組織におけるリーダーシップと自由度のトレードオフ

たしか懇親会の席だったと思う。わたしは近くに座り合わせた、ある大企業の社員とあれこれ議論をかわしていた。若手の技術者で、知的な人だったが、会社の業績が最近伸びずにいることに問題意識を持っていて、どうすべきか回りの意見を聞きたがっているようだった。そして、「結局のところ、戦略が欠落しているのですよ、ウチの会社は。経営者のリーダーシップ不足だ。そう思いませんか!」と訴えるように叫んだ。

わたしは、多少のお酒のせいもあってか、皮肉めいた気持ちになってたずねた。
--戦略不在だとおっしゃる。なるほど。それじゃあ逆に質問しますが、貴方は上司が“右向け、右”と言ったら、右を向きますか?
 すると彼はちょっとだけ考えてから、
「いや、そうとは言えませんね」
と答えた。彼は会話の中で、直属の上司の考え方や方針にも批判的だったのである。

わたしはさらに言った。
--もしそうなら、少なくとも貴方ご自身は、上司の命令にただ盲従はされないという訳です。むろん、ご自分の考えもあっての事でしょう。それにもしかすると、貴方の上司だって、同じかもしれません。事業部長だか役員だかに、右向け右と言われても素直に従わない可能性があります。でしょ?
「・・だとしたら?」
--だとしたら、貴方の会社は、社長が右を向けと命じても、会社全体がすぐ右を向くとは限らない訳ですね。そんな組織で、戦略はどういう意味を持つのです?

「うーん。」彼は苦笑いして、ちょっと考えてから反論してきた。「でも経営者たるものは、我々が納得するに足る戦略を示して、我々を動かしてほしいんですよ。」
--ご自分には『納得』できる余地を残してほしいが、全体としてはリーダーが手足のように部下を動かす軍隊的な組織であるべし、と貴方はおっしゃる。だが軍隊の兵卒や下士官に納得などありませんよ。成功すれば将軍だけの手柄だし、失敗したら将軍だけの責任。そういう組織を、本当にお望みなんですね?

わたしの知っている日本の多くの企業では、社長が『右向け右』と指示や方針転換を出しても、組織はなかなかすぐには従わないように思われる。それはある意味で、社員が皆、仕事について問題意識を持ち、自分なりの考えをもっていることの、裏返しである。日本企業は現場のブルーカラーにしても、ミドルのホワイトカラーにしても、例外なくほぼ真面目であり、かつ、しばしば優秀である。そこは欧米あるいは途上国などに比して、優位性を保っている一面だろう。しかし、その裏面には、皆がそれぞれ考える能力を持っているため、ベクトルがなかなか一致しにくい、という事情が隠れている。

誤解しないでほしいのだが、わたしは別に日本企業で戦略やトップのリーダーシップに意味がない、などと言っているのでは無い。ただし、『自分なりに考える人々』からなる組織では、それなりの特別な考慮が必要だと考えるのである。たとえば、サプライチェーンの業務改革だとかERPパッケージの導入などでは、しばしば「トップのリーダーシップ」が求められてきた。わたしも10年くらい前は、そう言ったり書いたりしたように思う。しかし、ある頃から、声高に言うのを控えるようになった。リーダーシップだけの問題ではないことに、気がついてきたからである。

ビジネス上で生じるトラブルの原因を探るとき、出てくる答えには大体、二つのパターンがある。それは「担当者の資質」と「リーダーシップの問題」である。どちらになるかはまあ、その人の立場で決まる。上司は部下に問題があると答え、部下は上司が無能だというわけだ。原因究明がこういう結論になるから、管理職は「社員教育が課題」と考え、担当者レベルは「上が変わってもらわなければ」と人事に期待する。だが、この二つの議論、どちらも失敗の原因は『人の資質で決まる』と考えている点では、同根であろう。

ところでこの何年間か、わたしは「リスク確率にもとづくプロジェクト価値の評価」という問題の研究を続けてきた。これは何かというと、プロジェクトを構成する各作業(アクティビティ)が、どれだけ価値に貢献しているかを計算する試みである。プロジェクトはWBS(Work Breakdown Structure)によってアクティビティに分解し、ネットワークの形で構成することができる。それを用いて、プロジェクト全体の価値も、アクティビティ毎の貢献価値に分解する。ただし、この計算をするときに、各アクティビティのリスク確率(=つまり仕事の『難易度』)が必要になる、というのがミソである。難易度が高いほど、貢献は大きくなる。くわしい論理はここでは述べないが、「基本設計」とか「調達」とか「実装」とかのアクティビティが、それぞれ幾らの貢献価値を持つか、数値で示すことができる。同じ仕事でも、価値は、アクティビティ・ネットワーク・システムの設計に依存して変わる(興味がある方は、たとえば最近International Journal of Project Management誌に発表した研究論文を参照されたい)。

この理屈を思いついてからしばらくたった後で、同じ論理を、逆に「責任の分解」にも使えるはずではないかと考えた。ちょっと数式をひねってみると、成功するはずのプロジェクトを失敗に帰してしまった場合、その「マイナスの貢献価値」(=責任の大きさ)は、アクティビティの難易度が低いほど大きくなることがわかった。容易な仕事で失敗したら責任も重大、というのは一応、常識に合う結果だ。

ただし、わたしの論理では、貢献も失敗も、個人ではなくアクティビティに帰属する。複数人で遂行するアクティビティの場合、その中の誰の問題かまでは問わない。個人の資質に帰そうとする発想自体が、わたしには薄いのだろう。どんな仕事にもリスクは存在するし、どんな人間もミスをする。だから、それをシステムとしてどうカバーし保証するかが探求のポイントなのだ。

ビジネス上で、ある程度大きな問題事象が発生したとき、「ただ一人の責任人物」を特定するのは意味がない、とわたしは考えている。かならず原因は複数あるからだ。ミスや問題行動を起こした担当者と、そのミスが拡大・伝播するのを防ぐ仕組みを作らなかった管理者と、である。これを逆の角度から言うと、問題をローカルに解決できるためには、現場側にある程度、考える能力と権限(自由度)がなければならない。ところがそうなると、組織はトップからの戦略や方針変更に、機敏にしたがえなくなる。小さな問題解決のためには現場側の自由度が必要だが、大きな問題解決のためにはそれが邪魔になる訳だ。ここに組織設計というものの根源的なトレードオフが存在する。

だから、当初に出てきた技術者氏のように、自分の自由だけは確保しておいて、リーダーに結果責任をとってもらいたいというのは、わたしに言わせれば、虫のいい考えなのである。もし技術者として何かを考えるなら、こうした組織という「システム」の設計問題を悩むべきであろう。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-17 22:59 | ビジネス | Comments(2)
Commented by とおりすがり at 2012-06-18 00:10 x
うーん、ちょっと論理飛躍してないかい?。戦略と戦術をごっちゃにしてるからそう感じるんだろうけど…。戦略は全体の方向性、戦術は現場での実現方法、だから責任を取るとらないはそれぞれのリーダー(通常は同一ではない)がやれば良いだけであって、今回の件で言えば戦略は経営者、戦術はその本人が取る(取らされる)ことになる。
Commented by Namaeta at 2012-06-22 12:37 x
そうでしょうか?私は佐藤さんの論理に納得感がありました。そもそもビジネスの現場で戦略と戦術がきれいに線引きできるわけもなく、サイモンではありませんが、ごっちゃになっているのは現実の方でしょう。私から見るとこの若い技術者の方は、縦割りならぬ横割り思考が強く、仕事も役職でキッチリ線が引けると考えているのだと思います。「正しい方向に引っ張るのはリーダー、ただついていくのがフォロワー」という、非常にナイーブなリーダーシップ観が透けて見えます。リーダーの定義の一つに「フォロワーがいる人」というものがあります。ついていくフォロワーが一人もいなければ、いくら役職がついていても、その人はリーダーではありえません。その意味で、リーダーはフォロワーによって作られている面があるわけです。そうである以上、リーダーシップの成否はフォロワーにもあることになります。一方的にリーダーを批判する人には、自らもリーダーを支え、状況によって必要なリーダーシップを発揮すべきであるというフォロワーとしての責任感が完全に欠如しており、そのことの自覚も皆無です。あたかも自分だけ安全地帯にいるという錯覚に対しては私も皮肉めいた気持ちになります。
<< プロマネの悩みは誰が解決すべきか 在庫問題の構造を把握するために >>