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組織のスケールアップと変曲点

「ご趣味は?」ときかれたら、「音楽です。」と答えることにしている。「どんな音楽がお好きなんですか」とさらに質問されたら、「別にこだわりなく、何でも聴きます。やる方で言えば、素人コーラスが趣味でして」と答えるだろうか。合唱で歌を唄うというのは、いかにも中産階級的で、室内派的な道楽だ。ダイビングとかヨットとか、もっと活動的でリッチな趣味だったらかっこいいのだが、あいにくアウトドア派ではない。

ここ何年かは、荻窪を中心に活動する小さな男声アンサンブルに所属している。メンバーは今のところわずか6人。指導の先生を入れて7人。これくらい小さなグループだと、あまり組織といえるほどのものはない。広報、渉外、楽譜の手配、合宿、会計、そして演奏会の準備など、みな手分けしてやっている。一応、対外的な書面上ではリーダーがいるが、ほとんど実際の運営上はみな対等である。手が空いたら他の仕事も手伝う。あまり専門分化しておらず、フラットな人間集団である。学者だったら、「ネットワーク型の組織」だとか名付けるのだろうか。

(ところで、まるきり余談だが、もし少人数の男声アンサンブルでやさしい曲を歌ってみたいという方がいらっしゃったら、ぜひご参加ください。「せめて各パート2人は欲しいよね」などと言い合っているのです。詳細はホームページ「アンサンブル・ハイブリッジ」まで)

さて、話を元に戻すと、会社形態になっても事情は似たようなものらしい。先日、高校時代の旧友がはじめた電子出版の会社に遊びに行った。友人が社長で、ほかに3名ほどのスタッフがいる。だが、これくらい小さな組織では、社長も当然ながら、編集そのほか自分でいろいろ手を動かさなければならないはずだ。社員はみな、何でもやらざるをえず、その結果、多能工的に動く。

ただ、会社がもう少し成長して、人数も増えていった場合は、少しずつ担当が専門分化していくだろう。また、皆に共通な『雑用』的な仕事は、くくりだして誰かひとりが受け持つ方が効率的だと気がつく。そして、対外的な責任者としての顔、あるいはいろいろな局面での決断、などの必要から、次第にリーダー役の重要性が大きくなっていく。数人のころは皆で相談して決められるだろうが、しだいにスタッフ全員が同時に顔を合わせられる時間が減っていく。必然的に、「会議」を設定せざるを得なくなる。会社組織っぽくなっていくわけだ。

それでは、組織がほんの数人規模からスケールアップしていったとき、「専任のマネジメント職」が必要になるのは、どれくらいの規模だろうか? これについては、仕事の種類や複雑さによって、かなり答えはばらつくに違いない。ホワイトカラー的な、つまり(一応)知的な職種か、コールセンター的な、やや繰返し的な職種か、あるいは製造現場や建設現場での本物の力仕事かで、違いはあると思う。

ただ、わたし自身がかかわってきたプロジェクト的業務の場合、コスト管理や決断・交渉といった「リーダー」的な業務は、ざっくり見積もって、仕事全体の7~8%程度はありそうな気がする。またこれ以外に、「サポート」的な仕事、すなわちオフィス環境の整備だとか伝票・ファイルの整理だとか入出金の事務だとかが、やはり仕事全体の7~8%程度を占めるように感じられる。

つまり、言いかえると、メンバー数が12人から15人程度になると、専任の「リーダー」が一人と、専任の「事務的スタッフ」が一人ずつ、必要になる計算である。それ以下の人数のチームでは、リーダー的な仕事は無論あるが、それは専任一人分の量はない。だからリーダー格の人間が、自分でも設計業務など手を動かしながら、その傍らパートタイム的にマネジメント機能を担うことになる。スポーツにたとえれば「プレイング・マネージャー」の状態である。だが、たぶん15人以上の組織になると、もう兼任はできなくなる。リーダーも設計のレビューなどはやるだろうし、やるべきだが、自分自身で計算したり図面を書いたりする暇はなくなっていく。

もちろんプロジェクトの場合は固定組織と違ってチームの人数が途中で変動するから、ピーク時に15人でも全期間を平均すると10人以下になろう。まあ期間を1年足らずと見て、全体の工数が100人月程度のところに、ある種の変曲点がある。それ以上の規模の仕事では、マネジメントに専任する人がどうしても必要になる。それに、上記の7~8%という数字は、プロジェクトの種類・内容にもよる。ここでは、面倒な顧客で、やれ契約書だやれ進捗レポートだと、事細かく要求してくるようなタイプを想定している(海外顧客は大概これだが)。もっと鷹揚な顧客で、“君に任せておくから好きにやってくれたまえ。代金? 一括先払いしておくよ”、という場合はパーセンテージはずっと小さくなるはずだ(あいにく、そんなお客にあたったことはないが)。

マネジメントに専念するリーダーがいる組織では、メンバーはその部下ということになり、組織内に上下関係(階層)が生じる。学者なら「階層型組織」のタイプになった、と分類するだろう。仕事の結果も、それなりにリーダー個人の能力や個性に引きずられることになる。なぜなら、もはや意思決定は全員の合意ではなく、リーダーが結果責任とともに引き受けることになるからだ。欧米はこの種の、一人に権限と責任を集中させる組織が好きらしい。音楽で言えば、指揮者のいるオーケストラのようなものだ。少人数のアンサンブル(弦楽四重奏など)はメンバー同士の息を合わせて演奏できるが、楽曲の規模が大きくなると、専任の指揮者が必要になっていく。

では、専任のリーダーがいる組織が、さらにスケールアップしていったとき、それ以上の変化はないのだろうか。百人でも千人でも、あるいは10万人でも、あとはずっと、トップの個性が全体を引っ張っていくのだろうか?

どうも、そうではないらしい。ある規模を超えると、組織はさらに質的な変化をとげて、次の段階に移るようである。先輩の経営コンサルタント諸氏の話を総合すると、次の変曲点は、意外と小さくて、200~300人程度らしい。この規模を超えると、社長一人の意気込みだけでは、会社を引っ張りきれなくなるという。そして、きちんと会社を動かす「仕組み」が必要になってくる、と。

この点については、異論もあろうかと思う。やはり組織ってリーダーの影響は大きいんじゃないの? 経営者がダメだと大会社も業績が落ちるし、戦争の勝敗だって将軍で決まる。スポーツを見たって、やはり監督の采配が勝敗を決するじゃないか。

だが、スポーツのチームはせいぜい10数人である。控えや2軍を入れたって、スポーツの世界で200人を超える組織というのは、まず無い。大企業の業績でいうと、おかしくするのはトップ一人でもすぐできる。しかし、好業績を持続するのはそう一朝一夕には出来ない。壊すのは簡単だが作るのは大変なのだ。

そして、戦争の例でいえば、桶狭間の戦いなら、たしかに信長のリーダーとしての決断と実行(つまり能力)の成果だと言っていい。しかし、関ヶ原の戦いは、徳川家康と石田三成のリーダーとしての能力の差だけで説明できるだろうか。まして、太平洋戦争の勝敗結果は、両両国のトップの能力の差だと言ったら、読者諸賢は納得できるだろうか。アメリカ人なら"Yes"と言うかもしれないが、日本人でこの見解に賛成するのはかなり少数ではないかと思う。

だとしたら、組織がスケールアップしていくと、どこかで組織としての働きは質的に変化するのだ。そして、それは200~300人という、わりと小さな数字でおこるというのが、多くの中小企業を見てきた先輩診断士の証言である。

その点を超えると、何が変わるのか? まず、社長が全部の問題を決めるだけの時間がなくなっていく。それと、社長が社員全員の顔と名前、そして性格を覚えきれなくなる。そうすると、個性に応じた適材適所の配置が困難になる。そこでどうしても、個人ではなく、組織で決断したり問題解決をしたりする仕組みが必要になる。判断や行動のためのルールも求められる。教育の段取りや分担もしかり。つまり、「マネジメント・システム」がないと会社が回らなくなるのだ。

そして、この変曲点を理解して、乗り切れるかどうか、トップが自分の手中にすべてを握るのを諦めて、かわりにきちんと権限移譲の仕組みを構築できるかどうかで、会社がその先に成長できるかが決まるという。たしかに、この変曲点を乗り越えられずに、200人規模で伸び悩んでいる会社をわたしも見たことがある。

それにしても、この200-300という数字が、14~17の自乗になっているのは偶然だろうか? 上にあげたように、12人くらいのチームに、専任のマネージャー1人と事務スタッフが1人ついて、14人。このチームが14個集まると、196人になる。その上に、トップが1人。トップが直接、面倒を見ていられる部下(ミドルマネジメント)の数も、これくらいだろう。それ以上規模を拡大した場合、ミドルの数を増やしてもトップが全員を見きれなくなる。かといって、ミドルの数を14人のままに固定したとしても、今度はミドルが部下を見きれなくなる。それで結局、階層を一つ増やす事になる。(チーム単位が15人なら、マネージャーとスタッフを加えて17人。上限は17×17=289で、約300人だ)。そうなるとやはり、マネジメントのための「仕組み」の出番だ。

では、組織が300人をうまく超えたら、あとは一直線なのか。そこも少し疑問がある。わたしの経験にもとづく漠然とした直感では、製造業の場合、年間売上が1000億円を超えるところで、さらに組織に変曲点があるような気がする。売上を人数に換算すると、一人当たりの売上が2-3千万円として、従業員3,000-5,000人くらい。どうもここらあたりに、次のバリヤーがありそうだ。それ以上になると、今度はスタッフすなわち間接機能を、さらにうまく専門分化させていく必要がでてくる。

さて、この3,000-5,000人という数字、どう根拠づけるか。先のベースを無責任に外挿すると、1単位14-17人の3乗の数字が、ちょうどそれくらいの人数になる。ここに何らかの機序があるのかもしれない。しかしむろん、何の根拠もない素人の空想である。誰か経営学者が、もっときちんと研究してくれるとありがたいのだが。
by Tomoichi_Sato | 2013-06-16 22:41 | ビジネス | Comments(0)
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