人事評価とはどういう仕事か--『C:A:Pモデル』による分析の試み

中間管理職になってからそれなりの時間がたつが、人の評価というのはいまだに不得手である。毎年回ってくる、人事評定と呼ばれる仕事のことだ。部下を面接し、その目標や達成度や希望やら不満やらを聞いて、それからおもむろに机に向かって、その人の評点をつける。面接自体はそれほど苦にならないが、評価がいつも難しい。その昔、面接で自分が上司に訴えるだけですんだ頃に比べると、とても気の重い仕事である。自分の評価した結果が、直接、その人のボーナス査定や昇進につながるからだ。

まあ、わたしの職場の場合、自分の決めた評点が最終値となるわけではなく、さらに上司やもっと上での調整・決定が行われるので、少しは責任が軽いと言えるかもしれない。ただ、査定が決まった後、今度は管理職は部下にそれを伝えなければならない。当然、(なぜ自分の努力はこれしか報われないのですか?)と、全員の目が訴えてくる。自分だってそうだったのだから、もちろん気持ちはよく分かる。

だいたい、“自分は会社から十分に評価されています”なんて感じているサラリーマンは、めったにいないのだ。いや、経営者だって、“自分は株主や世間から十分に感謝されていない”と思っているのかもしれぬ。それどころか、たとえ総理大臣になった人でさえ、経験者に聞けば十人が十人、「自分は不当な評価しか受けなかった」と言うにきまっている。人間とは、そういう生きものなのだろう。

だから、人事評価というのは決して感謝されず、尊敬もされない仕事なのだ。だったらいっそのこと、面倒な査定なんか全廃して、全員に同じ評点をつけてやれば、ずいぶん仕事のムダが減って効率アップではないか。

だが、そうならないのには理由がある。人事評価は、サラリーマンの世界では、人を動かす最大のウェポン(武器)だからだ。口先でいくらいっても、部下はなかなか動かない。皆、それぞれに意見があるからだ。しかし、“この方針にしたがえば査定で有利になる”というメッセージが伝わると、ほぼ全員がそろって従うようになる。人を動かす力として、リーダーシップがくり出すのは「影響力」や「統率力」だが、人事評価は「強制力」なのである。このため、どの組織でも人事評価の方法には非常に神経を使っている。

ところで、わたしの考えでは、人の評価にはふつう三種類の指標(モノサシ)が用いられる(なお、これ以降はわたし個人の考察であり、べつに勤務先の事情を述べているのではない。念のため)。
そのモノサシとは、以下の三つだ:

(1)能力
(2)態度
(3)業績

用語については、バリエーションがいろいろある。能力は、最近では「コンピテンシー」と呼ぶのがはやりである。態度は、「勤務態度」が普通の呼び方だろうか。「業績」のかわりに「実績」とか「成果」「結果」「成績」「パフォーマンス」などと呼ぶ職場もあるだろう。対応する英語もいろいろだが、ここでは (1)Capability, (2)Attitude, (3)Performance results としておく。頭文字をとるとC, A, Pである。

人事評価のあり方は、この3つのモノサシにかける比重の違いであらわせると、考えられる。たとえば、能力(C)が40%、態度(A)と業績(P)が30%ずつのウェイトならば、C:A:P=40:30:30ということになる。もっと能力点の比重が高いところは、C:A:P=60:20:20になるだろう。かりにC, A, Pそれぞれを頂点にとって三角形を描けば、各評価制度はその内部の一点として表せる。そこで、これを人事評価のC:A:Pモデル、と呼ぶことにする。

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ところで、『年功』というモノサシはどうするのか? と疑問を持つ方もおられるかもしれぬ。じつは日本の年功序列制は、「能力は学歴と勤続年数だけで決まる」という、ひどく特殊な信憑の上に成り立っている。だから、一種の極端な能力主義なのである。ただし、能力を客観的に測定・検証しようという意識や仕組みを欠いている点が、いささか不都合と言えよう。また、歳をとると、勤務態度も多少は穏和に、組織順応型になっていく。だから年功序列制はC:A:P=90:10:0 くらいのポジションに位置すると考えていい。

近年、一時もてはやされた、いわゆる『成果主義』とは、従来の年功序列の欠点を反省し、業績(P)のウェイトを大きくして、個人のモチベーションを高めようという考えであった。ただし、これは建前で、本音のところは、高齢化する一方の社員の給与総額をなんとか抑え込むことだった、との批判もしばしば耳にする。とはいえ、成果主義は多くの企業に取り入れられたし、マッキンゼーのように「成果主義は、リーダーシップ育成のための必須の要件である」と信じるコンサルティング会社もある。

成果主義的な評価の一つの極端な例は、歩合制や出来高給である。実績(P)が100%で、あとは0%だ。聞くところによると、タクシーの運転手などは、こうした評価が多いらしい。いや、それだけではない。営業、それも個人営業中心で、あまりチーム・セールスなどを行わない業種では、しばしば営業成績一本やりで評価されるケースをよく耳にする。たとえば受注額とか売上高とかで、毎期の評定が決まる仕組みである。

では、勤務態度に大きな重心を置く評価制度はあるだろうか。わたしはあまり詳しくないが、軍隊、特に兵卒の評価などはそうかもしれない。軍隊組織では、上官の命令は絶対である。それに従うかどうかが兵卒の最大の要件だ。「前に進め!」と号令をかけられたら、頭で是非を判断する前に、反射的に足が前に出る--そういう風に軍隊では訓練を行う。どんなに能力があり、あるいは過去の実戦でたとえ戦果を上げていても、命令に不服従では話にならぬ。こういった評価体系になっているはずだ。

ただし、「能力」「態度」「業績」のモノサシで評価せよ、と言われても、そのままでは漠として手がつけにくい。そこで、気の利いた査定制度では、それぞれの指標(モノサシ)を、さらにサブ指標に要素分解するだろう。たとえば、
 能力:「技術的能力」「計画能力」「コミュニケーション能力」「問題解決能力」など
 態度:「協調性」「勤勉性」「積極性」など
 業績:「受注率」「売上高」「新規顧客獲得数」など(営業職種の場合)
・・などに分けて、それぞれ採点するといった具合だ。このように、対象に対する多角的・階層的なアプローチを行うやり方は、以前も説明したStructured Approachの応用である。

読者諸賢も、ためしに、自分の職場における評価軸のあり方は、CAP比率がどれくらいで、上記の三角形のどのあたりに位置するか、考えてみられたい。たとえば、皆さんの近くに、仕事はできるが、勤務態度は最低だ、という同僚もいるだろう。そう言う人は、どういう処遇を受けているだろうか。

さらに、もし自分が社長だったら、三角形のどのあたりに人事評価のポジションを位置づけるかを想像してみるのも、面白いだろう。

以前、「豹のリーダーシップ、狼のリーダーシップ」にも書いたとおり、組織のマネジメントのあり方は個人主義的なスタイルと集団主義的なスタイルに分かれる。そして人事査定制度のあり方は、組織をどのようにマネジメントしていくかに直結するのである。個人主義的なスタイルは、業績(P)や能力(C)にウェイトが置かれるだろう。集団主義では、態度(A)が重きを置かれる。ただ、今日の企業ではオフィスワーカーが多いため、態度点の比重は軽くなりつつある。ホワイトカラーは考えることが仕事であり、命令されたことに従うだけでは会社が成り立たないからだ。

したがって、現代では能力主義(C)と成果主義(P)の二頂点を結ぶ辺のどこかに、評価制度を位置づけることが多い。ところで、能力は潜在的な特性である。だから、なかなか測りにくい。他方、実績は見えやすいが、外的環境変動(つまり運・不運)の影響を受けやすい。どちらにも人を評価するモノサシとして欠点がある。両者の間のバランスは、とても悩ましいのである。

では、このトレードオフを解決する方法はないのか。じつは、あるのだ。だが例によって長くなってきたので、続きは次回また書こう。


関連エントリ:
→「豹のリーダーシップ、狼のリーダーシップ
→「書評: 『採用基準』 伊賀泰代
by Tomoichi_Sato | 2013-08-10 23:18 | ビジネス | Comments(0)
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