人事評価におけるトレードオフ問題--業績と能力のどちらを重視すべきなのか

将棋の第54期王位戦は、羽生善治・現王位の先手・第一勝ではじまった。第2戦も羽生が勝ったが、第3戦は挑戦者の行方尚史八段が逆転勝利。第4戦はまた羽生が制して、まさに王位に「王手」をかけた状態にある。さて、羽生と行方八段は、どちらの方が能力が上だろうか?

将棋という競技は、ポーカーや麻雀などと違って、偶然性に左右される部分がまったくないゲームである。そこでは純粋に知力だけが勝負を決める。麻雀のように偶然が支配的なゲームの場合にも、もちろん上手下手は存在するが、その能力はただ1回の勝負だけでは決められない。下手がその時だけ運にめぐまれて勝つことがあるからだ。しかし、囲碁や将棋はちがう。だったら、なぜプロの将棋のタイトルは7連戦もするのか。放映権を持つTV局の陰謀なのか。

もちろん、ファンはその理由を知っている。たとえプロの棋士といえど、その日その時々での調子のブレがあるのだ。将棋は盤面が狭く、紙一重の差で勝敗が決する。わずかな体調、疲れ、気負い、おごりなどで集中力を欠いた手を打つと、それが結果に現れる。だから、そうしたブレの影響がならされるように、7回もの(ある意味では長丁場の)戦いによって、その能力の優劣を決めるのだ。

ここから教訓にできることが一つある。どんなに純粋に能力だけの勝負であっても、短期的には結果のブレが生じるということだ。それは天候や開催地などの外部環境、そして体調や気分といった内部環境からくる微妙な攪乱で引き起こされる。まして、もっとずっと環境要因に左右されやすいビジネスの世界では、これが顕著になる。人の能力は、短期的な業績だけでははかれないのだ。

ここで「短期」というのは、3日くらいのことをいうのか、それとも3週間なのか、3ヶ月なのか? 答えは、仕事の種類による。タクシーの運転手なら、3日あれば十分に成果を測ることができそうだ。セールスなら、業種にもよるが、案件は1~2ヶ月でだいたい決するだろう。もちろん、職位にもよる。営業部門長だったら、単発案件ではなく部門全体の受注額がモノサシになるから、3ヶ月では短期だと思うかもしれない。ちなみに、わたしが普段関わっているエンジニアリング系のプロジェクトとなると、終わるまで平気で3年も4年もかかるから、1年だってある意味、短期だ。

どんな職位の仕事にも、安定した結果が出るまでにかかる期間の目安がある。(理系の人向けに分かりやすくいうと、制御工学の用語でいう固有の『時定数』があるわけだ。時定数とは、ごく簡単にいうと、あるシステムが外乱を受けてから安定した状態に戻るまでの時間である。そして時定数より短い時間を「短期」と考える)。業績は短期でも測れるが、それは能力だけで決まるわけではない。ちょうど将棋の第1戦だけで王位を決めないように。

では『能力』とは一体なにをさすのか? これは逆から考えてみるとわかる。能力とは、確率なのである。ある目標値を、どれだけの確率で達成できるかを示す言葉が、能力なのだ。将棋なら、勝率と言ってもいい。野球だったら、打率や防御率(これも一種の確率的な指標だ)。「彼はここぞという時にホームランを打つ能力がある」というのは、「一度ホームランをうった実績がある」でも「100%ホームランを打つ」でもなく、そうした状況でホームランを打つ確率が(他に比べて)、有意に高いことを言っている。

このように、能力を客観的に測るのは、時間がかかるし難しい。本当のプロならば、他人のスイングフォームや1打席のバッティングを見ただけで、およその能力評価はできるかもしれない。だが変転目まぐるしいビジネス界では、本当のプロがそうそういる訳でもない。

そこで登場したのが、人事評価における『成果主義』であった。成果主義にはいろいろなバリエーションがあるが、多くは「成果に結びつく行動を評価する」という考えをとる。こうすれば、潜在的で測りにくい能力の評価にたよらず、外部に見える行動で評価できる、と考える(まあ、中には、単なる業績結果だけで測る『結果主義』評価もあるが)。ちなみに余談だが、この発想の背景には、アメリカの行動主義の影響があるようにわたしは感じる。行動主義とは、「心理学は記憶や感情といった主観的なものを研究対象とするのをやめて、行動という客観的で目に見えるものだけを研究対象とする科学になるべきだ」、という主張である。

ところで、この成果主義による人事評価が、様々な批判にまみれたのは周知の通りだ。Wikipedia にも解説があるから詳細は略すが、成果主義には根本的な課題が二つあった。
(1) 成果はどうしても短期的な変動にさらされやすく、運・不運を排除できない
(2) 組織的な仕事においては、個人の成果と組織全体の業績の関係が判然とせず、結果として「成果」のモノサシの置き方が恣意的になりやすい

この(1)については、またちょっと理科系的な説明を加えておこう(自分は根っから文系だと思う人は、以下数行はとばし読みしてもいい)。上で述べた考え方は、いわば次のように定式化できる:

 個人の短期的な業績 = f(個人の能力、制約条件、環境の変動)

ここで制約条件とは、その人に与えられた権限の範囲(自由度)や予算などを示し、また環境の変動は、仕事に降りかかってきた外乱や内部攪乱因子を指す。もしfの関数型が正確に分かれば、能力と成果はどちらか一つを測ればいいわけだが、むろん簡単ではない。(理系風説明おわり)

かくして、われわれは前回の最後に紹介したトレードオフの問題にたどり着く。能力は潜在的で測りにくい。成果はばらつきが大きい。人事評価ではどちらを重視すべきなのか。

この問題を解決するためには、そもそも「人事評価」の目的は何だったかを考える必要がある。人事考課は、賞与の査定や昇級・昇格などに用いられる、と前に書いた。ところで、「ある人の賞与を決める」ことと「ある人のポジションを決める」のは、じつは別のことではないか。賞与というのは、個人が直近の過去に行った貢献への報酬である。他方、ポジションを決めることは、未来の可能性について個人に賭けることを意味する。(ここでいうポジションとは、課長と係長とかいうグレードのことだけでなく、どの職種や役割をまかせるかという一般的な意味で使っている)。未来と過去と、二つのことを同じモノサシで測ろうとするから、矛盾が生じるのだ。

である以上、答えは明白だ。

「過去に属すること、すなわち賞与の査定においては、個人の業績によって報いる。未来に属すること、すなわちポジジョン決定においては、個人の能力によって決める。」

運がよくて業績を上げることができた人の場合は、報奨を与える。企業全体は業績(利益)を求めて活動しているのだから、貢献に報いるのは当然である。他方、もし能力があり努力したのに、運が無くて業績につながらなかったら--そのときは、能力の評価を記録し、将来のポジショニングに用いる。

このような制度設計の下では、武運つたなく失敗した人にも、次の機会が与えられることになる。失敗をも許容する、「チャレンジ精神の可能な組織」になるわけだ。よくあるような、“運がよい人はさらに報い、運の無い人はさらに罰する”評価の仕組みだと、社内は「勝ち組」と「負け組」に分断され、大勢のモチベーションが削がれていく。こうしたおかしなことは、起こらなくなる。

その上で、もし、どうしても人事的な「総合点」をつけたければ、以前「逆張りで成功した部下は、どう評価すべきか」に書いたように、その職位によって「業績」と「能力」のブレンド比率を変えればよい。上に行けば行くほど、「業績」のウェイトを高くする。下の方の職位では、定められたプロセスやフォームをどれだけ身につけているか(=能力)の比重を大きくする。

ところで、C:A:PモデルのA(態度)は、どこに行ったのか? じつは態度とは、より一般化するならば、「個人の行動の方向性が、組織の目指す方向性と合致する程度」をあらわす指標である、と考えられる。すると(また理科系的な説明を我慢していただくとして)

 組織の業績 = g(各人の能力、各人の態度、組織レベルの制約条件)

と定式化したとき、態度は、個人の業績と組織の業績をむすびつけるファクターになる。このgは合成的な関数で、単なる足し算Σではないが、態度がバラバラだと全体の業績が上がらないような形になっているはずである。

そして、わたしがこのところずっと個人的に研究してきたのは、プロジェクトとかプログラムといった種類の仕事の業績が、それを構成する各アクティビティの貢献とどう関係するかであった。たとえていうなれば、g関数の構造を考えてきたわけだ。その研究の萌芽的な成果は、「プロジェクトにおけるタスクの価値を計算する」「プロジェクト貢献価値の理論」などでかつて簡単に説明したが、まだまだ解明すべき問題はたくさんある。とても一人で解ききれる問題とも思えない。

だからわたしは、こういうサイトに書いたり、あるいは「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」などの活動を通して、一緒に考えてくれる同志を探しつづけているのである。


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プロジェクトにおけるタスクの価値を計算する
プロジェクト貢献価値の理論
by Tomoichi_Sato | 2013-08-18 21:36 | ビジネス | Comments(0)
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