映画評:「鬼に訊け-宮大工 西岡常一の遺言」

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監督:山崎佑次、撮影:多田修平、プロデューサー:植草信和 
出演: 西岡常一、西岡太郎、石井浩司ほか

法隆寺の「昭和の大修理」の棟梁を務め、晩年は薬師寺の白鳳伽藍復興工事などを指揮した、伝説的な宮大工・西岡常一。本映画は、氏の晩年のインタビューを中心に再構成したドキュメンタリーである。法隆寺の頭領の家に三代目として、生まれながらに宮大工の道を歩むことになった氏の生涯を追いながら、木工の美しさ、木造建築工事のおもしろさ、そして仕事への厳しさを、わたし達観客は見て学ぶことになる。

それにしても、日本の木工の美しさ、そして古い建築技法の知恵の深さはどうだろう。棟梁家に伝わる『法隆寺宮大工「口伝」』によれば、建物の南側には、山の南側に生えた木を使い、北側には、山の北側斜面の木を使え、という。それが木材本来の持つ、自然な性質を最大限に活かすことになるからだと言う。そのために宮本氏は、祖父の命令で農学校に進むことになる。自然は土をつくり、土は木を生やすから、大工はまず土から学べ、という意図だったらしい。

西岡氏は「千年もつ建物」の視野で考える。それだけの年月を耐える建物のためには、樹齢千年ちかい檜がいる。ところが戦後、単相化し荒れていく日本の山林には、もはやそれだけの檜がない。そこで台湾の山奥まで、材木を得るために何度か足を運ぶのである。そして、その木のいのちを繋いでいく技術を弟子達に徹底的に仕込むのである。

木を削るかんなにしても、わざわざ両刃の鉋(まるで槍の穂先のように見える)を作る。それも、現代の鉄ではよく切れないから、わざわざ古代釘を鋳直し、鍛えて作らせるのである。

映像としての見所は、その材木を切り、削って、表面を仕上げ、さらにそれを組み上げていく一連のシーンにある。その美しさ、見事さは息をのむほどだ。しかし、現場を見た西岡は、「大事なことは大工たちの気持ちが揃っていることだ。そうすれば仕事は無駄なくきちんと流れていく」という。そのように、働く人の心をまとめて引っ張っていくことが、棟梁という名のプロジェクト・マネージャーにとって大事な仕事なのである。

実際、弟子の一人はインタビューで、棟梁のどういうところが好きだったかという質問に対し、「ブレないところだ」と答える。これが一番大切な、しかし、一番難しいところだろう。大工は施主に雇われている職人である。にもかかわらず、建物のためには、どんな注文をつけられても曲げるべきでない筋、つまり「設計思想」があるのだろう。そこに対して、決してブレない。これは言うほど楽なことではないはずだ。西岡氏は60歳を過ぎてから、三代続いた棟梁であるにもかかわらず、法隆寺を辞して薬師寺に移る。映画はそのあたりの事情についてさらりとしか説明しないが、寺と何らかの摩擦があったことが想像される。

いや、薬師寺でもまた、建築の委員である大学の先生方とぶつかる。彼らは、木造伽藍の内部に、防火のために鉄骨とコンクリートのシェルターを組み入れるよう指示するのだ。西岡氏は結局はそれに従わざるを得なかったようだが、「コンクリートの寿命は100年程度と聞きます。100年たったら、あの内部だけどうやって建て替えるつもりなんでしょうか?」と答えている。

この人が「鬼」であるのは、結局、仕事に対する責任(それは「御仏に対する責任感」であるが)の強さによるのだろう。それがあるから、自分の配下の大工たちにも、ブレずに命令を下せるのである。たかだか自分のプライドや利益とかではなく、1000年後に対する使命としての責任感。そういう希有な心がけを持った人の顔、ある意味とても穏やかな顔を、観ることができる優れた映画である。
by Tomoichi_Sato | 2012-03-30 23:56 | 映画評・音楽評 | Comments(0)
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