2年後の日本を予測する

久しぶりに恩師の家に皆で集まった。その時あがった話題の一つが、2年後の日本はどうなっているかということだった。いわば未来予測である。この種のマクロの未来予測はなかなか難しい。考えるべき事柄やパラメータが多岐にわたって、どれに焦点を当てるかが問題だからだ。そもそも、未来は科学的に予測できるものなのだろうか?

誰もが気になるのは景気の動向だろう。電力価格の高騰による製造業の海外移転と空洞化を心配した人もいた。原発の事故を念頭においてのことだったかもしれない。しかしわたしは疑わしいと思った。というのも、一般に製造業の製造原価において、電力料金の占める比率はかなり小さいからだ。化学プラントなどのように電力消費の大きい産業は、すでに自ら発電装置をつくるなどして自衛している。

もしも製造業の空洞化が進行するとしたら、それはむしろ円高のためだろう。過去10年間の工場の海外移転はもっぱらこの理由によるものだった。では、この円高は今後2年間で少しは解消されるだろうか。相場の予測は難しいが、逆にこう問い直してみてもいい。今後2年間で主要な基軸通貨であるドルとユーロは大きく上がるだろうか?

残念ながら今の状況を見る限り、難しいと思われる。現在のユーロの問題は、過去10年間のバブルのつけを払っているわけだ。その後始末はおそらく1年や2年ではきれいに終わるまい。一方、米国はどうか。確かに米国経済はいまだに世界一の規模を誇っているが、すでに国債の格付けはAAAから転落し、その歩みはもはや活力よりも威厳を示すものでしかない。ドルの価値が急上昇する事態は、いささか考えにくいようだ。つまり、今後2年間で、(たとえば中国の人民元が上がることはありうるだろうが)ドルやユーロが急上昇して大きく円安に動くことは、残念ながらないだろうと思われる。

それでは製造業の空洞化はますます進行し、日本経済の活力はもっと損なわれるのだろうか。それはいささか早計に過ぎる。日本のGDPに占める製造業の比率は、今や2割以下に過ぎないからだ。

製造業というのは「モノ」の形で付加価値を得る産業のことである。モノはストックしたり、海を越えて運んだりすることができる。ところがサービス業は違う。このサイトでも繰り返し述べたように、サービス業というのはリソースを提供して付加価値を作る産業だ。リソースというのは人的資源だったり物的資源だったりするが、どちらも現場性の強いものである。サービスの特徴は在庫が利かないことで、つくり出した現場で消費するしかない。いいかえるならば、サービスというのは海外で作って国内に持ち込むことが難しいものなのだ。だから現在の日本経済の主軸である第三次産業が空洞化することはほぼありえないだろう。

念のために言うが、日本経済が低調といっても、それは家計と中小零細企業が苦しいのであって、大企業の内部留保は意外にもかなりの水準を保っている。問題はそうした大企業がため込んだ何10兆円ものお金を、国内に再投資しないことである。国内に工場を作ったり、店舗を作ったりすれば必然的に雇用を生む。それをしないで海外に投資したり(鉱物資源の場合などは仕方がないが)、外国債券を買ったりしているから、国内の景気が上向かないのである。景気が良くないために国内外の投資を手控える。その結果ますます仕事が生まれなくなり、消費が落ち込む。一種のダウンスパイラルだ。

それにしても、製造業が雇用の吸収力を失いつつある現在、若い人はどこに働き口を見つけたらいいだろうか。この1、2年で目立つ傾向は農業への回帰である。大学の農学部への受験者が急増しているし、アグリビジネスの関心も高い。この傾向は今後も当面続くに違いない。広大な耕作放棄地があり、農業法人の組織化も高まっている。日本にはまだ古臭い規制や組織や利権だ残っているため、若い人たちが参入し、成功するまでにはまだ多少の時間がかかるだろうが。

農業と同じように、職人的な手仕事への回帰の流れも続くに違いない。日本の各種専門学校は世界的にみても、実はかなり高い水準の教育をしている。さらに大学を出たって手工業の仕事についてもいいじゃないかと思う人が増えている。私もそう思う。工場で高い品質を支えてきた高卒の人たちがいなくなる代わりに、より高い教育を受けた人たちが旋盤を回すようになるのだ。大量生産から個別生産への変化に、ちょうど付合している。誰もがネクタイを締めてホワイトカラーを目指す時代は終わりになるのだろう。

もちろん、こうしたことはすべて、人々や組織が合理的に振る舞ったら、という前提に立った予測である。問題はその前提が成り立つかどうかだ。

というのは2012年の現在、世界は政治の季節に入っているからだ。アラブの春に始まる中東世界の混乱、欧州ユーロ圏における分裂の危機、そしてアメリカの大統領選挙。東アジアでも朝鮮半島に軋みの音が聞こえる。

政治の季節というのは、人々が党派に分かれて権力争いをする時である。言い換えるならば、人々が目的合理性よりも感情に動かされる時代である。日本もこの調子で失業率が高くなっていけば、政治的な感情の波にのまれていくだろう。おそらく現在の二大政党制の枠組みは破綻して、ポピュリズムが政治の中心を牛耳ることになるかもしれれない。そうなれば、政策は安定よりもドラマティックな変化を志向し、改善よりも破壊的な出直しが好まれるであろう。あまり楽しい予想ではないが、そうなる可能性は十分にある。

それを防ぐにはどうしたら良いか。意外に思われるかもしれないが、そのためには皆が、リスクのある将来を予見することである。長らく私たちの社会は、安定志向で動いていた。安定志向=『安全第一主義』は、リスキーな未来予測を回避する思考方法である。結果として、多くの組織では変化のためのチャンスに見過ごしてきてしまった。現在の沈滞と混沌は安定志向がもたらしたものだ。

あるべき姿を予見してそこから逸脱する可能性をリスクとして考える。リスクの裏側には、チャンスがある。チャンスにかけて決断する。そしてその決断が正しかったことを証明できるように努力するのである。これが未来予測の実践的な効果だ。

あるべき姿を考えるためには価値観が必要になる。だから未来予測は科学ではありえない。未来は予測するのではなく作り出すべきものだ。それは、マネジメント的な技術なのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-01-09 22:48 | 考えるヒント | Comments(0)
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