システムとはいったい何を指すのか

まだ駆け出しだった頃、上司との定期面接の席上で、お前は将来どういう職種を目指すのか、とたずねられた。わたしは即座に、『システム・モデラー』になりたいです、と答えた。複雑な対象系を観察・分析して、シンプルな要素に分解し、その間の定量的な関係をつかんで予測や制御や改善を行う。そんな仕事をしたいと考えたのだった。しかし、上司の返答は、「システム・アナリストとかシステム・エンジニアという職種ならあるが、システム・モデラーなどというものはこの会社にはない」というものだった。いや、自分の会社だけではなく、どこを調べてもそんな職種はなさそうだった。

わたしが当時やっていたのは、石油製油所の複雑な装置群の組み合わせを、線形計画法をつかって最適化する仕事だった。化学プラントの設計理論は「プロセス工学」といい、それを設計する職種は「プロセス・エンジニア」と呼ばれる。これは世界共通である。ところでプラントというのは、巨大なシステムであると、わたしは思った。したがってこのような仕事は一種のシステム・エンジニアである、はずだ。だが、世間ではSEという言葉を、もっとずっと狭い意味、つまりコンピュータに直接関わる設計技術者の呼称で使っていた。わたしはそこでシステム・モデラーという用語を思いついたのだった。

もともと会社に入る前、修士論文の研究テーマは、湖沼生態系のシミュレーションだった。わたしの専攻は化学工学だが、当時は環境研究が盛んで、わたしも諏訪湖という、富栄養化現象で非常に問題になったフィールドを選び、その解決法を探ってみた。富栄養化現象とは、過剰に流入する栄養分のおかげで生態系自体のバランスが狂い、植物プランクトンの一種だけが異常繁殖して汚染を起こす現象だ(→「システムが崩壊するとき」参照)。生物学者達は、湖の水質や生物相について几帳面に測定し、膨大なデータを取って蓄積していたが、それをうまく解析できずにいた。わたしは湖自体を、一種の反応装置としてモデル化し、化学工学的手法を応用して、その挙動を予測するシミュレーションを行った。生態系は英語でEcosystemだ。だから、システム・モデラーという発想は、元々わたし自身にとって自然なものだった。

その後、わたしは一時プラント系の分野を離れて、医療だとか都市開発だとか工場の基本計画だとか生産スケジューリングだとかいう仕事に何年間かかかわった。だが、どの分野に行っても、わたしの発想は同じだ。よく分からない、複雑な対象系がある。だれも、全体像をうまく説明できない。それを、いくつかの要素に分解し、それらの間のシンプルな定量的関係式を割り出して、その挙動を予測する。つまりモデリングである。そしてわたしの目からは、いろいろなものが『システム』に見えるのだ。しかし、どうもシステムという用語について、世間とは大きなギャップがあるらしい。では、その違いはどこにあるのか? そもそも世間では、どのようなものをシステムと呼んでいるのか?

わたしが考えるに、「システム」には4つのカテゴリーがある。

最初に、あまりSE職種の人たちには縁のないカテゴリーからはじめよう。たとえば、「明朗会計システム」。どちらかというと、職場よりも歓楽街で見かけそうなシステムだ。これはサービスの対価を計算する方式、手順のことを言っている。それから、在庫管理でよく用いる「ダブルビン・システム」。箱や容器を2個用意しておき、片方を使い切ったら、補充発注する方式だ。安価だが在庫を切らしたくない品目に用いる。デパートなどで見かける、トイレット・ペーパーが上下二段になっているタイプなど、この応用だ。もっと言うと、かんばん方式もこの類縁である。そして、「品質マネジメントシステム」。これらは、とくに物理的実体はない。方式、手順をシステムと呼んでいる。

方式に近い用語として、体系などもシステムと呼ばれる。たとえば、品目コードや装置コードなどの管理番号の付番体系。これは英語でNumbering systemという。さらに、英語にはSystematicsという名の学問もある。何かと思えば、じつは生物の系統分類学だった。

ついでにいうと、実験などの結果を分析する際、なんだか誤差が一方向ばかりに偏っているなあ、と感じるとき、「系統的誤差」Systematic errorがある、という。これら、「方式、手順」「体系、系統分類」「(誤差の)傾向」などは、いずれも物理的な実体を持たない。いわば、人間の認知の中にのみ存在する『システム』である。ここに共通するのは、“ばらばらでない、恣意的でない、ランダムでない組合せ”であって、人間の情報処理の負担を助けてくれることだ。こうしたシステムは、頭の負荷を軽くして、凡人でもそれなりに見通しが立つようにしてくれる。

第2のカテゴリーは、「自然界に生じた、あるいは産まれたもの」である。たとえば、英語でSolar systemとは、太陽系のことである(別に太陽電池のことではない)。さきほどあげた生態系Ecosystemなどもその類で、自然に生じた集合体である。さらに、生物個体も、よく考えてみるとシステムと呼べるだろう。広く用いられるシステムの定義に、「複数の要素が有機的に関係して働きを生みだす」というのがあるが、動物はまさに内臓や筋骨や神経系などが有機的に組み合わさってできている。単細胞生物だって、細胞内小器官という内部要素をもっている。英語では、自分自身の身体のことをMy systemと呼んだりすることがあるから、そうとっぴではあるまい。

第3のカテゴリーは、「人間が意図して作り出したもの」である。もしそれが、複数の要素がうまく組み合わさって機能を生みだしているなら、システムと呼んでもおかしくあるまい。

ただ、たとえば「椅子はシステムだ、なぜなら4本の脚と座面と背もたれという要素が組み合わさって、座る道具としての機能を生んでいるから」といわれても、納得できる人は少ない。どうも、静的な道具はあまりシステムとして認識されにくいようだ。では、動的な機構を持つ道具はどうか。たとえば、100年近く前の旧型自動車。たしかにエンジン・タイヤそのほかの部品を組み合わせて、移動という機能を生みだしている。わたしは「システム」と呼んでもいいように思うのだが、世間ではそう見ないようだ。

それでは、米国の国勢調査の集計のためにHollerithが考案したパンチカード・マシンはどうか。彼の発明がのちにIBMを生み、また計算機の端末の横幅は80文字、という伝統を生みだした。電気と機械工学の粋で、立派な仕組みである。少なくとも彼自身は「システム」と呼んでいる。

わたしの考えでは、人間が生みだした道具の内、自動制御機構か情報処理機構を持つものを、世間では「システム」と呼ぶ傾向が強いようだ。Hollerithのマシンはその境界線上にある。上に述べたように、化学プラントは制御の機構を持っており、システムと呼ばれてもおかしくない(Process systemという用語はある)。あるいは、ジェームズ・ワットの蒸気機関。産業革命のきっかけとなった彼の機械は、それ以前のニューコメンの蒸気機関などと異なり、巧妙な出力安定化の機構が組み込まれていた。システムの先駆けであろう。それから、かつての電話網。機械式交換器による回線接続の制御が確立した時点で、ネットワーク・システムになったと考えていいと思う。

しかし、現在のところ「システム」の名をほぼ独占しているのは、情報処理機構を中心とした道具である。それが計算機 Computer systemであり、情報システムInformation systemというわけだ。

さらに計算機が自動制御用途に応用されるに及んで、「制御と情報処理の機構を持つ道具」がどんどん増えてきた。都市交通(電車等)、上水道、給配電などはいずれもその両方をもつ、巨大なシステムである。いま,わたし達の政府が「成長戦略」と呼んで、やっきになって旗を振っている「インフラ・システム輸出」は、このカテゴリーを主に想定している。もちろん、現代的なプラントや工場などの生産システムも、ここに属する。

では、第4のカテゴリーとは? それは、「人間集団から生じた物事」である。たとえば、企業。あるいは、市場。それから、医療などもそうだ。これらは、複数の要素が複雑に関係し合って、ある目的に奉仕する仕組みである。だから、『システム』として認識してしかるべきだと、わたしは思う。これらが第3カテゴリーの道具類と違うのは、必ずしも誰か特定少数者が「意図して作り出した」ものとは限らない点だ。第4カテゴリーのやっかいな点、と同時に面白い点は、多数の人間がかかわっていて、設計や意思決定が単独で行われないことにある。

このカテゴリーの中には、さらに抽象的なシステム群がある。それは、「ルールはあるが自明な目的が存在しないもの」で、その例は、家族、言語、文化などである。こうしたものをシステムと認知しているのは一部の学者のみで、世間の大多数はそういう目では見ないだろう。ただ、たとえば社会学者パーソンズのSocial Systems論などのように、システムの視点ではじめて見えてくるものが、たしかにあるのだ。

上述のカテゴリーを図の形に示しておく(作図にはFreeMindというソフトを使用した)。これも体系分類の一種だから、「Systemsのシステム図」ということになるだろうか。世間であまり「システム」と呼ばれないものは、グレーアウトして表示している。

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最初の話に戻ると、システム・モデラーという職名はやむなく一時断念することにした。世間にちっとも通じないからだ。その後しばらくは、「システム・アナリスト」を名乗ったりもした。だが、あいにく情報処理技術者のSAの資格を持っている訳ではないし、そもそもシステム分析家という呼び方にすこしだけひっかかりがあった。システム・アナリストの分析する対象は何なのだ。情報システムか? すでにできあがった情報システムを分析して何が面白いのか? そうではあるまい。この名称は、たぶん「情報システムにのせる」ために業務を「分析する」人のことだ。だとしたら名前が、少しずれている。わたしがなりたかったのは、あくまでモデラーなのだ。

今は、わたしは「プロジェクト・アナリスト」だと名乗っている。ただしこの職名も、勤務先には存在しない。だから著書やホームページで勝手にそう名乗るだけで、名刺には書いていない。ただPMO部門にいたから、こう書くのはそれほど矛盾していないとは思う。世間の考える(狭義の)「システム」と、自分の理解する(広義の)「システム」のギャップが埋まるまでは、あこがれであった「システム・モデラー」の職名は、ずっと棚上げのままである。


<関連エントリ>
→「システムが崩壊するとき
by Tomoichi_Sato | 2013-08-01 23:46 | 考えるヒント | Comments(0)
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