ぼくらに英語はわからない

ユーロが揺れている。このまま共通通貨として生きながらえるのか、それともばらばらに解体して各国通貨に戻ってしまうのか、瀬戸際のところにいるとも言われている。EUがなぜ通貨統合に動いたのか、その理由や動機についてはさまざまな解説があるが、とにかく政府も言語も違うが、マネーの単位だけは域内で共通化することで、規模の経済と効率化を求めたのは有力な理由の一つだろう。

ちょうど新通貨ユーロが導入されたとき、わたしは仕事でフランスに駐在していた。そこで見たのは、驚くべき早さでの通貨の切り替え(入れ替わり)であった。当初数ヶ月間は、新旧両方の通貨が一応使えることになっていた。しかし、パリで見ていた限り、最初の4週間で、すでに買い物や取引は95%以上がユーロで行われていた。そして各人が、手元に残ったフラン紙幣やサンチーム硬貨をどうやって使い切ってしまうべきか、と考えなければならない段階に来ていた。4週間でそこまで行くとは、予想外の速さだ。あの国の人たちの効率から考えるならば、じつに上出来の首尾といえるだろう。それだけ、文明の道具である「お金」は、浸食が速いのだ。

ユーロの紙幣は各国共通だが、硬貨は各国でそれぞれ裏側の刻印が違う。一月たった時に、ためしに財布の中のコインを調べてみたが、すでに違う国の硬貨が混ざっていた。むろん、パリが多数の旅行者や観光客の行き交う大都市であることを考えれば、当然かもしれないが。

ところで、その通貨切り替えの時、わたし自身はあの街に住んで8ヶ月目になっていた。しかし、ちっともフランス語はうまくなっていなかった。理由はもちろん分かり切っている。中年になってから、新たな外国語を覚えようというのがどだい無理なのだ。朝、覚えたはずのことが、夜になると頭からきれいさっぱり消え去っていた。朝に真理を学べば、夕べに死すとも可成り、という孔子の教訓の逆である。

しかし、もう一つ、自分用の言い訳が、ないでもなかった。それは、仕事は全部英語でやっているから、というものだ。

私が関わっていた電子商取引サイトの開発プロジェクトは、日揮とフランス企業のジョイント・ベンチャーであった。しかしフランス企業といっても、すでに欧州規模で多国籍企業化しているから、チームのメンバーにはドイツ人もイギリス人もイタリア人も米国人もいた。共通言語は(どうしても)英語になる。メールも会議も文書もすべて英語であった。

我々が英語を使っていたのは、しかし、望んでのことではない。妥協の産物である。英語以外しゃべれない米国人をのぞけば、英語で仕事ができて嬉しい、などと考えている人間は一人だっていやしなかった。

外国語というのは、つねに使い手にとってもどかしいものだ。外国語は、勉強すればするほど、ネイティブとの気の遠くなるような落差を認識せざるを得ないように、できているものらしい。なぜなら、言語はつねにその背後に、文化の総体を抱えているからだ。Projectという英語は、仏語のProjet、伊語のProjetto、スペイン語のProyecto、そして日本語の企画ないしプロジェクトとは、一致しない。それぞれの言語の中にある「計画・企画・投企」の概念が、少しずつだがみな異なっているからである。

通貨は経済の道具である。そして経済は人間の利便に供するもの、つまり文明の領域に属している。ところが、言語は文明の運転だけにつかうものではない。人にアイデンティティを与えるよりどころ、すなわち文化の領域に本来属している。

そして、文明にとっては共通化と規模の拡大は価値をもたらすが、不思議なことに文化は多様性によって豊かになっていくのである。

欧州は通貨を統合したことで、かえって文化の多様性をどう確保して行くべきなのかという難しい問題をあらわにしたと言っていい。われわれにしょせん英語はわからないのだ。いずれ世界中の人間が英語を話せるようになれば、平和で豊かな社会がやってくるはずだ、と夢見るおめでたい人間は、米国や(なぜか)日本にはときどきいる。しかし、私の知るヨーロッパ人の中には、ただの一人もいなかった。その理由ははっきりしている。平和とは多様性の共存だと、みな骨身にしみて歴史に学んだからである。


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by Tomoichi_Sato | 2011-11-25 23:16 | 考えるヒント | Comments(0)
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