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失敗の無限ループから抜け出すマジックナンバー「5」

物事はなかなか自分の願うとおりには行かない--これは、たいていの人に共通の感覚だろう。「よかれ」と思ってやったことであれ、自信に満ちた賭けであれ、結果に裏切られるのはしばしばだ。気張って受けた試験は落ち、やっと得た職場は退屈で、意中の人には見事にふられ、生まれた子どもの性別は期待に反し、買った株や宝くじでも儲けたためしがない。これが普通の人生で、全ての賭に勝ち続けている人にはまだ、お目にかかったことがない。それでもわたし達は「次には良いことがあるかもしれない」という希望をかかえて、おぼつかない道を歩いていくのだ。

もっとも、負けず嫌いの人や夢を強く抱く人の中には、同じ失敗の無限ループにはまりこんでしまう場合がある。そこで『ストップ・ロス・オーダー』という撤退のための知恵が必要になるのだが、にもかかわらず、経済学でいう埋没コストの原理を持ち込むと、かえってループから抜け出すことができなくなってしまうことを、前回書いた。

このことを分かりやすく説明するために、こんな賭けの例を考えてほしい。ここに白と黒の碁石を入れた袋がある。あなたは、100円払うと、袋の中から碁石を1個、取り出すことができる。そしてもし、それが白石だったら、300円をもらうことができる。もし、黒石だったら何ももらえない。この賭けは、黒が出続けている間は何度でもトライできるが、白が出たら賞金が出て、その回でおしまいになる。ちなみに、取りだした石は袋に戻さないが、袋は十分大きいので、何が出ようと次の確率にはまず影響しない。

さて、あなたはトライしてみるが、1回目はあいにく黒だった。2回目は・・残念ながら2回目も黒だった、としよう。すでに200円使ったことになる。あなたは、もう一度この賭けにトライするだろうか? あるいは、こう訊ねてもいい。あなたは、最大で何度までこの賭けを続けるだろうか? この先を読む前に、ちょっと考えてみてほしい。

ふつうは3回目くらいから、逡巡する人が出始める。4回、あるは5回でやめる人が多いが、10回という人もいて、わたしが聞いた中で最大は20回(!)という人がいた。この人は国際的に活躍しているビジネスマンで、さすがリスク・テイカーなんだなあ、と感心した。

この問いが難しいのは、実際に袋の中に入っている碁石の白と黒の比率が分からないからだ。普通だったら半々のはずのに、「当たったら300円」という賞金の出し方が怪しい。そう考える人も多いだろう。でも、それは胴元が必ず勝つ不正な賭けをやっているのでは、と疑うからで、胴元だって本当は知らないのかもしれない。

実際の比率がわからない場合、確率を考えるとしたら、場合の数が二つなのだから、他に根拠がない限り50%ずつと仮定するのが素直なやり方である。必要な費用Cが100、勝った場合の収入Sが300、失敗のリスク確率rが0.5だから、賭けの期待値は、(1-r)S - C = 300 x 0.5 - 100 = 50円のプラスということになる。あなたはすでに200円使ってしまった。でも、次の賭けの期待値は50円だ。だから3回目もトライして、200円のロスを少しでも解消したいと思うだろう。うまく白が出れば、差し引き200円儲かるから、いままでの分がチャラになる。でも、全く同じ論理で、n回続けて黒をひいても、n+1回目に賭けるのが合理的、ということになる。これが、無限ループの泥沼の理由だ。間違ってほしくないのだが、人は頭がわるいからというよりも、むしろ合理的だから同じような失敗を何度も繰り返すのである。

では、どうしたら良いのか。経済学におけるストップ・ロス・オーダーの研究から、何かヒントが見つかるのではないかと考えて、調べてみた。しかし、一応それなりに手を尽くして調べてみたつもりだが、あいにくはっきりした指針になるような論文は何も見つからなかった(むろん、わたしは経済学の専門家ではないから、有名な研究をすっぽり見落としている可能性もある。もし“それにはこの定理を使えば良いんだよ”と教えていただける専門の方がおられたら、ぜひご連絡いただきたい)。

しかたがないので、自分で考えることにした。上に述べたリワークのパラドックスを解消するためには、失敗のリスク確率rを、過去続けて失敗した経験に基づいて見直すしかないはずである。といっても、これを説明するとなると情報量基準だとか最尤モデルだとかの話をしなくてはならない。読者の皆さんはくわしい数式は興味がないだろうから、得られた結果だけ書こう。その答えはマジックナンバー「5」だ。もしあなたが、成功も失敗も半々だと信じる賭けに5回続けて失敗したら、もう、その確率は五分五分ではないと考え直した方がいい。その場合、成功の確率は、最善でも1/6以下と見るべきである。

先の碁石の賭けでいうならば、もし5回続けて黒をひいたら、もう黒と白の比率は半々ではないと考えるべきだ。白は、よくても6個に1個しかない。だとすると、次の回の期待値は、300 x (1/6) - 100 = -50 だから、もう手を出すべきではない。撤退の時期なのだ。

この考え方は、広く使える。何であれ、自分が五分五分と考えている期待が、5回続けて裏切られたら、確率はもう五分五分よりかなり低い(17%以下)と思った方がいい。むろんそれでも、成功時収入Sと費用Cの比が、S/C > 6 だったら、まだ続けてもよい。でも、その場合でも、使った費用の総額がSを超えた段階で、撤退するのをお勧めする。

前々回に書いた電車の例についていえば、わたしはこう考えた。「停止してしまった電車の運行は、15分くらいで半分は再開するようだ。だったら、15分 x 5 = 1時間15分は、このまま電車に座って復旧を待とう。それでも見込がなければ、別の手段を探すことに決める」 そして、その通りに実行した。結果がどうだったかよりも、こう決めたことで気持ちの落ち着きを取り戻せた事が、とても重要だったのだ。

ちなみに「15分で再開が半々」というのは、無論、主観的なものである。それでもいいのだ。そもそもわたし達が人生で直面する賭けのほとんどは、ただ一度のことで、「主観確率」しか立てようがない。それでも、繰り返し試行した結果としての「統計的確率」とどちらが説明力が強いかを比較検証することができる(数式的なことに興味のある方は、佐藤知一:「製品開発プロジェクトにおける継続と撤退の合理的基準」化学工学会第74年会発表(2009)を参照されたい)。

このマジックナンバーが気に入らない方は、ご自分で別の基準を立てることをお勧めする。それがどのような基準であれ、とにかく線引きをすることが大事なのだ。なぜなら、タイムリーな自発的撤退こそ、じつは「現実から学ぶ」ための最良の契機だからである。そして、だからこそ、難しい。でも、撤退をしなければ、どうなるか。その結果をわたし達は、あちこちの閑古鳥の鳴く地方空港を見て知っている。そして、どんな赤字の責任からも逃れ、うまく立ち回って昇進や栄転した人たちを。彼らは、一番大事な「学び」の機会を、社会から奪ってしまったのだ。

先日、ある小さな集まりに呼ばれていろいろお話しをした時、「佐藤さんがこれまでやって一番楽しかったプロジェクトは何ですか?」とたずねられた。そんな質問は考えた事もなかったが、これまで関わった百以上のプロジェクトの中から、その時まっ先に思い出したのは、ある国内向けの仕事と、南米での仕事の二つだった。どちらも10年以上前のものだが、そんなに楽しかったのかというと、じつはやっていた時は苦しくてならなかった。どちらも納期に遅れて客先には迷惑をかけ、片方では盛大な赤字を出して会社にも迷惑をかけた。

しかし、辛かった思い出も年月が経てば忘れる。いつまでも忘れないのは、そのプロジェクトで学んだことだ。度重なる失敗と思いもよらぬ外乱で、自分は優秀だとの思い込みは微塵に砕けたけれど、そのかわり痛い思いをした分、学ぶものも大きかった。それはその後の自分を変える契機にもなった。だから今では良い経験だったと思うのだ。全てに成功する人間はいない。ならばせめて、失敗から上手く学べるようになるためにも、きちんとした「撤退学」をつくるべきだと信じるのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-09-15 22:33 | リスク・マネジメント | Comments(1)
Commented by ルイヴィトン バッグ at 2013-07-08 09:24 x
はじめまして。突然のコメント。失礼しました。
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