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映画評:「いとしきエブリデイ」「サラエボ、希望の街角」

久しぶりに映画評を二つ。

★★★ いとしきエブリデイ

新百合ヶ丘 アルテリオシネマにて。
監督:マイケル・ウィンターボトム、出演:シャーリー・ヘンダーソン(カレン)、ジョン・シム(イアン)、 ショーン・カークほかカーク家の4兄弟

原題は"Everyday"。
とても素晴らしい。何か大げさな事が起きる訳ではないが、しみじみと心に染みる映画だった。
5年間かけて、ある家族の年月を描く。冒頭、母が子ども達を連れてロンドンまで行く。建物の入口で、刑務所に収監されている父に会いにきたことが説明抜きで観客に分かる。子どもが面会ホールの父親に駆け寄るシーンの撮影が素晴らしい。父の長い不在を耐えつつ、4人の小さな子ども達が、本当に少しずつ成長していく姿を追って、まるでドキュメンタリーのような味わいがある。マイケル・ナイマンの音楽も文句無しに美しい。

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★★★ サラエボ、希望の街角
BSにて。
監督:ヤスミラ・ジュバニッチ、出演:ズリンカ・ツヴィテシッチ(ルナ)、レオン・ルチェフ(アマル)、エルミン・ブラヴォ(バフリヤ)ほか

昨年秋、縁があってクロアチアに行った。旧ユーゴスラビアは初めてだ。ユーゴ崩壊後の内戦から20年あまり。街はもちろん復興していたが、それでも塔の上から家々の瓦を見下ろすと、新旧まだら模様の色の違いに、砲撃戦の傷跡をうかがうことができた。

サラエボはその隣、ボスニア・ヘルツェゴビナの古い首都だ。ここはクロアチア系とセルビア系とイスラム系の三民族が相争った場所でもある(三つの民族と行っても、言葉は事実上同じだし、風俗も習慣も文化も共通していて、外見ではほとんど分からない)。この映画は、その街で暮らすルナとアマルの男女二人の、すれ違っていく生活を描いていく。ルナは飛行機のキャビン・アテンダントとして働いている。パートナーの男性アマルは管制塔の職員だが、勤務中の飲酒をとがめられて職を解かれる。アル中になりかけているのだ。しかし、彼はかつて内戦の時には国軍の勇士であった。

物語が進む内に、しだいに彼らは二人ともイスラム系であることが判ってくる。そして、アマルはかつての戦友に再会することで、そのすすめに従って街から遠く離れた湖畔のキャンプで働くことになる。そのキャンプは、じつは超保守派のイスラム教徒の共同生活キャンプであった。男女は別に暮らし、女性は(中東で見かけるような)黒い衣で全身を覆っている。そして彼も次第に影響されるようになる・・。一方、ルナの方は、祖母を訪れて面倒を見ているのだが、かつて内戦で故郷の家を追われ、両親も殺されたことが会話を通して観客にも分かってくる。そして、彼女はかつて自分が子ども時代に暮らしたその家をもう一度、一目見たいと願って、今は一応平和な故郷の地に向かうのだが・・。

この映画の主要な魅力は、ルナを演じるズリンカ・ツヴィテシッチの、女優としての美しさにある。ジュバニッチ監督は、それを控えめな演出で見事に写し取ってくれた。

それにしても、ボスニアとはなんと難しい社会だろうか。国を三つに分断した内戦から10年たち、20年たっても、まだ人々はその傷に苦しんでいるのだ。そして、近親憎悪にも似た感情を互いに抱えつつ、共存を図らなくてはいけない。自分のアイデンティティ、自尊感情の根拠は、出自の氏族であり地域であり、宗教である。だが長き共産主義の時代をくぐり、今は工業化した社会で、宗教だけに純粋に頼るのも難しい。

この映画の原題は「途上にて」。そして、登場人物達は、誰もが何かを探している途上にある。それは内戦を経て失ってしまった何かなのだ。主人公の男性アマルが最初アル中だったのも、その代わりに復古主義的な宗教に頼るのも、何かをずっと探しているからだ。彼は最初、自分自身を許せずにおり、キャンプから戻ってからは他人を許せなくなっている。そのことがパートナーとの溝をつくる原因であるにもかかわらず。ルナの方は、ずっと不妊の治療を受けているが、これもまた自分にとっての探し物であった。子供たちを殺された祖母も、宗教キャンプに誘うかつての戦友も(彼がモスクで唄うボスニアの古い歌は本当に美しい)、皆が探し物の途上なのだ。だから、これを「サラエボ、希望の街」と訳した配給会社は、ある意味でとても偉いと思う。



by Tomoichi_Sato | 2014-01-06 20:23 | 映画評・音楽評 | Comments(0)
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