映画評:「風立ちぬ」

スーパーの中で荒井由美の「ひこうき雲」が流れていた。宮崎駿の映画『風立ちぬ』の主題歌(エンディング・テーマ)として使われているからだろう。1973年、今からちょうど40年前の曲である。

若い頃の荒井由美は歌詞がとてもうまい。説明的なことはすべて省いて、それでも聴いている者にはその情景が思い浮かぶ。そういう詩的な才がある。「白い坂道が 空まで続いていた ゆらゆら陽炎が あの子をつつむ」ではじまるこの歌は、とても静かな曲である。歌詞のキーは、“他の人には分からない” だ。「分からない」という言葉だけは2回繰り返され、「・・けれど、幸せ」とつづく。

この曲は、他人には分からない、孤独な世界で、それでも幸せという感情を唄っている。それは、「みなが分かり合い、みんな一緒に幸せになれる」と信じていた'67年〜'71年までの、若者の反抗の時代が終わった後につくられた、心の歌だ。いかにも、宮崎駿の最後の映画にふさわしい幕切れではないか。

風立ちぬ』を映画館で見てきた。いろいろな意見や感想があるが、わたしは楽しんだ。少なくとも、映画館でロードショウの代金を払って見るには値する。ゼロ戦の設計者が主人公の、実話に基づく映画ということで、大画面にたくさんゼロ戦が飛び交う、飛翔感あふれるシーンを期待して見に行った人たちは、たしかにがっかりしたろう。ゼロ戦はほんのちょっぴりしか出てこない。かわりに、中盤かなり長々と、主人公と、結婚相手となるヒロインとの話が続く。宮崎駿って、夫婦の物語を描きたかったのかあ。そう思って、ちょっと驚いた。

おまけに、この映画には飛行機自体はたくさん出てくるが、飛翔感はきわめて乏しい。ほとんどのシーンは仰角で、地上から見上げているからだ。いや、普通の人物のシーンでさえ、宮崎映画では異例なほど、仰角による下からのアングルが多い。映画評論家の佐藤忠男の本で読んだが、上から人々を見下ろすアングルは神の視点をあらわし、仰角で見上げるアングルは、押し迫る運命に雄々しく立ち上がる人を描くときに、つかわれることが多いらしい。

若い頃の宮崎映画は、意に染まぬ相手を強いられ、耐える女の子を描いてきた。「カリオストロ」しかり、「ラピュタ」しかり。この映画でも、結核という不治の病に苦しむ女性をえがいてはいる。だが、それでも思いを遂げて、大好きな主人公と結ばれる。そこが、大事な点だ。宮崎駿自身は70才をこえた今でも毎日、愛妻弁当をもって仕事場に行くのだそうだが、ようやっと、夫婦の話をかく気持ちになったのかもしれない。

この映画を面白いと感じたもう一つの大きな理由は、機械エンジニアが主人公になっている点だ。現代のドラマや劇や映画で、エンジニアが主人公のものがどれだけあるだろうか? エンジニアはとっくの昔に、「かっこいい」職業から脱落してしまったのだ。しかしこの映画では、そのエンジニアの生活、夢、悩み、組織などが語られていく。アイデアのひらめき、計算の忍耐力、配下の作業者達を引っ張る力、そして、こいつにならば賭けてみようと上司や顧客や投資家に思わせる説得力。こうしたものが、優秀なエンジニアの特質だ。とくに航空工学は、構造と機能を「形」で橋渡ししなければならない。このため、建築や土木などと並んで、デザイナーという職業にむしろ共通な点が多い。ここに、この物語の最大のポイントがある。

宮崎駿の引退記者会見を読むと、この人は自分を何よりアニメーターとして任じていることが分かる。アニメーション監督にはいろいろなスタイルがある。同僚の高畑勲監督は演出をやりたくてこの世界に入った人だが、自分は絵を描くことが原点にある。そういう意味のことをいっている。原作・脚本・監督を兼ねる宮崎という人は、ストーリーの結末がどうなるか自分でも知らないまま、映画を作っていくらしい。そして絵コンテを自分で描きながら、1シーン1シーン考えてつないでいく。この映画の中で、三菱内燃機に就職したばかりの主人公二郎に対し、上司が「すぐ製図台に向かって図面を書いてくれ」と命じ、その後ろから「出図が足りなくて製作班の手が止まりそうです」と声がかかるシーンがあるが、これはまさにジブリの中で、宮崎の絵コンテをめぐって起きている騒動の戯画なのだろう。

アニメーターは単純な職業で、今日は風をうまく表現できた、光の反射がうまく描けた、それだけで2〜3日は幸せになれるのがアニメーターだとも彼は言っている。じっさい、この映画は、ありとあらゆる種類の風の表現に満ちている。草むらを分けて吹いてゆく風、帽子や傘を飛ばす風、紙ひこうきの風の揺らめき・・。ちょうど前作「崖の上のポニョ」が、水の表現の集大成だったのと好対照だ。

そして、人々がまだしも穏やかだった時代の、礼儀を含むゆったりした時間の流れ。これをアニメーションで描けるのは、もう宮崎という人の他にはいなくなってしまった。だからこそ、結末に向けた求心力の強いストーリーではなく、エピソードを淡々と重ねていくスタイルが似合っているのだろう。

夢は狂気をはらむ。美に傾く代償は少なくない」と企画書の中で、彼は書く。それを知りながら、なおかつ最高の設計、最良の表現を求めて、主人公もヒロインも(そして作者も)駆け抜けた。だから、どんな結末になろうとも、この映画は「けれど、幸せ」と歌って消えていくのかもしれない。まさに、ひこうき雲のように。
by Tomoichi_Sato | 2013-09-14 00:41 | 映画評・音楽評 | Comments(0)
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