逆張りで成功した部下は、どう評価すべきか

マネジメントの一番中核の部分には、「人を動かして目的を達する」行為がある。人を動かす、というのがポイントで、自分自身で手を動かして何か成果物を生み出す行為は、マネジメントとはよばない。そして、マネジメントには客観的・計量的なテクノロジー(技術)が存在する、というのがこのサイトでずっと主張していることだ。それは具体的には、バックワード・スケジューリングだったりスループット会計だったりEVMSだったりする訳だが、いずれも対象業務分野に依存しない、汎用的なマネジメント・テクノロジー=管理技術に属する。

とはいえ、マネジメントが、“人が人を動かす”行為である以上、そこには必ずヒューマン・ファクター=属人性が入り込む。人間対人間の関係は複雑である。全く同じ事を同じ人に言っても、かえってくるアクションが違うのはざらで、真逆になることさえある。最近の脳科学者たちの主張によれば、人間の脳は『複雑系』らしい。複雑系は非常に多数の要素が絡み合った系で、個々の要素は単純な法則性に従うが、全体のふるまいはほとんど予測不可能だという。だとしたら、同じ事を頼んでも、相手のアクションが予測しがたい現象(家族間でさえ、いくらでも起きる)は驚くに値しないのだろう。

個人対個人のマネジメント的活動の中でも、一番むずかしくてやっかいなのは、『評価』ないし『査定』ではないだろうか。組織の中で毎期必ず巡ってくるが、まことに気が重くなるタスクである。自分が上司にどう評価されるかは、つねに気がかりだが、自分が部下を評定するのだって、頭痛のタネである(ま、世の中は広いから、大喜びでやる人だっているのだろうが)。

難しいのは、やむを得ず辛口な評価をしたときにも、相手がやる気を持ち続け、自分について来るようにようにしなければならないことだ。そのためには、日頃から機会を捉えて、評価の視点を教えつつ、自分が公平であることを伝えていかなければならない。

そこで、ちょっと考えてみていただきたい。あなたの部下ないし後輩が、あるシチュエーションで、ふつうの定石とは逆の手を打ったとしよう。あやうい、とあなたは一瞬思うが、意外にも結果は好転し、良いパフォーマンスを得られたとする。このとき、その部下or後輩を、ほめるべきだろうか、とがめるべきだろうか?

わたし達の仕事では、先の読みにくい不確定な局面がいくらでもある。合い見積で競合し、受注できるかどうかわからない時、外注先の能力に不安がある時、材料の市場価格に変動がある時、等々、いくらでも例は挙げられよう。そんなシチュエーションのいずれかを考えてほしい。もう少し条件を明確にして、その部下の行動は裁量範囲をひどく超えている訳でもないし、規則に反したのでもないとしよう。また、あなたの知らない情報を入手していたわけでもなく、ただ特段の客観的根拠なく、逆張りをしたのだった。

さらに言えば、そのシチュエーションでは、通常の行動と、その逆の行動は、統計的に60:40の比率で結果に表れるとしようか(あなたの会社はまともな会社なので、過去の経験値をちゃんとヒストリカルに集積・分析しているのだ)。それで40%の方を選択したのだが、結果としてはオーライだった。勘が良かったのか、あるいは単に運があったのだろう。これをどう評価するか。

ビジネスは結果がすべてだから、良くやったと賞賛する。あるいは、今回はツイてただけで、定石には根拠があるのだから従え、と叱咤する。どちらもありそうだ。さらに、結果については誉めておいて、やり方については叱る、という中間的な答えもあるかもしれない。いや、やり方には一応釘を刺しておくが、結果は大いに誉める、という順番もあろう。こうした評言はどれも、「結果を誉める」「方法を叱る」という二つの評価の混合である。誉めると叱るの『混合比率』が1:0か、0:1か、あるいは0.5:0.5、0.3:0.7などと表現できる。

さて、読者諸賢がどの答えをとられたにせよ、もう一問、たずねたい。もしも相手が部下ではなく、上司や、もっと上級のマネジメントだったら、どうだろうか。もちろん自分が査定できる立場にはないが、それでも評価はしたくなるだろう。飲み会その他のアンオフィシャルな場で。その時、部下と同じ評価をするだろうか? いいかえるなら、整合性の取れた評価の原則を持てるだろうか?

わたしの考えは、こうである。まず、仕事の方法(=プロセス)を叱らなかった場合、その部下は、次に同じようなシチュエーションで、どうするだろうか。やはり同じように、自分なりのカンで動くにちがいない。次にまた逆張りをして、今度は失敗に終わったら、どう評価するか。あるいは逆張りで、またうまくいったら。この人が、通常の定石よりも良いパフォーマンスを出せるという事を示すためには、何回トライアルを許せばいいだろうか。ま、2回や3回でないことはお分かりいただけよう(情報量基準という手法を使うと何十回必要か計算できるが、ここでは略す)。

また、もし仮にこの人が、通常よりも良いパフォーマンスの持ち主だったとしても、その根拠を「カン」以外で示せなかったら、まったく属人的で、組織では共有不可能な能力だ、ということになる。またその能力が、別のポジションで、別種のシチュエーションでも通用するかどうかの保証もない。つまり、「方法」というのは、誰がやっても安定したパフォーマンスを示せてこそ、組織にとって価値があるのである。たとえ確率60:40でも、『定石』にはその価値がある。結果は、そのときどきの良しあしがあるだろう。しかし長期的には、良い結果が多くなっていく。言いかえれば、プロセスとは長期的な成績の評価なのだ。他方、「結果を誉める」のは、短期的な成績評価だと考えられる。

さて、組織のピラミッドで、短期的な結果を最も求められるのは誰か? それは経営者であろう。四半期毎に良好な業績を示さないと、株価下落や、株主総会での非難を受ける。一方、短期的な成果を最も求められないのは、新入社員である(仕事の全体像を知らないのだから当然だ)。新人にはまず、規則と常識的プロセスに従う事を教える。そして、組織の序列を上がって行くにしたがい、評価軸はプロセスから結果へと比率が移っていく。経営トップは、結果のみだ。それはちょうど、仕事における裁量範囲(自由度)に一致している。トップは原則として最大の裁量を持っているのだから、それで万全のパフォーマンスを上げられるはずだ、という理屈になる。図にすれば、次のようになるはずだ。

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だから、最初の問題に戻れば、あなたの部下が組織内のどのポジションに位置するかによって、「結果を誉める」「方法を叱る」の比率を変えるべきだということになる。もし、まだ下の方のポジションだったら、“自分の直感ではどう感じたにせよ、60対40の確率の時には定石を迷わず選べ”と諭すべきだ。それが、フォームを持つ、という事だ。また逆に相手が上司だったら、結果による評価の比率がずっと重くなるはずだ。

もちろん、これはわたしの意見である。こうした人事評価の問題には、いろいろな意見があるだろうし、確定的な正解というものはないと思う。ただ、この評価のブレンド比率が上下で逆だったら(次の図参照)、なんだかおかしいと感じる人が多いのではないか。つまり、どんなひどい結果が出ようと、トップは批判されずに済み、一方、下の者ほど、短期的な結果で尻を叩かれる、という組織である。これに比べれば、最初の図の方がずっとましな混合比率だとわたしには思える。

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わたし自身は、経営トップが100%短期的結果だけで株主から評価されるのも、少しアンバランスだと考える。株主にだって、会社の長期的なパフォーマンスを見る視点をもってもいいではないか。現在の株式市場が、もし短期だけの浮動的論理で動いているのだとしたら、それは市場が自分自身の首を、少しばかり絞めているのではないかと感じるのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-10-08 23:12 | ビジネス | Comments(0)
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