おじいさんのランプ、または経営とマネジメントの違いについて

新美南吉は、わたしの最も好きな作家の一人だ。童話作家で、戦中に若くして亡くなったが、珠玉のような名品をたくさん残している。「ごんぎつね」は小学校教科書に採録されたから、読んだことのある人も多いだろう。わたしの場合は、「牛をつないだ椿の木」が最初の出会いだった。彼の短編は青空文庫でも読める。だが角川文庫版を買うと、棟方志功画伯らによる挿絵がついてくるから、これはこれで味わいが深い。

その新美南吉の短編に、「おじいさんのランプ」という話がある。本屋の子どもが、納屋で旧式のランプをみつける。ガラスの中に灯心があり、油を入れて灯をともすタイプだ。それを見て、祖父の巳之助が思い出を語りはじめる。まだ少年時代の巳之助が、この話の主人公である。文明開化の直後の頃、用事で遠くの町まで遣いに出た彼は、町でランプというものを初めて見る。夜でも明るいその光に、少年はつよく印象づけられる。このくだりは、すこし新美南吉の原文をひこう。

「しかし巳之助をいちばんおどろかしたのは、その町の大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は手でさぐりながら、水甕(みずがめ)や、石臼や大黒柱をさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが嫁入りのとき持って来た行燈(あんどん)を使うのであった。(中略)しかしどんな行燈にしろ、巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。
 それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。煤(すす)けたり、破れたりしやすい紙でできている行燈より、これだけでも巳之助にはいいもののように思われた。」

主人公にとって、ランプは文明開化の象徴だった。これを自分の村で売ろう、とかれは決意する。そしてランプを売る店に行き、「仕入れ値で卸してくれませんか」と交渉する。店の側は年端もいかぬ少年の依頼に驚くが、ためしに一つ売れたら、次からも卸してあげようと約束する。そこで主人公はランプを村まで持ち帰り、よろず屋に使ってもらう。そして、その灯りの明るさに驚いた村人たちの間に、少しずつランプが売れるようになっていく。

しかし物語はこのままでは終わらない。しばらく年月が経つと、村に電気というものがやってくる。街道沿いに電柱を並べ、電線が引かれて村にも届くようになるのである。すると、電球の明るさはランプの比ではない。こうして、主人公のランプ商売は、しだいに売れ行きが衰え、立ちゆかなくなっていく。彼は必死に電気の批判を口にしたりするが、技術の潮流には逆らえないことを、我が身をもって次第に悟る。

そのとき、倉庫からすべてのランプを持ち出した主人公がどうするかは、ぜひ新美南吉の美しい文章で読んでほしい。それは忘れえぬ美しい結末である。ただ、祖父のその後の身の振り方は、冒頭のエピソードから想像できるだろう。彼はランプ屋を廃業して、本屋になるのだ。

「おじいさんのランプ」は、決断に関する物語である。それも、希望を持って新しい道を選ぶような決断ではなく、苦渋に満ちた「やめる」ことの決断だ。杖とも柱とも頼りにしてきた、自分自身の一部のように慣れ親しんだ仕事をやめ、手探りで次の道をさがす決断。それは決してたやすいことではあるまい。

この物語を読むたびに、わたしは幾人かの中小企業の経営者の顔を思い出す。その人たちはいずれも、自分が起こし、あるいは家業として継いだ小さな会社を、存続のためあえて商売替えして生き延びてきた人たちだ。ある人は職人仕事が安価な工業製品に追われたため、製造から販売業に転じた。ある人は自社製品が小さな市場で一巡してしまったため、見切りをつけ全く別の商材を開発して売ることに賭けた。どちらも、目をつぶって清水の舞台から飛び降りるような決断に思えたにちがいない。本人にとっても、従業員や家族たちにとっても。

わずか数人でも、人を雇って事業をすることは、きわめて社会的な責任と義務の伴う仕事である。法人格を構えた瞬間から、帳簿をつけ税金を納め、社会保険を負担し労働協約を結び、登記簿や融資借入から産業廃棄物の心配まで、ありとあらゆる法規に対応しなくてはならない。しかも、そうしたことはある意味で、周辺的な雑事である。一番本質的な責任は、生きるために商売を続けるという事だ。ところが小企業の商売をめぐる環境は、冬の海の天気のごとく変わりやすい。同じ漁場に網を打って、魚がとれ続けるとは限らない。そのとき、どうするかを考えて決めるのが、経営者の仕事だ。

ある経営者とは、こんな議論をしたこともある:外洋で大きなタンカーを運行することはたしかに難しい仕事にちがいない。しかし小さなヨットで外海を走るのだって、別の意味で難しい。巨大なタンカーは滅多に沈まないが、ヨットは不安定で、風向き次第では転覆しやすいからだ。タンカーが沈没すれば新聞の一面記事だが、ヨットが転覆しても紙面の隅にも載らない。だから30万トンタンカーの船長が、30トンの船長の1万倍偉いことにはならない。難しさの質は違うが、どちらも大変な仕事なのだ、と。わたしはそれを、自分の会社にひきつけて考えてみた。目の前にいる、ほんの30人ばかりの企業の社長と、勤務先で300人以上のチームを率いる大プロジェクト・マネージャーと、どちらが偉いのか? そういう比較は意味がないのだろう、大変さの質が違うのだから。

おかしなことに、英語には『経営』に対する言葉がない。Managementという言葉は、大企業の采配にも、小さな数名のチームの采配にも、どちらも使える。「経営学修士」がMBA (Master of Business Administration)なんだから、経営は"Business Administration"のはずだ、と思う人がいるかもしれない。だが、それは違う。経営者のことをBusiness Administratorなどとは呼ばないのである。Administratorは、行政とか、総務といったニュアンスがむしろ強い言葉だ(だからMaster of Business Administrationという名称は、米国では最初、批判があった)。「ウチの経営者は」と英語で言うときには、どうしても"Our top management.."になってしまう。

だが、マネジメントと経営は、別種のことである。経営は文字通り、ゴーイング・コンサーンである企業を存続させ、人々が働き続けられる(さらに言えば、より働きやすくなる)ために行われる仕事だ。一方、マネジメントは、人に働いてもらって、目的を達成することが語義の中心にある。課長だって係長だって、ミドル・マネジメントだ。だが課長は今期販売目標は心配するだろうが、会社の資金繰りや行く末については心配しない。経営には、必ずお金や市場や地域社会に関する責任が含まれる。経理の基本を知らなくても、マネージャーにはなれるが、経営者にはなれない(もちろん、経理の理解は経営者の必要条件だが、十分条件ではない)。

言い方をかえると、マネージャーは与えられた目的・目標を達成することが仕事だが、経営者は自分で目的・目標を設定するのが使命なのである。マネージャーは、自分の判断で仕事を止めることはできない。“こんな商売は先がないから”と言って投げることは、許されない。それができるのは経営者だけだ。それをしなくてはならないのが経営者なのである。その判断が間違ったら、自分が職を失う。中小企業の場合は、家も財産も信用もすべて失う事になる。もちろん多くの部下も、たとえ落ち度が無くても、道連れになる。

「中小企業のオヤジ」というと、世の中には通俗的なイメージがある。頑固で欲張りで家父長的で・・たしかに、あたっている面も多少あるだろう。しかしわたしが知っている、先にあげた経営者たちには、ふとした時、ほんの一瞬だが、ある種の威厳を感じることがある。それは、自分で道を選び直す決断をしてきた人にのみ具わる、ディグニティなのだろう。近代的なマネジメントの理論は知らなくても、この人たちは覚悟を持って生きてきた。冒頭の物語で、ランプを見つけた孫が祖父にふと感じるものは、そこなのだ。

新美南吉の「おじいさんのランプ」は、わずか30頁ほどの短い話だ。15分もあれば読める。どうか、手にとって読んでみてほしい。そして、できるだけ多くの人に紹介してもらいたい。わたしのこの駄文なんか(笑)どうでもいいが、新美南吉だけは忘れてはならぬ作家だ。若くして夭折したかれが、文中に、目立たぬように埋め込んだ、後世の日本人へのメッセージを読み取ってほしい。くりかえすが、これは決断に関する物語である。それは、かれがこの国の一人一人に持ってほしいと願った、勇気についての置き手紙なのだ。
by Tomoichi_Sato | 2012-12-06 22:22 | ビジネス | Comments(1)
Commented by hiro_h at 2014-04-01 22:58 x
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