、議論はほとんどモデラー同士の好みの言い合い、水掛け論のようにも思えた。

とはいいながら、ライン業務を離れて本社企画部門の仕事に就くと、やはり新聞に出てくるような基礎的な用語・概念くらいは分かりたいと思うようになる。モデリングには、それなりの歴史と体系、そしてそれに従った統計値が存在する。元々、システム・モデリングはわたしの専門ではないか、ならば、何ほどのことがあろう--そんな気持ちで、本書を手にとったのである。

本書は、大学初年生むきのテキストとして書かれた。帯の宣伝文句は、「ポイントだけをざっくりと絞り込んだ 超文系向きのテキスト」である。著者は、はしがきの中で、新入生対象のマクロ経済学入門の講義ノートとして工夫して作ったものであり、“中学校程度の数学の知識があれば十分”である、と書いている。数学が苦手なわたし(いや本当です)には、心強いではないか。ちなみに、著者は名城大学経済学部教授だが、米国の大学の数学科で博士号をとった人で、専門はゲーム理論のようである。その人が、中学程度の数学で、国際マクロ経済学の基礎概念までは工夫すれば分かる、といってくれているのである。かつ、教科書らしく計算の例題や章末問題がかなりついている。これならば勉強しやすいだろう。そう、思わせてくれる。

まあ、勉強しやすいかどうかは、もちろん読み手の取り組み度合いと、頭の柔らかさによってくる。とてもよく分かった、とは、言わない。しかし、読んで良かったことは、確かである。

わたし達は、自分のよく知らないことを、なんとなく感覚で議論することが、よくある。というか、社会人なんて、それで綱渡りして生きているような面もある。そうはいっても、たとえば「経済成長」とは何か、正面切って問われて、どれだけの人が答えられるのか。日本のDGP成長率がたとえば年2%足らずでは低すぎる、とか、原発を再稼働させなければもっと成長率が低くなる、とか、いろんな議論がある。いや、経済成長ばかりを目指すこと自体が誤りだ、もっとスローでワークライフ・バランスドな行き方が望ましい、という反対意見、etc, etc..

だが、肝心のDGPが何を測ったものなのか、わたしは本書の第1章を読むまで、よく知らなかった。GDP (Gross Domestic Product=国内総生産)とは、1年間に国内で生みだされた財・サービスの付加価値の合計を市場評価したもの、である。

付加価値とは、生産された財の価値から中間投入された財の価値を差し引いたもので、「おおざっぱに言うと、(売上-原材料費)のこと」(p.2)だ。この式には賃金が入っていないことに注目してほしい。賃金をいくら抑えても、(会社の利益には好都合かもしれないが)付加価値には影響しない。ということは、賃金を下げても、それが直接経済成長を増やすわけではないし、逆に賃上げしても、成長にすぐブレーキがかかるわけではない。

わたし達は、ともすると経済成長というものを、「会社が利益を得ること」「もっとお金持ちになること」と混同して考えやすい。しかし、本書はそうした誤解をきちんと解いてくれる。もちろん、賃金水準は間接的にはGDPに影響を与える(その事は後の章を読むと分かる)。だが、「利益=成長」ではないのだ。

同じように、「生産と無関係な価格の変動による価値の増減はGDPに計上されない。例えば土地や株のキャピタルゲインなど。」(p.2)という記述にも驚く。ということは、わたしが東京の土地転がしでひそかに儲けた10億円や、スイスの銀行に隠して預けている100億円(笑)は、まったく日本のGDPや成長には関係がなかったのだ。まことに残念なことである。とうぜん、東証株価がいくら上昇したって、成長率には無縁である。

さらに、「日本企業の海外支店が生み出した付加価値は日本のGDPには計上されない。」(p.2)とも書いてある。だとしたら、ソニーやトヨタや大手銀行が海外支店でどれほど儲けようと(あるいは損をしようと)、それは一切、日本のGDPにはカウントされないことになる。これら“日の丸企業”の業績と経済成長はイコールではないのだ。

では、GDPは何で決まり、何で動くのか。ごく簡単に言うと、投資が引き金となって、それが国民所得増を生みだし、それが需要を押し上げるため、さらに投資を生むという循環、ポジティブな経済スパイラルが生じるのである。スパイラルの着地点を予測するために、限界消費性向や均衡国民所得、そして乗数効果などの概念が必要になる。乗数効果のおかげで、初期の投資ΔIよりも数倍大きな、経済拡大の結果が得られる。これがマクロ経済学の教えだ。

だから日本経済を拡大してGDP成長率を上げたければ、企業が日本国内に投資すべきだ、ということになる。そして、日本の大企業は現在、じつは過去にないほど高い内部留保を抱えている。このお金を国内で投資して雇用を生みだせば、経済成長がもたらされる、はずである。

しかし現実にどうかというと、むしろ経済メディアなどがあおっているのは海外投資であり、海外への工場移転、あるいはオフショアへのサービス移転である。それによってコスト競争力をつけ、あるいは新興市場の海外支店で設けろ、そうすれば日本企業は復活し繁栄する、とのメッセージを毎日流している。ぜんぜんマクロ経済学の要請と合っていないではないか。メディアの経済ライター達は、初学者のわたしに解らぬ全く別の理路をとおって、記事を書いているようだ。それとも、全然知らずに書いているのか--まさかね。

本書の一つの特徴は、古典派とケインズの論点の違いをいろいろな箇所で並記していることだ。たとえば「古典派は利子率のことを、資金を貸すことによって一定期間の消費を断念することに対する報酬だと考えた。一方、ケインズは利子率のこと、資金を貸すことによって一定期間の流動性を犠牲にすることに対する報酬だと考えた。」(p57)など、面白い視点だ。ケインズ経済学というと、まるで左派の経済学の代名詞みたいに言う人もいるが、ケインズ自身は保守主義者であった。ただ彼は、名目賃金の下方硬直性や、政府の財政政策の役割などの論点で、市場万能主義とは一線を画しているようだ。

本書は国民経済計算の定義からはじまって、最後はマンデル・フレミングモデルをつかった国際マクロ経済学の理解、たとえば「資本移動が完全自由なとき、変動相場制の下では財政政策が無効となる」(p.136)といったところまで一応たどり着く。(この法則など、TPPと公共事業を同時に推進しようとしている人たちなどは、どう解釈しているのだろう?)--たしかに著者のいう“最低限必要な”範囲はカバーされているようである。

最初に書いたとおり、マクロ経済学は一種のモデリングである。経済という複雑なシステムの挙動を、モデルを元に予測し、どのような政策が有効かを考える、一種のシステム工学と言ってもいい。そういうセンスを身につけた人には、それなりに入っていきやすい分野かな、と思わせる良書である。このような優れた本を出版する日本評論社には、感謝とともに、ぜひこの種の本は電子出版してほしいと要望する。数式も多く練習問題も多い。また用語・概念の良きリファレンスでもある。プログラム学習をふくめた電子出版にぴったりではないか。

ともあれ、経済記事の用語が気になるような人には、ぜひ手にとって勉強する価値があるテキストだ。強くお薦めする。




by Tomoichi_Sato | 2014-02-16 18:48 | 書評 | Comments(0)
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