社長で会社は決まる、のか?

以前から読まれている方はお気づきのことと思うが、このサイトでは個別の会社批評や経営者論は、まったく書かないことにしている。本サイトの記事は、外部からは「経営」とか「ビジネス」に分類されることが多いが、特定の会社や経営者の批評をしない点が、たぶん他との一番の違いかな、と思う。ついでにいうと、ビジネスマンの居酒屋トークでもっとも好まれる話題の一つは、よその経営者批評だろうが、懇親会や飲み会で人と話すときも、その種の話題のときは、わたしはずっと黙って聞き役に回ることにしている。

数ヶ月前、昔からの友人と一緒に飲んだときにも、日本を代表する超有名企業S社の業績不振が話題になった。というのも、彼はその会社に長らく勤めた後で、少し前に辞めたばかりだったからである。抑えた口調だったが、業績悪化の理由は経営者にあった、と彼はいう。かつて自分が勤め、また好きでもあった会社を、外人社長がいかに壊していったか、具体的なエピソードをいくつも交えて語ってくれた。ひどい話だ、聞きながらわたしはそう思った。だが、それでは、その外人が去って、もっとまともな新社長が職につけば、業績は急回復するだろうか?

わたしは、そう思わなかった。高度な技術的ポテンシャルをかかえた同社だが、安定的に業績が回復するまでには、たぶん何年単位もの期間がかかるだろう。ひどい経営者が大企業をこわすのは短期間でできるが、良い経営者が機能する大組織を再生させるのには、長い時間がいる。こわれるのは早いが、作り上げるのには時間がかかる--それが、「システム」というものだからだ。

たぶん、世の多くの経営論者との最大の違いは、(当否は別としても)この「システム感覚」にあるのだと思う。

つい最近も、任天堂を成長させた立役者・山内溥氏の破天荒な人生の話を、ネットで読んだ。元・外資系経営コンサルタントの文章である。山内氏が真に傑出した経営者だったことは、よく分かった。その文章では、山内氏の最大の功績の一つに、3人のすぐれた後継者を見いだして引き上げたことを、あげていた。たしかに、偉大な経営者の一番の問題は、後継者選びだ。そこで失敗する例も、よく耳にする。山内氏はその点で成功し、会社も見事に成長した。賞賛すべきなのだろう。

ただ、読んでいてひっかかった点が一つだけあった。それは、「見いだす」「引き上げる」という言葉の使い方だった。なんだか、会社の成長は、一にも二にも経営者にかかっていて、かつ、経営者の力量は、ほとんど生まれつきの資質で決まっている。だから大事なことは、将来、経営者となるべき人を早く見つけて、ポジションに据えることだ--そう、読めてしまう。いかにも外資系経営コンサルタントらしい言い方ではある。

わたしは任天堂のことは何も知らない。本当に、まったくその通りだったのかもしれない。だが、任天堂のケースを他の事例にも普遍的に適用してもいいのだろうか? その文章の著者を批判しているのではなく、それを読む読者の人々に、ちょっと考えてもらいたいのである。

世の中の経営論にひろく共通するのは、三つのテーゼであるとわたしは考えている。それは、

(1) 社長=経営者は資質で決まる
(2) 会社の業績は社長で決まる
(3) 経営の変化はすぐに業績に表れる


である。だから、会社の成長や失墜を、すぐ経営者個人の資質の問題で説明することになる。居酒屋トークの多くは、これだ。

しかし、わたしの考え方は、ほとんど真逆である。いや、こう言い直そう。中小企業の場合ならば、上記テーゼも、かなり当てはまると思う。従業員数がせいぜい200か300名程度で、各人の顔と名前と資質を経営者がちゃんと覚えて判断できる間は、一人のリーダーシップだけでかなり組織を引っ張ることができよう。

しかし従業員が数千人規模、売上が千億円単位のような大企業になると、もはや、上記はあてはまらない。大組織を動かすのは、経営者個人の判断ではなく、「システム」になるからだ。そのシステムが健全に機能しているか、それとも病に陥っているかで、企業の中期的な業績傾向は決まる。だから、経営者論だけで会社業績を論ずるのは一面的であり、間違っている。

ここで言うシステムとは、もちろんコンピュータ・システムなんかのことではない。システムとは、暗黙または明示的なルール、組織と階層構造、情報伝達系、金銭や資源や報酬の配分方法、外部との契約、などの要素からなるまとまりで、その構成員一人一人の考え方や判断基準を方向づける仕組みのことである。

もともと組織というものは、なんらかのミッションを達成するために生まれたものだ。人がひとりだけでできることには限りがあるから、他者と協働しようというモチベーションが働く。つまり、会社組織というのは本来、目的達成の道具にすぎない。この組織に、ある種のまとまりと目的意識を生み出す仕組みが「システム」なのである。システムの中の構成員は、いちいちトップにお伺いを立てたり、自分であれこれ考えて悩まなくても、与えられた権限と役割の中で、責任を果たせばよい。こうして良いシステムは、組織に有用性と効率と安定性をもたらす。結果として、すぐれた業績を中長期的に生み出す。たとえば『トヨタ生産システム』なんかを思ってみるといい。

ところが、システムは、放置しておくと次第に統合性を失っていく。あるいは、暴君が私利私欲のために乱用するとこわれていく。なぜなら、システムを支えているのは、経営者の指し示す共通目的と、各人が「この組織に貢献すれば、最終的には自分の人生にも益になるはずだ」という協働意識だからである。システムが壊れて共通目的や協働意識が薄くなると、各部門・各組織が、それぞれの存続だけを自己目的とし、自己の報酬を最大化しようとふるまう、いわゆる『局所最適病』に陥る。組織全体は方向感覚も安定性もうしない、荒波にもまれる木の葉のごとく、成果も外界まかせで浮沈が激しくなる。

もちろん、システムを設計するのは経営者の役目である。だが、小さな家でも設計図を書くより建てる方が、ずっと時間がかかる。ましてシステムは、組織一人一人の行動レベルにまで浸透して、はじめて成立する。だから、これを立て直すのはとても時間のかかる作業である。それまでは、業績の浮沈も覚悟しなければならない。

以上の考えを、三つのアンチテーゼにまとめると、次のようになる:

(1) 経営者は大企業を短期間に壊すことはできるが、機能する大組織を短期間に作り上げることは難しい
(2) 中小規模の組織はリーダーの資質やセンスで引っ張ることができる。しかし、大組織を動かしていくのはシステムである。
(3) 短期的な業績は“時の運”に左右されやすい。
(無論、「運も社長の実力のうち」と言うことは可能だが、その運が長く持続可能かは、誰にもわからない)

あいにく、システムは目に見えにくい。とくに外部から見抜くのはなかなか難しい。システムは財務諸表のマクロな指標にも、製造現場のミクロな流れからも、簡単にはつかめない。だから、よく知らない企業の経営者批評の話になると、わたしはにこにこしながら黙って目の前の杯を飲み続けるのである。


<関連エントリ>
 →「問題はミッドスケールのシステムで生じる


by Tomoichi_Sato | 2014-02-09 23:41 | ビジネス | Comments(0)
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