問題解決の練習としての“お悩み”相談

3ヶ月ほど前のこと、日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ)のシンポジウムの懇親会場で、若手の人が「PMクリニック」という演し物をやっていた。白衣を着た“PMドクター”が、参加者の皆さんからお悩み相談を受けて診断する、といった趣向である。悩み事は紙に書いて提出する。司会役の人が一枚ずつ読んで、“ドクター”がアドバイスを授ける、という具合だった。肩の凝らない、しかしシンポの趣旨からはずれない、うまい試みだ。

お悩み相談とか人生相談というのは、問題解決を学ぶ格好の練習場所だとつねづね思っている。新聞や雑誌でよく見かけるが、相談する側の悩み事を、回答者が背景までうまく掘り下げて、適切なアドバイスを与える。掘り下げ方がへただと、“これじゃかえって悩みが深まるんじゃないかな”と感じたりするが、適切な回答はピタリと決まって相手も納得しそうだ。だから、こういうコーナーを見かけたら、答えを読む前にまず、自分ならどう答えるかを考えることにしている。一致すればそれはそれで良し、一致しなければ、自分と回答人の視点はどこが違うのかをチェックするいい機会になる。

わたしの知る中では、作家の橋本治氏などは見事な問題分析者で、著書「青空人生相談所」や、共著の「愛の処方せん」(氏の担当分のみ)は、そうした練習問題集として、とても役に立つ。短い相談文面から問題のシチュエーションをうまく摘出するのみならず、相談者の甘えや思い違いもずばりとえぐり出す。こうした人生相談の回答には、むろん正解は無い。無いが、どこまで遠近法をもってパースペクティブを広げられるかが分かれ目に思う。

さて、くだんの「PMクリニック」で読み上げられたお悩みの一つに、こういうのがあった。IT業界における若手のプロジェクト・リーダーの相談事である:

「チームの先輩エンジニアが『仕事なんて金のためにやっている事さ』と言って、皆のモチベーションを下げてしまいます」

この、ごく短い相談に、あなただったらどう回答するだろうか? ちなみに、わたしが問いを聞いた瞬間に思ったのは、“仕事はお金のためというのは、当たり前じゃないか。それの、どこがおかしいのかな?”だった。このリーダーさんは、もらうお金以上の仕事をすることを、自分にも皆にも期待しているのだろうか?

大学を出てエンジニアの仕事についたその日から、仕事はまず第一に給料のため、とわたしは思ってきたし、今でもそれは変わらない。だが、それがゆえに大勢の人の邪魔をしてきた、とも思えないのだ。もちろん、お金をもらう以上、最後まで果たす責任はあると信じている。ただし、もらうお金に見合った責任、である。それにしても、どうして、相談した若いリーダーとここまで落差がでるのだろうか。わたしもその“こまった先輩エンジニア”と同類なのだろうか。

もちろん、その若いリーダーさんのいう事もわからないではない。くだんの先輩は、そんなわかりきった事を大声で言うことで、じつは自分の不満だか不幸だかを周囲に撒き散らしているのである。だから周囲のモチベーションをさげてしまうのだろう。

ところで、サラリーマンの不平とはたいてい、自分が正当に評価されていないという一点に代表されるものだ。自分が正当に評価されていると感じられれば、ちょっとぐらい安い給料でも、我慢してしばらくは働くものである。ということは、おそらくその先輩は、後輩の下で働かされる事自体に不満なのだろう。自分より若くて経験も浅いこいつが、なんでプロジェクト・リーダーなんだ。なぜオレがこいつの下で残業までして頑張らなけりゃいけないんだ。そう考えているのではないだろうか。

では、仮にそうだとしたら、どうアドバイスしたらいいだろうか? おそらく、このリーダーさんと先輩とが直接対面して“よく話し合って”も、あまり、らちは開くまい。先輩は後輩リーダーのことを面白く思っていないのだから、何を言っても馬耳東風である。では、直属の上司に相談すべきか? むろん、リーダーや担当者の任命をしたのは上司だろうから、事情の一端に責任はある。では、その先輩を換えてください、とお願いして、聞いてもらえるだろうか? きっと“そうは言ってもなあ、他の人間もみんな別のプロジェクトでとられて多忙だし、無い袖は振れないのだよ”といった程度の答えが返ってくるのがオチだろう。そもそも上司自身が、別の問題プロジェクトにかかりきりで、他を見ている余裕なんか無い、というのも十分あり得る。

わたしが思うに、その先輩の抱える問題は、self-esteemすなわち自己評価(自負心)と、他者の評価にギャップがあることが根幹にあるのではないか。それは技術的なことかもしれないが、それよりもむしろ、マネジメントの能力、あるいは対人コミュニケーション能力などの限界をかかえているのかもしれない。だから彼はリーダーになれず、後輩の下で甘んじなければならない。技術屋としては自分の方が上なのに、何でアイツが。それは、エンジニアの世界で結構広く見いだされる不満ではある。

だとしたら、その先輩氏は、何か資格試験にチャレンジしたらいいと思うのだ。情報処理技術者試験でも、別のものでもいい。あるいはPMPでもいいだろうが、もっと技術的な方が向いているような気がする。資格を得ることで、自己の評価を第三者に裏書きしてもらうのである。そうすれば自信が得られる。たとえ会社の中で評価が低くても、“オレは客観的レベルから見ればもっと能力があるんだ。それが見抜けない上の奴らが馬鹿なだけだ”と、自己を維持できるだろう。自己を維持できる人は、少なくとも不満の障気を周囲にまき散らすことはしなくなる。じじつ、難しい資格試験をパスすることがきっかけで、不平家でつき合いづらいと言われてきた人が、開放的性格に変わる例をわたしは見てきた。不満は、自己評価を職場だけに委ねるから生じるのである。

もっとも、資格にチャレンジしたら、とリーダーさんが先輩に直接言ってもダメだ。こういう時こそ、上司を使うのである。上司から、先輩にアドバイスしてもらう。それくらいの責任は上司にとってもらおう。

最後に、このリーダーさんにもアドバイスしておきたいことがある。それは、わたしが中間管理職になるときに、大先輩から教わった原則である。会社の中で人の上に立って部下を使うようになったら、そこには三つのレベルがあるというのだ。

・第一レベル:部下が、安心して働けるようにすること
・第二レベル:部下が、責任感をもって働けるようにすること
・第三レベル:部下が、よろこびをもって働けるようにすること

第一レベルは、最低限のレベルである。それは職場の安全とか、労働衛生とか、あるいは失職の不安などにおびえずに、当面働けるような環境を作り、それを伝えることだ。びくびくと不安におびえる人間は、決して高いパフォーマンスを出すことはできない。だから罰則や恐怖で人を動かそうとする管理者は、最低限の結果しか得られないのだという。

第二のレベルは、働く人が、その仕事を『自分のもの』としてオーナーシップを感じるようにせよ、との意味である。部下の裁量(自由度)と、部下の仕事の結果が結びつくようにすること。言いかえると、仕事の成果を上司がかすめ取らないこと。それではじめて、前向きな気持ちで働けるようになるのである。

そして第三のレベルは、仕事自身の中に面白さややりがいを見いだせる類の仕事を作り出して、部下に与えろ、というものだ。それでこそ、人は最良のパフォーマンスを出すことができる。目先のちょこっとした面白さではない、労苦を超えて初めて得られるよろこびを言っている。これはわたし自身、とうてい出来ていないことだ。たぶん一生かかっても殆ど到達できないレベルなのかもしれない。

だが、たいていの人は一度か二度、目先の損得を抜きにして、力一杯仕事をしてみたいと望んでいるはずである。そういう場を作り出すのはとてもむずかしい。むずかしいかもしれないが、その努力の中にこそ、やれマネジメントだ戦略だリーダーシップだといった空疎な言葉をならべても得られない、仕事の真の実感があるのではないか。夢想家のわたしは、ときどきそんな風に考えるのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-12-04 23:17 | ビジネス | Comments(2)
Commented by えきせんとりっく at 2011-12-06 08:54 x
貰った金以上の仕事を期待されているからこそ、日本企業はいままでやってこれたのでは?貰った金相応の仕事しかしないヤツは、冷や飯を食わされていたんでしょう?
逆から言えば、「だから、マネジメントなんてものが、頭の隅にすら存在しない」世界だった、と、思っておりますが、いかがなもんで?
Commented by 渡辺  at 2012-02-28 15:00 x
上肢としてあるべき3つの観点というのはうなずけます。私は、医療過誤~脳梗塞にされた挙句、親会社のローテーション社長からは、退職勧奨だの、降格だのと、これまでの会社への貢献度を踏み付けにするようなことを言われています。全く、本HPの記事でも読ませてやりたい気持ちになります。
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