コストのものさし ~その表面と本質

先日、TKK セミナーというところで依頼されて在庫管理の話をする機会があった。少人数だが熱心な受講者の人達と一緒に懇親会で話す事ができ、楽しい時間を持てた。その中で出た話の一つに、ある方が若い頃勤めていた会社でボールペンのまで管理しているというエピソードがあった。その会社ではボールペンを使いきると、資材のセクションはまで歩いて行って、ボールペンの芯だけ補充してもらったという。ペンの外側は、まだ使い続けられる。全部捨てるより芯だけ取り替えた方が安いのだ。

随分と節約した話だ、と皆が感心した。だが、私はこれを聞いて少し疑問に思った。たとえ今から20年以上前の話としても、当時の大卒社員の給料から考えて、人件費は平均で時間単価1,800円くらいにはなっただろう。つまり1分30円である。3分も歩けば、その人件費はボールペンの芯よりも高くついてしまうだろう。これでほんとに会社全体として節約になっているのか。

こうしたことは、落ちついて考えれば、誰でも分かるはずのことである。それなのに、なぜかくも奇妙なコスト管理が会社に横行するのか。

「それは資材部門が部分最適で動いているからさ」といった理由づけは、一応可能だろう。だが、結論を急ぐ前に、もう一つのエピソードを紹介しよう。わたしが以前所属していた部署の上司は、月末の金曜日5時になると、部員全員に号令をかけて仕事の手を止めさせた。止めて何をさせるかというと、「書類整理の時間だ」と宣言するのである。部員は全員、(その場にいないものを除き)自分の机の周りにある書類を整理しなければならない。

整理といっても、その中心作業は「捨てる」ことだった。ただし机の上にあちこち散乱している書類は、ほとんど全てが遂行中の仕事に関するものばかり。だから手元に「仮置き」しているのだ。捨てられるものではない。でも仮置きが増えてくると、次第にどの書類をどこに置いたか分からなくなってくる。使うときに探したり、へたをすればもう一度印刷したりしなければならない。それでも机上に「仮置き」してしまうのはなぜか。それは、ファイリングの手間が面倒くさいから、というよりも、ファイリングしたいけれど、ファイルにそのスペースがもう無いため、机に置くことが多いから、なのだ。駐車場が一杯のため、“ちょっと路上駐車”という訳である。そして路上駐車の車の列があふれてくると、こんどは肝心の仕事の「中心道路」で交通渋滞が起きてくる。仕事と都市の交通事情は、よく似ているのだった。

この問題は、だから「駐車場が満杯」という状況をなんとかしない限り、解決しない。そのために、ファイルを開けて、古い・もう不要になった書類を、捨てるべきなのだ。これが上司の指示の要点だった。そして駐車場(つまりファイルのスペース)に余裕ができると、机上に仮置きしていた書類をきちんとしまおう、という気持ちの余裕が生まれる。目的別に整理できれば、余計な探し物の時間を浪費せずにすむ。

それにしても、なぜ、月1回、強制的作業なのか。各人の自主性にまかせればいいではないか。そう思うかもしれない(わたしも当時はそう思った)。しかし、わたしの勤務先はエンジニアリング会社である。受注ビジネスの仕事をしている。つまり客先の要求に追われる日々なのだ。しかも自分の勤務時間はプロジェクト別・WBS別にタイムシートで記録し、その「稼働率」で管理される。顧客向けのライン業務が優先し、そうでない仕事(書類整理なんかその典型だ)は後回しにされる。稼働率100%、すべて顧客向けの仕事をしていれば誇らしい、そういうマインドセットになりがちだ。

上司はそこを、あえて止めさせたのだ。稼働率を下げてもいいから、身の回りを整理しろ。それを命じないと、半年でも、1年でも、整理しないまま書類の山が増えていく。それが見た目に見苦しい、というよりも、それで実は目に見えぬ能率低下がおきてくる。それを止めたのである。月に1,2時間ならせいぜい稼働率1%の低下に過ぎない。それよりも探すべき書類がすぐ出てくる方がいい。

稼働率というのは恐ろしい指標である。稼働率とは、プロジェクトに従事している時間(顧客に対してChargeableなMan-Hour)の全体に対する比率で定義される。ところで、顧客要求に関連した書類を探し回っている時間は、稼働時間だと認識されている。書類が10秒で出てきても、15分探し回っても、どちらも稼働時間だ。前者の方が能率がいいことは誰にもわかるだろう。ところが、おかしなことに、後者の方が自分の全体の稼働時間が長くなるから、稼働率は上がるのだ。稼働率100%といったって、その内容を吟味しない限り、本当に誉めるべきかどうかは分からない。低能率で稼働100%の人と、高能率で稼働率50%で残業もせずにさっさと帰ってしまう人の、どちらが賢いか。

稼働率管理は、製造業では機械に対して適用される。これを人に対して適用するやり方は、建設業会計からはじまったらしい。そしてエンジニアリング業界や、IT(ソフトウェア)業界まで拡がった。原価を決める際に、年初に社員・常勤協力会社員の人件費(コスト)総額と稼働率を想定し、標準の時間単価を計算する。実際の仕事では、各プロジェクトごとに稼働した時間をタイムシートで記録して、その時間に標準単価をかけた金額が、個別人件費原価として計上される。そして年度末に、実際の稼働率を調べて、当初の想定と違う場合は原価差額を調整する。この方式に従うと、会社全体の稼働率が高いほど、人件費の原価(稼働時間あたり)は安くなる。だから稼働率向上を管理目標にしたくなるのである。

でも、よく考えてみよう。残業の多少の増減を無視して考えるなら、雇っている社員・常勤協力会社員の数は年間を通じて、ほぼ一定である。つまり人件費の総額は固定費なのだ。稼働率が50%でも、75%でも、会社から出ていく全体のお金は変わらない。稼働率を使った標準原価方式は、この固定費を、各プロジェクトあたりの変動費として擬似的に割り当てるための便法に過ぎない。変動費として賦課できなかった分は、間接費(不稼働損)として落ちるだけである。会社の利益(スループット)=収入-支出で、人件費支出の総額は変わらないのだから、利益を上げたければより収入を上げることが先決である。むしろ高能率化で稼働率は下げて、同じ期間内にできる仕事の量を増やした方が良い。だから月末の書類整理は、とても理にかなっているのだ。

わたし達は見かけ上のコスト管理に踊らされている。お金の世界は数字で分かりやすい(ように思える)。だが、その数字の奥にあるロジックは見落としがちである。とくに、人件費は注意が必要である。エンジニアの人件費を上記のように個別原価で管理している会社では、時間数だけでなく、その内容(能率)に注意しなければ意味がない。書類探しに終わる1日は、稼働時間かもしれないが何の付加価値も生まない1日である。他方、エンジニアはすべて販管費扱いの会社も多いが、そうした企業では、人の時間(の浪費)はそもそもコストとして意識されない。

では、最初のボールペンの例では、本来どうすべきだっただろうか。いちいちエンジニアに芯を取りに行かせるくらいだったら、ボールペンの芯を各部署に少しずつストックしておき、使い切ったらその場ですぐ取り替えられるようにする方がいい。そして資材部門は、定期的に各部を回って、消費された分の芯だけを補充して行くのだ。いわば、富山の薬売り方式である。在庫管理の用語でいえば、定数補充だ。もちろん、ボールペンの芯だけを対象とするのではなく、オフィスの事務消耗品全部を対象にする。補充の作業は、単純労働だからパートにやらせてもいい。わざわざ給料の高い大卒社員が往復の時間を無駄にするよりも、ずっと安くつく。使用者と補充者を分業することも、在庫管理の定石の一つだ。

コストを見たら、その表面だけでなく中身も見る力を育てるべきだ。一番大事なのは、人の時間を含む全体像を理解することだ。これ自体は、その気になれば格別難しいことでも何でもない。高度な理論も数式も不要だ。難しいのは、わたし達の頭の中にある慣習的な「思考の枠組み」をとりはらう努力なのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-02-12 11:36 | ビジネス | Comments(0)
<< イナズマ線と二重線 -- 工程... 耳は目よりも聡く、体は頭よりも賢い >>