心の中でヘリコプターに乗れ


社会に出てからそれなりの時間が経つが、若い頃に思っていたことで、実は幻想だったなと感じることが一つある。それは、“能力が上がれば、あるいは出世すれば、悩みは減るはずだ”、という考え方である。これは言いかえれば、自分は若いから(あるいは地位が下だから)悩みが多いんだ、との理屈になる。仕事が難しいのは、まだ駆け出しで能力が足らないからだ、だからベテランになれば楽に仕事ができる。やりたいことができぬストレスに悩むのは、自分に許された権限範囲が小さすぎるからだ--そんな風に、以前は考えていた。

しかし、押しも押されもせぬ立派なチューネンになってみて分かったのは、むしろ年を経るほど悩み事は多く、責任に比例して肩の荷も増え、毎日つく溜息の回数も多くなるという事情だった。就職は人生の一大事だったが、仕事を学ぶのはもっと大変で、中間管理職になると軋轢はより面倒で、仕事はちっとも減らないのに体力だけは確実に落ちていく。もちろん、単にわたしが愚かで心配性なだけだ、という可能性もある。他の人は、毎日もっと陽気に生き、充実感をもって仕事をし、問題などどこ吹く風、と過ごしているのかもしれない。でも、だとしたら、酒の場では誰も仕事の愚痴などこぼさず、書店には問題解決の本など並ばず、新聞の身の上相談はあがったりで、GDPはロケットのように成長していかなければヘンだ。

「『問題』とは、自分達が(意識的であれ無意識にであれ)期待していた状況と、現実との間に生じるギャップのことを指す」--前にもこう書いた。期待と現実にギャップがあるときは、なんとかして埋めたいと誰もが思う。机の横の立ち話や会議室や酒場で議論になるのは、そういった問題解決の方法についてである。解決法が明白なら、誰も悩みはしない。実行すればいいだけだ。でも、明白でないから、議論になる。そして、なかなか決まらない。あるいは決まっても、納得して従いづらい。これが『悩みのある』状況である。

仕事上の問題解決について、議論が別れてなかなか決まらない理由は、いくつかある。まず、そもそも、何が問題か分からないときだ。なんだかどこかおかしいと感じるのだが、何がどうおかしいのか、問題自体が同定できていない場合。あるいは、問題が複雑すぎて(大きすぎて)手に負えない、と感じられるときも同じだろう。以前、問題解決プロセスを5段階に分けて説明したことがあったが(「問題解決のための二つのキーワード: 抽象化と類推」)、その用語で言うなら、これらは原因分析段階での論争だ。アーリー・ステージでの議論だと言ってもいい。

しかし実際には、問題は同定されたものの、解決策を決める段階で論争になる方が、はるかに多い。たとえば、情報が不足して現状が正確につかめない。ないし、現状は分かるが未来が不確実で予測しがたい場合。また、制約条件がきつすぎて実行可能解がない場合。さらにやっかいなのは、解決の結果について評価軸が複数あって、トレードオフのために優先がつけられない場合だろうか。

仕事上でこうした困難に直面したとき、かつて先輩から教えてもらった教訓がある。それは「心の中で、ヘリコプターに乗れ」というものだった。プロマネに必要なのは、ヘリに乗る能力=Helicopter Capabilityだ、との言葉も聞いた。どうやら元は、ある米国企業のトップ・マネジメントが教えてくれた言葉らしい。

ヘリコプターに乗るとは、どういう意味か。それは、問題を起こしている戦場(Battle field)と同じ地平、同じ目線で考えないで、もっとはるか上空から考えろ、という意味だった。ヘリに乗って、ずっと上から問題を眺める。そのとき、問題の局地戦だけではなく、仕事の全体像、当面の目的地、地形や敵味方の戦力の配置、そして遙か向こうにかすんでいるビジネスの成功地点(=ゴール)、などが見えてくるはずだ。その大きなパースペクティブの中で、あらためて目の前の問題の位置づけを考え直す。そうすると、局地戦で打破するのか、いったん引き下がって精力を増員してから正面突破するのか、それとも迂回するのか、そもそも目の前にいるのは本当の敵なのか、といったことが見えてくる。

心の中でヘリコプターに乗ると、先に挙げたような論争の状況はどう見えてくるだろうか? たとえば、何が問題か分からない、問題が大きすぎて(複雑すぎて)手に負えない、というとき。それは、問題に対する視点が近すぎる(近視眼的すぎる)ときに生じる。だから、後ろに大きく引いて見ると、問題の構図が見えてくるかもしれない。

情報が不足して現状がつかめない、あるいは現状は分かるが未来が不確実で予測しがたい、というときはどうだろうか? 問題を遠くから見るというのは、細部を忘れて『抽象化』して考える事である。抽象化できれば、地表で似たような図柄を別に見つけることも可能なはずである。つまり、抽象化と類推の手法を効かせることができるようになる。そもそも、技術者という人種は、“細部に近寄って見る”ことが好きだ。事象を細かく観測し分析したがる。そして技術論の局面でものごとを解決しようとする。そのためにデータを取りたがる。それも、より正確なデータを、より大量に取る。そのうち、事象は数字の藪の中に隠れてしまって訳が分からなくなる。技術論で解決するより、味方の人数を倍に増やしたり、思い切って高価な道具を使ったりする方が効果的だったりする事もあるのに。

制約条件がきつすぎて実行可能解がない、というのはどうだろう? これなどまさに、大局観をもち、制約条件を取り払って考えることが有効だ。というのも、『制約条件』は自分が心の中で暗黙のうちに設定しているものが殆どだからだ。期限どおりに終わらない、と悩んでプロマネに相談したら、なあに隣のタスクも遅れているから、お前の仕事は後1週間は遅れても大差はないんだ、と言われたりする。企業組織は縦割りの壁があるから、その壁を「ハードな制約条件」だと感じがちだ。しかし、もっと上の立場から見ると、分担はとりあえずのもので、最終的に仕事がまとまればよい、だから部署間のインタフェースは「ソフトな制約条件」だという事が、実際よくある。

そして、解決策に対する評価尺度が複数あってトレードオフが生じるときは、どうだろう。安全性を優先すべきかコストを優先すべきか。納期を優先すべきかリスクを重く見るべきか。デザインはクールでハードなものか、それとも暖かく柔らかなものか。こうした論争はえてして一番やっかいだ。というのは、“信念”あるいは“好み”のために、妥協ができない人が案外多いからだ。

まあ、事柄が政治や宗教などの領域ならば、簡単に譲れないのもわかる。しかしビジネス上の判断で、あまり自分の価値観に固執するのは、ちょっと大人げないと言えるだろう。しかし、「あんたは子どもだ」などと言ったら文字通り喧嘩になる。そういうときに、視点をずっと上にあげて、遠くの目標を(再)確認することは役に立つ。というのは、価値観の相違を、共通の大目的のために吸収する効能があるからである。それにビジネスでは、「当座の手段」だったはずのものが、いつのまにか「目的」にすり替わっていることがよくある。これは遠くの目標を再確認することで、解消できるからだ。

この『ヘリコプター技法』を使うときは、できれば目をつむって、本当に心の中でヘリコプターに乗って上空に舞い上がるイメージを持った方がいいように感じる。人間の心は微妙なもので、イメージすることで、それなりに感じ方が変わってくるからだ。

先日上梓した「“JIT生産”から卒業するための本」で、わたしは『上司の上司の立場になって考えてみよう』と書いた。それもまた一種のヘリコプター体験である。自分の上司の立場になってみる、では、二階に上がった程度で、あまり視野は広がらない。でも、自分の「上司の上司」の立場になったと想像すると、ずいぶん視野が広がるはずなのである。

このようにヘリコプター能力はとても役立つものなのだが、一つだけ必要な条件がある。それは、目をつぶって心の中で瞑想できるだけの、時間と場所である。あなたは、自分の机の前に座って、目を閉じてじっと考える勇気はおありだろうか? 勇気があっても、それをする時間はお持ちだろうか。問題解決に一番必要なもの--それは「考え事ができる時間」なのだから。
by Tomoichi_Sato | 2012-04-02 22:29 | 考えるヒント | Comments(0)
<< 運・不運は存在するか - また... 映画評:「鬼に訊け-宮大工 西... >>