書評: 「TN君の伝記」 なだ・いなだ

「TN君の伝記」 (福音館文庫 ノンフィクション) なだ・いなだ著

本書は、今年読んだ中で最も感銘を受けた本だ。1976年発行の福音館文庫で、裏表紙には「小学校上級以上」と明記されている、子どもむけの本だ。漢字には、すべてルビがふってある。だが、これほどの読みごたえがある本は、近頃すくない。

本書は明治の思想家、中江兆民の自伝である。ただし文中では終始、「TN君」とだけよばれていて、中江の名前はどこにもない。でも、ルソー『民約論 』の翻訳家で、『三酔人経綸問答』『一年有半』などの著者だとあるから、誰のことかは分かる。

中江兆民の生きた「(19世紀後半の)50年間は、ながい歴史をもった人類が、大きく生き方を変えた、まがりかどのような時代だ」(p.13)との記述で、本書は始まる。鉄道、自動車、無線電信、電話の出現、病原菌の発見と注射器の発明。そして南北戦争、社会主義の誕生・・。これが背景だ。

その江戸時代末期に、かれは土佐の足軽の子として生まれる。古い身分制度の中の、奇妙な末席である。「明治維新のあと、戸籍がつくられたときも、足軽は士族にいれられなかった。卒族と書きこまれ、しばらくすると大部分は平民に格下げされてしまった」(p.16)ことを、わたしは初めて知った。

だが明治維新は、その下級武士、それも僻地の下級武士たちが主役であった。なぜそうなったのか。じつは黒船(外国軍)の襲来は、それまで僻地だった土佐を、太平洋防備の最前線に逆転した。それだけではない。それは(今日の製造業風にたとえるならば)『現場』の復権を引き起こし、砲術など現場技能のフォアマンであった下級士族たちが、有効な指揮のできぬ『本社』(お城の重役たち)との力関係の逆転劇を演じさせる契機となったのであった。

兆民はそんな中で長崎に留学し、坂本龍馬に出会う。自分も倒幕に参加したいとのぞむと、坂本はこう答える。「『革命家は商売とちがうのや。革命家は、世の中から、およびがかかって革命家になる。それまで、勉強していなされや』」(p.49)。その言葉通り、江戸に出て勉強し、さらに維新後の岩倉使節団に参加する。米欧を回り、とくにフランスに留学して帰るのである。

ところが、帰国した彼を待っていたニュースは、江藤新平の佐賀の乱、萩の乱など、いわゆる不平士族の反乱であった。それはやがて、西南戦争につながっていく。西郷たちの「勝てば官軍、負ければ賊よ」というスローガンは、かれらの行動が単なる懐古と不平の爆発だけではなく、政府の圧政的改革への抵抗権としての意義も含んでいる。「西郷は、忠臣などではない。反抗的人間だったのだ。ただ、明治維新では、反抗した彼が、たまたま勝ってしまっただけなのだ」(p.190)と兆民は評価する。

足軽の子に生まれた兆民らが、維新と世直しに期待していたのは、古い制度にしばられてきた生活からの解放の期待、自分たちのための日本をつくる事だった。それは多くの平民たちの望みでもあった。大久保や木戸など明治政府の権力者たちも、新しい日本をつくろうとはしていた。だがそれは新しくしないと、諸外国に対抗できないためだった。日本をヨーロッパ風の強国にする目的だと、すりかえられてしまっている。

このすりかえに、兆民は厳しい目を向ける。かれにとって、自由と進歩とは、車の両輪のようなものだ。自由とは「より進歩することでも文明開化することでもない。ひとりひとりが、より自己に目覚めることだ。だれもたよりにせず、だれに支配もされずに生きることに目覚めることだ」(p.163)。そうした意識の変革こそが必要なのだった。

西南戦争の失敗は、その変化を待ちきれずに起きたことだ。「その日が来て、その時が来ておこるのが革命だ。ではない。乱とよばれるのは、きたるべき時よりも前におこった革命だ。」(p.195)

西南戦争の後、暗殺された大久保利通を継いで内務卿の権力を握ったのは、伊藤博文だった。大久保よりも人望の劣る彼は、強権によって政治の混乱を乗り切ろうとする。批判的新聞の発行停止、天皇親政を進言した侍補の解任、政治集会の制限と監視。そして仕上げは、「軍隊を政府から切り離して独立させ、参謀本部が、すべての作戦の命令をだすことにした。参謀本部は太政大臣とおなじ力をもつ」(p.228)ことになった。こうして、憲法発布前に、すでにガバナンス体制の骨格が(つまりその後の日本の運命が)決められてしまったのである。

在野の兆民らは、自由民権運動を起こして政府の専制にブレーキをかけようとした。国有地払い下げスキャンダルで政治が混乱すると、切れ者の井上毅は、事態を収拾すべく、国会開設の詔勅を岩倉具視に進言する。「井上の頭の中では、天皇も、詔勅も、まったく政治の道具だった。井上は、自分では天皇の権威をまったく信じていなかった。だが、反対派の中にひそんでいる天皇の権威にたいする弱さを完全に読み取っていた」(p.278)。

こうして下された詔勅は、国会開設を10年後と定めた。だが、「十年後に国会をひらくという約束は、うらがえせば、今後十年間、政府に国会なしで勝手なことをやれといってるのも同然なのだ。」(p.266)と兆民は見抜く。しかし民権運動は板垣派と大隈派に分裂し、やがて改進党と自由党の政争として延々続き、その間に起きた日清戦争によって、世論はむしろ帝国主義へと傾いていく。そして奔走の果てに病に倒れた兆民は、余命の宣告をきき、ベストセラーとなった『一年有半』と、無神論を説いた日本初の哲学書「続一年有半」を書き残して、この世を去るのである。

本書は、西南戦争から日清戦争頃までの時代の日本を活写している。明治の中間期は、ある意味とても分かりにくい。この近代日本形成の中間期に、世の中に何が起きていたのかが、見事に描かれている。この本を読んでわたしは、なだ・いなだの作家としての力量に、あらためて関心した。なだは芥川賞候補最多回数という不思議な記録(?)をもつ作家だが、むしろエッセイストとして有名だ。わたしも、「トンネル」「れとると」など若い頃の中編、そして「カペー氏はレジスタンスをしたのだ」など短編集は読んだことがあるが、得意の精神分析的なシチュエーションを題材にした特徴はあっても、文章家だと感じたことはなかった。しかし、これはわたしの見過ごしだったのだろう。「TN君の伝記」は伝記文学の傑作とよぶにふさわしい、しっかりとコクのある大人の読み物である。司修の挿絵も、素晴らしい。
by Tomoichi_Sato | 2012-10-13 23:00 | 書評 | Comments(0)
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