書評:The Quiet American(物静かなアメリカ人) / Graham Greene



昨年の夏、80歳の母と二人で、母の知人の結婚式に出席するため、ベトナムのホーチミンに旅行した。数多くの留学生の世話をしてきた母と、これが最後の旅行になった。

一緒に戦争証跡博物館に行った後、市内の目抜き通りを歩いていると本屋を見つけた。いかにも外国人旅行者向けに、洋書などがおいてある。その中にこの本があったので、すぐに買いもとめた。前から読みたいとは思っていたのだ。ベトナムを舞台とした話だから、平積みされているのは当然かもしれない。Penguin Classics Deluxe Editionで、うす緑色の洒落た表紙である。

ロンドンで2年暮らした母の話によると、グレアム・グリーンはやさしい英語で文章を書く名文家として知られ、イギリスの英語学校で初級の読み物によく使われているという。英語上達の秘訣の一つは、辞書を引かずに本を何冊も読み通すことだ。そうして、英語のリズム感や、前後の文脈から単語の意味を類推する力をつけるのだ。その修行には、たしかにグリーンの文章は格好の材料である。そのことは、本書の冒頭にある米国のRobert Stoneによる解説と読み比べてみると、よく分かる。いかにも大学人の書くインテリ臭い文章で、たくさんの難しい単語を使う。ちょうど漢語を多用した日本語のようなものだ。ついでにいうと、このイントロにはネタバレ的な記述も含まれているので、読者は飛ばしてまず本文から読んだ方がいい。

その本文は、英国人でベトナム特派員の私(Fowler)が、本書の主人公である若い米国人Alden Pyleを夜、部屋で待つシーンからはじまる。約束の10時をとっくに過ぎても彼は来ない。通りに出ると、同じようにPyleを待って立っている、Phuong(鳳)という名のうら若いベトナム女性を見つけるので、上がって待つようにいう。しかし真夜中をすぎてやってきたのは警官だった。警察署に召喚された二人は、Vigotというフランス人警察官の質問を受ける。本書が発刊された1955年、サイゴン(現ホーチミン)はいまだフランスが支配する領域だった。Pyleはどんな人物だと聞かれ、Fowlerはこう答える。「年齢は32歳、経済援助ミッションで働いている米国市民だ。真面目な男だよ、彼流にね。コンチネンタル・ホテルにたむろする騒がしい連中とは違う。物静かなアメリカ人だ。」

しかしVigotは皮肉な目をFowlerに投げかけ、若いPhuongをめぐってPyleと争っていたのではないか、君はこの女性と2年間一緒に暮らしたが、つい最近、彼女をPyleにとられたはずだ、といい、昨晩のアリバイをたずねる。こうして彼は、Pyleの身の上に何か重大な事が起き、自分が疑われていることを知る・・

ここまでわずか数ページ。主要な登場人物が現れ(あるいは不在が明らかになり)、彼らの関係や複雑な感情が、異国の夜の映画のようなシーンの中から浮き上がってくる。まことにグリーンは小説の名手である。主人公Pyleの行動の謎と、警察に疑われながらそれを追う語り手Fowlerのサスペンス、そして美しいPhuongをめぐる三角関係。ラブ・ロマンスで読者をぐいぐい引き込みながら、時おり神とか世界についての哲学風の問答を文中にちりばめ、読者の知的満足感をくすぐることも忘れない。

グリーンは登場人物の名付け方が暗示的で巧い、とR. Stoneは冒頭の解説で書いている。たしかに、若く率直で大柄の米国人Pyleの名は、なんとなく「ウドの大木」みたいな感じを受けるし、屈折した英国人で中年の語り手Fowlerは「ズルをする奴」とも聞こえる。しかし、本書の題名もグリーン一流のjokeで、“静かなアメリカ人は、死んでしまったアメリカ人だけだ”との皮肉だというのは、うがちすぎの解釈だと思う。物静かなアメリカ人は、(少数派だが)もちろんいる。主人公Pyleはハーバード大学で政治を学んだ、若い理想主義者だ。

その彼の理想は、古いヨーロッパの植民地支配でもなく、かといって北部ベトナムの共産主義でもない、民主主義を実現する『第3の勢力』がこの国には必要だ、というものだ。だが、その思想が、彼という人間に体現された米国人の無邪気な良心と、米国の巨大な政治力に結びついたとき、あわれな恋人Phuongをはじめ、罪のない多くの現地人を巻き込んだ不気味な歯車の回転につながっていく。語り手Fowlerは、親米でも親仏でもなく、かつ、祖国に残してきた不仲の妻との諍いが表すように英国本位でもなく、ある意味で中立な、ある意味では誰にもコミットできない孤独な特派員として、事態を追い続けていく。

グリーン自身は1950年から2年間にわたり、何度かに分けてベトナムに滞在して本書の構想を得たらしい。そのころはちょうど朝鮮戦争の時期で、世界の目はそちらに釘付けになっていた。1945年に日本が第二次大戦に負け、旧植民地だった地域に支配権の空白ができる。独立運動と旧勢力が争い、そこにソ連と米国がそれぞれ軍事援助をして争う構図は、しかしそのままベトナムの構図でもあった。そして“民主主義の国家が出現すれば、それは必ず親米的なはずだ”という米国の奇妙な思い込みは、当時も今も不変である。

グリーンはカトリック作家で、別段左翼でも反米主義者でもない。とはいえ本書が発刊されたとき、米国では当然ながらごうごうたる非難の声が巻き起こったという。当然だろう。これは純然たるフィクションだが、米国が今のまま進めば、ベトナムで新たに巨大な悲劇が生まれかねないとの警告書でもあったからだ。しかしそれは、赤狩り時代の米国では到底受け入れられないアラームだった。

わたしは知人の結婚式に参列して、あらためてベトナムという国が仏教と中国文化の影響の色濃い、ある意味で東アジアの国である(東南アジアというより日韓台湾に近い)ことを実感した。その東アジアの人間としてこの小説を読むと、英米人の読者とは少し違う視点に立つことになる。それは、若いPhuongや、その姉、あるいは名もない多くのベトナム人側の感情への移入だ。この巧みな小説の中で、不思議にもPhuongは内面を感じさせない、はかりがたい登場人物として描かれている。セリフも少なく、王室や映画スターのゴシップ、そして欧米の都会への漠然としたあこがれなどが断片的に語られるだけである。愛Loveという言葉が、彼女にとって具体的な意味を持つのかさえ疑わしい、とFowlerは語る(Loveはいかにも西欧的な個性や自我と結びついた概念なのだ)。たぶんその事こそ、西洋人男性が東アジアの女性に惹かれる最大の理由なのかもしれない。

彼らの基準から見ると、わたし達アジア人には内面がない。それは、後半、戦闘の前線に赴いたFowlerが見た、運河の水面に浮かぶおびただしい数のベトナム農民達の死体にも通じている。小さな息子をかばった姿勢のまま浮かぶ母親。見張り塔で吹き飛ばされて死ぬ若い兵士たち。彼らは何も語らぬ。何も語らぬ者には、感情や肉体はあっても、精神はないのだ。そういう奇妙な信憑の世界に、西洋人は立っている。わたし達が黙って座っているとき、わたし達には何の知識も意見もないのだろうと、彼らは思う。であるならば真理を教えてやろうと、彼らは無邪気に、ほとんど善意で思うらしい。

善意と無知と偏見が「信念」という名の衣をまとい、その後ろを巨大な財力が押しはじめたとき、『狂信的武力』という恐るべき怪物が生まれる。それは憎悪を燃料として動く戦争機械である。地域にも人種にもイデオロギーにも関係なく、どこにでも生まれる可能性がある。そして手当たり次第、人を巻き込んでいく。わたし達はその怖ろしさを、つい最近も見たばかりだ。

本書が発刊された前後、ベトナムがどうなったかだけを、最後に簡単におさらいしていこう。

1945年、日本軍の崩壊と共に、ホー・チ・ミンが独立を宣言する。ところがフランスが失地回復にやってくる。「18ヶ月で片付く」はずの紛争は6年以上も長引き、ついに1953年末、ディエン・ビエン・フーでこてんぱんに敗北を喫して、しかたなく交渉の席に着く。ジュネーブ協定が取り交わされ、総選挙が行われる予定だった。

しかし、仏軍の空白を補うようにアメリカ軍がやってくる。アイゼンハワーの演説では、「錫とタングステンの資源」がねらいだった(!)というのだから驚きではないか。そして1955年、ゴ・ジン・ジェム傀儡政権を立て、南にベトナム共和国をでっち上げる。このとき政変を支援した空軍准将でCIA工作員のE・ランズデールが、本書のPyleのモデルだったのではないかと言われている。

これに対し、南ベトナム解放戦線が結成される。その補給を絶つため、やがてアメリカは北爆を開始する。彼らも最初は2、3年のことと高をくくっていたのだ。マクナマラ国防長官(MBAにして元フォード社長)の精緻な計画と、米軍の巨大な物量作戦にもかかわらず、戦線は泥沼と化していく。ついにニクソン大統領は72年に北爆を停止し、パリでの交渉につくと演説。73年に米軍が南から撤退すると、南ベトナム政権は持ちこたえきれず、ついに75年に崩壊する。

これが歴史だ。フランスが去ってから20年間、ベトナムはずっと戦場だった。誰のために? 何のために? その答えは簡単ではない。ただ一つ分かるのは、物静かで無邪気な善意が、すべてをお膳立てしたということだ。
by Tomoichi_Sato | 2013-02-12 21:32 | 書評 | Comments(0)
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