海外プロジェクトの変化と、契約意識という不可視のハードル

ドイツの山の中の道路で運転していた。追越し禁止の地点だったが、反対車線の前方から来る車がないので追越しをかけたら、ちょうど警官がいて制止された。いわく、
「おまえはいま追越禁止だということを知っていたはずだ」
--しかり。
「なぜ追越したのか」
--前の車がのろのろ走っているし、対向車が来ないのが分かったから追越したのだ。
「追越禁止が黄色の線で表示されていたのだから、規則違反である」

自分の車には、外国人短期滞在の免税車であることを示すナンバー・プレートがついていた。訪問客であることは分かるだろう。そこで、誠意を持って鄭重に、
--まことにすみません。もう今後は違反しないように注意します。
と謝ったのだが、警官は、
「今後こういうことをしてはいけない。25マルク(当時)支払いなさい」
と罰金の支払いを要求する。しかたなくその場で罰金を支払ったら、警官は印刷した受取りをくれて、こう言った。
どうも有難う。旅行のご多幸を祈ります。」

これは法学者の川島武宜が、大塚久雄・土居健郎との鼎談「「甘え」と社会科学 (1976年) (弘文堂選書)」(1976)で紹介しているエピソードである。ドイツの警官がいかに石頭か、という笑い話としてでは、もちろん、ない。西洋社会における『法』意識の好例として、である。最後に警官が「有難う!」と礼を言っている点に注意してほしい。法律から見たマイナーな異常状態(conflict)が解消され、相手との共通理解に達したことを嘉したのだろう。

精神医学者の土居健郎は、受けてこう言う:「私も似たような経験をアメリカでしましたが、その時何か言いわけをしようとしたら、文句があるなら何月何日裁判所へ出頭しろと言われました」。この対応に、土居も意外に思ったわけだ。でも、個々の警察官に解釈や運用の裁量は無い。それを持つのは裁判官なのだ。そこで川島は、法学者らしく纏める:「日本では、『すみません、今後は致しません』と鄭重に謝っているのに機械的に法律を適用して罰すると、『融通のきかない石頭』と非難される。悪いことをした子どもがすみませんと謝ったら、母親は『いい子だ、いい子だ』と許してくれる。法律もそうであるはずだ、と国民は期待し信じているのです。だから、法律は『伝家の宝刀』だ、といわれるわけです」(前掲書 p.150)

これは今から35年も前の本である。今日では、日本人の法意識も大いに進歩して、西洋並みの水準に達した、と期待していいだろうか? わたし個人は、疑わしく思う。そもそも社会と法の関係は、“進歩する”とか“西洋の水準”といった一軸的な尺度で議論する問題ではない。「法は運用の妙にあり」という金言は、今もわれわれの社会で立派に生きている、と思う。これは、道交法などの違反事例でなく、民事契約における紛争(conflict)解決を見た方が分かりやすい。

企業間契約だとか雇用契約などの争いは民事であって、警察は介入しない原則だ。仕事が遅れて、契約納期に間に合わなくても、揉め事は原則としてまず当事者で解決にあたらなくてはならない。それでも、どうにも対立が解けないとき、どうするか。双方が法的代理人を立て、自らの正当性を論証しあう争いになる(dispute)。そのとき、基本になるのは契約書に書かれた権利と義務の関係である。自分はこれこれの義務を果たしている。よって、かくかくを請求する権利を有する。それを調停者や法廷の前で主張していく。

では、たとえば、一括請負で受託した仕事が、基本設計を終えた段階で、予期しなかった外部環境の変化や、外注すべき資材・サービスの相場上昇や、度重なる顧客の気まぐれによって、当初の予算をかなりオーバーすることが分かったとき、どうすべきか? (1) 外注先に思い切った値切り交渉をする、(2) 安価な外注先を新規に探す、(3) 顧客に予算の追加をお願いする、(4) 自分で損失を引き受ける、の4種類の選択肢の中で、どれを選ぶべきか。

わたしはこの問いを、マネジメントに興味を持つ企業人や大学院生に対して、機会があるごとに何度も発してみたが、答えはいつも大多数が「(3) 顧客に予算の追加をお願いする」であった。残念ながらこれは、通常の請負契約の論理から考えて、とうてい論証が困難な主張である。たとえば、外部環境の変化が予見できる範囲かどうかは、不可抗力条項などの形で、契約に書かれている「はず」である(それが無かったら、サインする前に契約に追加するよう要求しなければいけない)。資財・サービスの価格上昇も、普通は請負側がそのリスクを提示価格に見込んでいる「はず」である。もし急上昇の懸念が高いなら、あらかじめ契約書の中にescalation条項を入れるよう、主張しなければならない。そして顧客の気まぐれだって、個々のメールや打合せ議事録などの記録で、トレーサビリティを証拠立てしないかぎり、水掛け論に終わるだけだ。

それでも多くの人が「予算追加のお願い」を選ぶのだとしたら、それは、顧客に謝って泣きつけば、少しは面倒を見てくれるはずだ、と期待しているからだろう。そのような経験を、過去してきたのかもしれない。「今回は無理だけれど、じゃあ、次回の仕事で何とか見てあげよう」と言われるような継続的関係があるのかもしれない。逆に言うと、上記のような不可抗力条項やescalation条項を、契約書に入れようと主張しても、顧客がうんと言わない事情(「なんだ君、そんな水くさいこと」と一蹴される)を示しているのではないか。そもそも紛争が起きたとき、準拠法や所轄裁判所を明記する代わりに、「双方誠意を持って対応する」とだけ契約書に書いているのではないか(わたしは外国の契約で、このような『誠意条項』を見た覚えがない)。

だとすれば、顧客も請負側も、同じ意識の中に生きているのである。それはつまり、法的紛争は『伝家の宝刀』で、機械的に契約書の文言を適用するのは『融通のきかない』態度だ、という考え方である。

そして、このような法に関する意識・社会通念は、日本社会を一歩外に出たら、殆ど通用しなくなることを忘れてはいけない。経産省が少し前にまとめた「日本の新成長戦略」では、新興国に対するインフラ・システム輸出などが、成長力回復の切り札として位置づけられている。それはそれで、結構である。しかし、日本の優れた技術力とものづくりの成果を海外に持っていくとき、我々の伝統的な法意識や契約観念を、見えない付属品として持っていけると思ってはならない。大手ゼネコンの近年の海外失敗事例を見れば分かるように、怪我のもとである。

日本企業にとっての海外プロジェクトをふり返ってみると、'70~80年代の消費財輸出からはじまった。優秀・高品質な製品力と、円安による競争力に支えられたあの時代は、「売ってあげる」型の輸出であった。作れば端から売れていった。

それはさらに'80年代後半~90年代前半のバブル時代における、不動産投資・企業買収・営業所開設・工場建設などの波につながっていく。自らが起案し、自分が買い手(顧客)である、非常に強い立場であった。

ところが2000年代に入ると、海外とのつきあいは、海外調達・部品製造外注・オフショア開発などが主体になってくる。これは自発的と言うよりも、対応のためやむなく追いかけるタイプの海外プロジェクトだった。それでも、自分が買い手の立場にある点は、まだ強みだった。問題は2010年代以降の、今日だ。インフラ/システム輸出は結構だが、これは結局、「買って下さい」型の輸出である。

このように、日本にとっての海外プロジェクトは、バブル期頃までの「強い立場」・「先進国相手」・「売ってあげる」型から、2000年以降の「弱い立場」・「新興国相手」・「買って下さい」型に、明瞭にシフトしてきてきた。だから、バブル期までの過去の『成功体験』は使えないのである。

過去の成功体験とは、すなわち、こちら側の法意識や慣習で相手を動かしてきた体験である。これは、かなり強い立場だったから可能だったにすぎない。今や、「対等の立場」に降りてきたわけだ。対等とは、すなわち、相互に理詰めで議論し、相互に合意することが求められる「水くさい」関係である。好きか嫌いかは別として、わたし達が海外を目指すなら、超えなければいけないハードルは、そこにあるのだ。
by Tomoichi_Sato | 2012-07-30 23:13 | リスク・マネジメント | Comments(0)
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