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書評: 「採用基準」 伊賀泰代

採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの

「マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた著者が初めて語る - 地頭より論理的思考力より大切なもの」が表紙の惹句である。これだけで、出版社がどのような読者層に何をアピールしようとしているか、よく分かる。『マッキンゼー』という、外資系コンサルの中でも最高級のブランドにあこがれ、その採用の基準を知ってみたいと感じる読者がターゲットであろう。

ところで、実際に読んでみると、採用基準に関する話題はこの本のボリュームの4割程度で、あとの6割は『リーダーシップ』に関する説明である。著者も、もっぱらこちらを訴えたかったにちがいない。日本ではリーダーシップの概念がうまく理解されていない、と繰り返し著者は書く。しかしマッキンゼーが採用にあたって最も重視するのは、地頭の良さでも論理的思考力でもなく、「将来、グローバルリーダーとして活躍できるポテンシャルである」(p.34)という。

では、そのリーダーシップとは何か。ごく一部の人間だけでなく、組織の構成員全員に求められるリーダーシップとは、どのようなものなのか。

著者は、事故で電車が止まったとき駅のタクシー乗り場にできる、長い行列の例で説明する。「海外ではこういう場合、必ず誰かが相乗りを誘い始めます。」(p.198) これがリーダーシップの発揮なのである。しかし日本人はもくもくと列に並び、一人ずつタクシーに乗っていく。誰かに指示されれば、たぶん素直に相乗りを始めるだろう。ただ、そういう役割を自分でやろう、という気が全く無いのがこの国の人の特徴だ、と指摘する。

マッキンゼーでは、「全員がリーダーシップを発揮して問題解決を進める」(p.75)前提で仕事が進む。「全員がリーダーシップをもっているチームでは、議論の段階では全メンバーが『自分がリーダーの立場であったら』という前提で、『私ならばこういう決断をする』というスタンスで意見を述べます」(p.128)- だからこそ、高いパフォーマンスをもった組織が生まれる、という。なんとなれば、「わたし達が職場でしばしば目にする、リーダーに対する建設的でない批判の大半は、『成果にコミットしていない人たち』によって」なされるからである。

ちなみに、著者によれば、「実はリーダーシップと常にセットで考える必要があるのが『成果主義』なのです」「成果主義とは、『努力でもプロセスでもなく、結果を問う』という考えであり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。」(p.87)という。これは、通常の日本企業の成果主義よりもはるかに厳しい要請である。

では、リーダーとは具体的にどのようなアクションをとる人なのか。著者は「目標を掲げる」「先頭を走る」「決める」「伝える」という4点をあげ、さらにマッキンゼーでそれをどのように育てていくかを語る。リーダーシップは生まれつきの資質ではなく、学んで向上させることができる技量である、という強い信念があるようだ。

著者のいうリーダーシップを、読者として自分なりに言いかえてみると、すなわち、目的志向で、目標達成に主体的にコミットし、問題を解決するために自らチャレンジし、また人を動かしていく態度と能力のことだろう、と想像する。それは確かに、とても大切な技量だ。それは、その反対の条件を考えてみると、よく分かる。

主体性  ←→ 指示待ち
目的志向 ←→ 形式(手続き)主義
影響力  ←→ 従順、無批判、付和雷同
チャレンジ精神 ←→ 事なかれ主義

でも、考えてみると、左側の条件を満たす人材は、日本のどこの会社だって求めているのではないだろうか。「ウチは従順で事なかれ主義の、指示待ち人間だけを採用するから」などと公言する経営者はいるまい。

それならば、日本にはなぜ、リーダーシップを持つ人の総量が足りないのか。著者は、今の日本の問題は「カリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにある」(p.180)とする。そして、その理由を、日本企業の中央集権型ガバナンスで説明する。「中央集権体制とは、求められるリーダーシップ・キャパシティがきわめて少ない、上意下達を旨とする体制なのです」「日本でそういった体制が長く続いてきたひとつの理由は、経済が発展途上期であったということです。中央集権型のシステムは、ニーズが画一的な世界に向いています」(p.209)

だが、そのような体制が、逆に飽和市場社会となった日本を苦境に追い込んだ。だから現在の日本を救うには、もっともっと多くの人が、リーダーシップを身につける必要があり、そのために企業も公教育も仕組みをととのえるべきだ、というのが主張である。

本書の主張は非常に明確で、かつ具体例も多く、面白い。著者のいうリーダーシップというものも、身につけられればとても素晴らしい、と読んでいて率直に感じた。しかし、この後は少しだけ批判を述べさせていただく。

まず、このような「全員がリーダーシップを発揮する」仕事の組織は、経営コンサルティングという業態に一番マッチしていることを、指摘しておきたい。経営コンサルタントの仕事は普通、クライアントの依頼をうけて、特定の課題解決のための調査と提案を行う、個別性の高い業務だ。リーダーの元、何人かのコンサルタントがチームを組んで行う。チーム内は各人の得意分野に応じて、緩やかな分業で仕事が進む。階層はフラットで、知的で創造的な仕事ぶりがむしろ求められる。チームの総人数が1ダースを超えるような大規模な仕事は、あまり多くない。仕事のスパンも数ヶ月単位が多い。すなわち、すぐに成果(売上や顧客の評価)が得られる業態なのである。

逆に、非常に大規模な人数の組織が必要で、結果として階層的な指示系統が必須で、かつ軍隊的な規律が必要とされ、全体の成果が出るまで何年もかかる種類の仕事というのも、世の中には存在する。そうした組織で、末端が皆、独自の考えと主張をもち、指示された内容も自主的に自由に選択して動かれたら、メリットよりデメリットの方が大きくなりそうだ。「自分がリーダーだったらこう決断する」、という表明も、必要な情報の全体像が得られない下位ポジションの人間が主張したら、独りよがりで滑稽なだけである。

日本企業の苦境が、リーダーシップの総量の不足によるものだ、という説明も、本当だろうか、と疑問を持つ。というのも、米国の大企業でも、社員が事なかれで形式主義で、上の顔ばかり見ている組織を知っているからである。リーダーシップを持ち優秀な人間は、ほんの一握りしかいない。それでも、非常に大きな利益をあげている。ビジネスモデルのおかげか、政治的権益のおかげか、それとも一部の優秀な人間のおかげか、判断は微妙である。

また逆に、1970年代後半から80年代にかけては、日本企業が光り輝いて見え、逆に米国企業は利益と自信を失っていた時期だった。だから、まさにこの時期、マッキンゼーに代表される経営コンサルティング業界が米国で成長したのであった。では、あのときは、米国のリーダーシップの総量が少なく、日本には沢山あったのだろうか? そうでもあるまい。だとしたら、リーダーシップと組織の成果(業績)は、必ずしも一致しないことがあるように思われる。

とはいえ本書は、示唆するところも多い。社会福祉の仕組みについて、人々がリーダーシップを発揮してともに助け合うような世の中の方が、結局は経済的だという主張は賛同できる。「共助システムが増えれば増えるほど、公助への負担は少なくなります。反対に、リーダーシップの総量が不足する国では、何もかもお金と公的な制度で解決せざるを得なくなり、とめどなく予算が必要となります」(p.187)

コンサルタントに必要な頭の良さとは、分析力よりも、問題解決案を考える能力だというのも、重要な指摘だ。とくに、著者が『知的体力』と呼ぶ、(正解のない問題を)何時間でも何日でも考え続ける能力は、ほとんどの人が見落としている、大事なポイントだと思う。ほんの数時間のケース面接でふらふらになってしまうような知的体力の乏しい応募者では、先々こまるのだ。そうした若者は、いつも正解のある問題ばかりに取り組み、記憶のストックの中から正解を探し続けてきたのだろう。わたし達に必要なのは、著者のいうリーダーシップとともに、この知的体力の向上だろうと考える。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-11 09:48 | 書評 | Comments(3)
Commented by Tomoichi_Sato at 2013-05-11 22:04
著者の名前に誤字があったので修正しました。申し訳ありません(佐藤)
Commented by 小原一馬 at 2013-08-27 13:22 x
はじめまして。毎日新聞でこの本が紹介されていたので、読んでみようかと思い書評を検索して見つかりました。とても説得力のある分析だと思います。確かにみながリーダーシップを発揮してしまったら、多人数での共同作業はうまくいかなくなることもあるでしょう。逆に、タクシーの行列待ち的な状況でのリーダーシップは、そうした問題が起こらず、メリットがデメリットを上回るような状況なのだと思います。後者の状況で動けないような日本人を束縛しているのは、役割とは社会的仕組みによって準備され、正当化されなくてはならないという思考なのかなと思いました。そういう正当性の判断を、個人がもう少し行えるような社会にしなければいけないのかもしれないと考えています。
Commented by Tomoichi_Sato at 2013-08-29 07:50
小原さん、コメントありがとうございます。
わたしも同意見で、各人が、社会からの『期待』を、勝手に『束縛』と理解して動いていることも多いようです。もう少し皆が、判断に自由度を持てるといいですね。
(佐藤)
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