担当者が問題状況に陥ったら、プロマネがカバーに入るべきか?

プロジェクト・マネジメントの講義で、学生に進捗管理について教えていた時のことだ。進捗とは、これまで消化した予算の比率で計ってはいけない。「あとどれくらい仕事が残っているか」で計るべきものである。いつもの持論を、わたしは説いた。進捗管理の最大の目的は、“仕事はいつ終わるのか、あとどれくらいのコストで終わるのか”を予測することにあるからだ。

マラソンにたとえるなら、スタート地点からゴール地点まで約42kmあるが、そのちょうど中間、折り返し点のマイルストーンがある。ここに到達した人は、それまでまっすぐ走ってこようと、多少脇道にそれて余計な距離を走った人も、あるいは道に迷ってさんざん遠回りした人も、等しく進捗率50%だ。なぜなら、残りの距離は誰にとっても同じ21kmなのだから。もしも、仕事の進捗を問われて、「これまで自分はどれだけ努力したか」を答える人がいるならば、その人は進捗の意味を誤解しているか、ないしは遅れを自覚して言い訳しているか、どちらかだろう。--そう、説明した。

すると、学生から質問があった。「問題を起こして後ろめたいから、自分の努力を必死にいいつのる人は、たしかに見かけます。そういった状況になった場合は、プロジェクト・マネージャーが進捗のカバーに入るべきなのですか?」

これは面白い質問である。マネジメントの問題には一般に『正解』はない。だから答えは、プロジェクトの状況による。では、どのような状況の時にはプロマネがカバーに入り、どんな場合にはカバーすべきではないのか。

まず一つには、プロジェクトの種類による。種類とは、規模と専門分化の程度、という意味である。数人からせいぜい10人程度の、同等(同じ職種)の仲間によるチームの場合ならば、プロマネが問題状況に陥った担当者の仕事を、分担して手伝うこともあるだろう。同等の職種といっても、それが100人規模だったら、そうはいくまい。その規模になったら、マネジメントの仕事は専任でフルタイムでやっても追いつかないから、とても人の仕事まで手を出す暇はなくなる。

もうひとつ、専門分化が進んで、幅広い職種を要するタイプのプロジェクトでも、カバーは困難である。学生オーケストラを考えてほしい。かりにオーボエ奏者の練習が遅れていたからといって、指揮者がオーボエをかわりに吹く訳にはいかない。専門分化と職務分担がはっきりしているからである。

指揮者が直接、仕事を手伝えない場合はどうするか。もし予算にまだ余裕(=すなわち予備費)があるなら、外部からエキストラの援軍を連れてくる、あるいはコーチを短期間依頼するかで解決するだろう。もしスケジュールに余裕(=すなわちフロート日数)があるなら、少しでも練習とリワーク(やり直し)の時間を与えるだろう。

それでも、本番演奏で失敗する危険性はないのか? --そのリスクは、だれにでも、常にある。決してゼロにはできない。失敗のリスクは、「受け入れ可能なレベルまで下げる努力をする」しかないのだ。

そのためには、部下に育ってもらう必要がある。

だから、この学生の質問は、かなり奥深い問題を突いていることになる。結局、人の能力の制約によって問題状況が生じたら、リトライの機会を与えて、その人が育つことを優先すべきか、プロジェクトの早期・予算内の完成を優先させるか(その場合は担当者を入れ替えることになる)、二つに一つである。それを、個別の局面で判断しながら、進めていくしかない。もちろんそのためには、問題状況に陥ったActivityのコストやスケジュールの状況と、全体への影響度合いが、プロマネにちゃんと見えていなければいけない。

人が育つプロセスというのは、ほんとうに難しい。「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があるが、自分で子どもを育ててみると、成長を心待ちにする心境はよく分かる。と同時に、「這えば立たせ、立てば歩ませ」ではない点にあらためて感心する。“何々させる~”という使役ではなくて、“何々する”という自動詞の期待形になっているところがポイントだ。子どもは、自分の体で学ぶしかないのだ。今どきの世の中は教育システムにご熱心だが、子どもに、歩き方を言語で伝達したり、ビデオやe-Learningシステムの画面を見せたりして、それで歩けるようになるだろうか? 

そして、子どもが自分で歩き方を学ぶためには、二つ、大事な条件がある。

まず、大人や年上の兄姉たちはみんな、ちゃんと歩いたり走ったりできることを、子どもが見て、自分もそうなりたい、と感じることである。つまり、あこがれたり真似したりする対象、「ロールモデル」が必要なのである。

もう一つ、大事な条件がある。子どもは、一度も転ばずに、歩くことを学ぶことはできない。だから、学ぶためには、安全に転べる環境を大人が気づかってやることが必要なのである。

人が何かを学んで育つためには、安全に失敗できる環境がいる。前にも書いたことだが、スキーやスケートでは、初心者は安全に転ぶ練習を最初に学ぶ。転ばずに上達できる人はいない。最初は必ず何度も転ぶのだ。そのとき、頭や腰をひどく打ったりしないために、どんな姿勢で転べば安全か、まずそれを教えるのである。

「失敗は決して許されない」--そんな組織や環境では、人は育たない。減点主義や完全主義的な制度のどこがまずいかというと、人が育つことを阻害する点なのだ。もうだいぶん以前のことになるが、ある大手銀行の人が、人事評価の仕組みに関連して、ゴルフに喩えながら「最初のホールからOBを叩いた人には(出世競争から)どいていただく。あとに続く優秀な人はいくらでもいるのだから」と、経済メディアで語っていたことを、わたしは今でも忘れない。その銀行がバブル崩壊後の失われた20年を、どんなにもみくちゃになって過ごしたかは語るまい。ただ、そんな職場に働く身分でなくてよかったと思うだけだ。

プロジェクトにおていは、上に述べたように、コストも納期もまったく余裕が無い状況では、人は育たない。そういうキツい仕事も、無論、ときにはあるだろう。そういうキツさの中で磨かれる部分もあることは、認めよう。だが、転んだら最後、二度と立ち上がれない場所ばかりでは、子どもは歩くことを学べない。「転んでも立ち上がれる」状況をつくって、はじめて人は大きくなれるのだ。

キャリアパスだって、同じである。固定的でなく、複線型の方がいい。“最近の若い人は、一度でも失敗して、自分が描くキャリアパスのイメージから外れそうになると、もう職場で働く気力をなくすことが少なくない”と、人事系の専門家がボヤいているのを聞いたことがある。たぶん今の教育制度が、若い人にそういった観念を押し付けているのだろう。

そして、「ちゃんと元気に歩いたり走ったりしている、楽しそうな大人」(ロールモデル)がいなかったら、人は育たない。それはつまり、「生き生きと仕事をしている、楽しそうな上司や先輩」のことである。

自分が育たないような環境で、誰が働き続けたいだろうか? わたしはいやだし、自分の子供がそんな職場で働くのは、もっといやだ。現代の就活生に「即戦力」を求める組織は、このことをよく考えた方がいいと思う。


<関連エントリ>
 →「進捗管理とは何か?
by Tomoichi_Sato | 2013-11-23 22:25 | ビジネス | Comments(0)
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