R先生との対話 - 戦略を語る前に必要な『勇気』

久しぶりにR先生を訪れた。R先生は現在は半ば引退した経営コンサルタントで、尊敬する大先輩である。もう関東は花の盛りを過ぎて、初夏の陽気であった。

「最近は経営企画部門に移ったそうだが、調子はどうだね?」

--何ともむずかしい仕事ですね。中期経営計画を立案してモニタリングするのが主な仕事の一つですが、5年間の中期計画と言っても、われわれの業界のビッグ・プロジェクトは開始から終了まで平気で4年くらいかかってしまうので、その帰趨によって会社の計画値自体がゆらいでしまいかねません。

「だが、それなら逆に先が読みやすいとも言えるじゃないか。受注残高だって数年分あるわけだろう?」

--確かにそうですが、なにせ工場を持たない受注産業ですから、逆にその先の保証は全くありません。為替レートや市場環境の変化も激しい上に、エネルギー構造自体が世界的に変わりつつあります。

「だったら、なおさら経営企画部門の出番じゃないか。“計画はスタティックな最適化の問題じゃない、刻々変化する環境下での適応制御の問題である”、みたいなご高説を君は10年前に生産スケジューリングの本で、偉そうに書いていたはずだ。」 R先生はにこやかな顔でわたしをからかった。

--たしかにそうですが・・。生産計画やプロジェクト・スケジューリングと違って、経営計画というのは非常にスコープがオープンなんですよね。外部とのインタフェースが多くて、しかもソフトです。考えるべきテーマがひどく広い。その割に人数が限られています。まあ、経営企画部門がやたらと大組織ってのも、逆におかしいと思いますが、先生は適正なあり方って、どうお考えですか?

「それは権限と責任範囲による。欧米の会社だと、Strategic Planningとか経営戦略はMBA的なキャリアの仕事で、経営者への第一歩だと位置づけられる事が多い。日本でも、企業によっては経営企画部門はエリートコースで、そこを経験することが社長へのルートみたいなところも、伝統的大企業には案外多い。当然、ある程度の所帯になる。ただ、戦略立案はエリートの決定事項で、実行は下々の仕事、というあり方は好かんな。」

--長年、計画技術者をやってきた自分としても、たしかに違和感があります。まあ、幸いわたしの勤務先では、経営企画部門はそんな位置づけじゃありませんが。

「そりゃあ、君が任命されるくらいだから、エリートコースでないのは明らかだな」

--・・それはともかく。自分達で大胆な戦略的提言ができるためには、どのような組織体制が望ましいのでしょうか。

「君は根本のところが間違っているよ。戦略を決めるのは経営者の仕事だ。企画部門の仕事じゃない。」

--そうですか。

「とるべき戦略を考え、決めるのは経営者だ。ただし、経営者は忙しい。だから『考える』の一部を分業して、企画部門にやらせているだけだ。君がやるべき事は、情報を収集し事実を分析して、いくつかの選択肢を考える事までだ。中には“従来の仕事を今までどおり続けるか、止めるか”という単純な選択肢だってあるがね。何ならリコメンドをつけてもいいだろう。だが、そいつらを評価して、選ぶのは経営者だ。
 なぜなら、最終的な責任をとるのは経営者の方だからだ。戦略というのは、結果に責任をとるものが選ばなくてはならない。」

--なるほど。でもあえて、“なぜですか?”と聞いていいですか。

「それはな、前にも君に教えたとおり、戦略とは賭けだからだ。賭けには仮説があり、決断があり、実行がある。実行の最中にも微調整がある。仮説は生きものだ。むしろ実行を通して、仮説を“結果的には正しかった”ものに育て上げていかなければならない。そのためには、実行している当人達が、結果を背負い込む覚悟がいる。戦略立案と実行を組織的に分業すると、生きた仮説が、固い無生物になってしまう。それでは仕事はうまくいかん。君は自分の立てた戦略と心中する覚悟があるかな?」

--それは、うーん、あります! と言いたいところですが・・

「それみろ。戦略を語る前に必要なのは勇気だ。君みたいに度胸のないヤツに戦略作りなんかまかせてたら、会社がいくつあっても足らん。君だけじゃない。今この国には、勇気ある者はめっぽう足りない。いるのはリップサービスと逃げ口上だけが上手な、小役人みたいなのばっかりだ。上から下までな。」

--手厳しいですね。でも、それじゃあ、自分みたいな人間が勇気を持てるようになるには、どうしたらいいでしょうか。それとも度胸というのは生まれつきの素質ですか。

「そんな問いに正解は無い。まず自分で考えなさい。考えるのが君の仕事だろ? もちろん、生まれつき肝の太いのも、小心な者もいるさ。そして健全な組織には両方必要だ。一個人の中だって、両面が必要だ。ただ、勇気というのは育てるものなんだ。少なくとも“自分には勇気が不足している”と自覚することが第一歩じゃないか。」

--それはそうですね。

「男は度胸、女は愛嬌、という言葉を知っているだろう? あれは、理想を表している。つまり実は、それぞれに足りないものを述べているんだ。ふつうの男には度胸が足りず、ふつうの女は愛嬌が足りない。」

--はあ。

「つまり男だから生まれつき度胸がある、なんて事はないのさ。むしろ近頃では、日本の若い女性の方がずっと勇気があって、剛胆な人が目立つ。ジャパニーズ・サムライは今や女性が主役じゃないかな。それはなぜかというと、女性の方が社会的に不利な分、失うものも少ないからだ。
 これに失敗したら面目を失う、地位も失う、そんなリスクばかり考えているから、誰も勇気ある一歩が踏み出せないのだ。大企業の経営者たちもそうだ。そうしている内に日本はどんどん追い抜かれてきたじゃないか。
 君が若い後輩を育てたかったら、どうする? 少しくらい危なっかしいと思える仕事を任せないか? 失敗しそうでも、ギリギリまで助けまい。」

--そうですね。全部手を出していたら、相手は育ちません。

「人は少し背伸びするくらいの場所にいないと、のびない。背伸びしたら、ときに倒れるかもしれない。倒れても、ひどい怪我をしないよう気をつけるのは、まわりの責務だ。つまり、いざというときに頼れる仲間や先輩がいないと、勇気も育たないことになる。
 勇気ある人間とは、つまり大人ということだ。ある意味、一人では大人には成れないのだよ。回りに大人がいて、手本となり、支え、励まし、また叱って、はじめて人は大人になっていくのだ。」

--だとすると、大人が多い社会では、さらに大人が育ちやすく、大人が少ないと、大人の育つ速度も小さいことになりますね。スパイラル現象だ。明治初年の頃と、今の平成と、同じ日本なのに、人の成熟度が違うような気がするのも、このためなのか。
 でも、運不運というのもありますね。失敗したときは、どう受けとめるべきですか。

「世の中にはもちろん、自然災害を含めて、ときに思った以上の痛手を被ることがある。そんなとき、出来事を受け入れるためには、網が石つぶてを柔らかく受けとめるように、周りの人間が一緒になって受けとめる必要があるんだ。一人の人間が決めた結果すべてを、自己責任論で当人だけに押しつけたら、誰も何もできなくなってしまう。」

--たしかに。

「だから失敗したらね、『いい勉強をした』と思いなさい。そして自分で笑えばいい。そうすれば、笑っている側の自分だけは高く保てる。」 R先生はグラスを傾けて、こう言われた。「人は悩んで大きくなる。でも、それは勇気を持って、リスクをとって踏み出したときの悩みに限るんだ。リスクをとれずに逡巡しているだけの悩みでは、自分は育たないことを心に銘記すべきだな。」
by Tomoichi_Sato | 2012-05-06 23:08 | ビジネス | Comments(0)
<< 日誌をつけよう 「生産スケジューリング」セミナ... >>