埋没コストの原理、または撤退の判断はなぜ難しいか

前回は、落雷で止まってしまった電車の中で、再開を待ち続けるか別のルートを探しに行くべきか、という状況に絡めて「ストップ・ロス・オーダー」という概念を紹介した(「ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵」参照)。じつは、この言葉を知ったのは古いけれども、別に株式投資やFXをやる訳でもないわたしにとって、しばらくは縁の薄い概念だった。あらためてこの問題を本気で調べ始めるようになったのは、プロジェクトの撤退判断、すなわち『Go or no-go問題』を考えるようになってからである。

エンジニアリングや受託開発のSIerなど、受注型プロジェクトに主に従事している会社にとっては、プロジェクトの中断撤退判断など、通常は問題にならない。赤字を出そうが納期に遅れようが、歯を食いしばって何とか最後の納品までたどりつくのが当然の事だ、とみな信じている。なぜなら、納品できなければ支払も得られないからだ。仮に今、予算を100として実績コストは150使ってしまっていたとしても、なんとか納品して100の収入を得られれば、赤字は50にとどまる。これを、途中でバンザイしてしまって撤退したら、150全部が自分の持ち出しになってしまう勘定だ。いや、それ以前に、継続的なつきあいを大事にする日本の商慣習では、途中で逃げてしまったりしたら以後永久にその顧客から(下手をすればその業界全体から)出入り禁止になるだろう。

『Go or no-go問題』が大事になるのは、自発型のプロジェクト、とくに新製品開発のような、大きなコストがかかり、かつ失敗確率の高いプロジェクトである。医薬品企業においては、その業績自体が製品開発段階での『Go or no-go問題』の上手な判断に依存している、との研究もある(書評「不確実性のマネジメント」参照)。

もっと別の例を挙げれば、公共事業として行われる社会インフラ関連プロジェクトもそうだ。国内に数多く作られた地方空港、あるいは、一昨年来問題となっているダム建設プロジェクトなどである。一般にこの種の公共投資事業は長い年数がかかり、その間に経済環境等が変わってしまって、期待した効果が上がりそうもなくなることが、しばしばある。だが『no-go』の再判断が重要であるにもかかわらず、官僚機構の中では誰も、いったん走り出したプロジェクトを止められない。こうしてただでさえ不況なのに、さらに国や地方の借金が積み上がっていく。

『Go or no-go』の判断がうまくできないのは、“プログラム・マネジメントの不在”に根本的な責任がある。プログラムはプロジェクトの上位概念であり、プロジェクトの発進や、プロマネの任命や権限委譲、そして継続判断などはプログラム・マネージャーの責任だからだ。ただし、そのようなマネジメント・システムを整備する場合、継続と撤退の基準はどう決めるのが適当なのか、という問題が相変わらず残る。仮にあなたが、問題プロジェクトを配下に抱えるプログラム・マネージャーだったとしよう。あなたは、何を基準にプロジェクトの『Go or no-go』を決めるのか? たとえば、予算が倍以上かかったら中止に決める、という案もあろう。でも、長くて暗いプロジェクトという名のトンネルの先に、かなりバラ色の光が見えているとしても、それでもあなたは無慈悲に中止をプロマネに命令できるだろうか。しかも、これまでそれだけの予算追加をあなたが承認(あるいは黙認)してきたことを認めた上で?

不振なプロジェクト/プログラムからの撤退はなぜ難しいか。その理由は主に三つある。まず第一に、これまでそれを進めてきた組織や人のメンツがある。華々しく出航してきてしまったのに、いまさらどの顔しておめおめ港に戻れるか、という感情的な理由。むろん、撤退後の譴責や処分も考えるにちがいない。とはいえ、さらに航海を続けて、もっと被害を広げたら、責任はさらに大きくなってしまうだろう。だから、実際にはメンツは継続と撤退の両面に働きかけると考えていい。

撤退が困難な第二の理由は、未来のバラ色の見込みを変えにくいことだ。何度失敗しても、くじけずに夢に取り組む。そうしたことを、わたし達の社会はずっと賞賛してきた。気合いと根性さえあれば、必ず難問は解決できる。わたしはほとんど未見だが、有名な「プロジェクトX」という番組も、この種の事例をTVで次から次へと紹介し続けたようだ(余談だが、あの番組はプロジェクト・マネジメント理論の専門家の間では『プロジェクト×(バツ)』と呼ばれていたらしい。計画も方法論もリスク対策も抜きのまま、リーダーの根性&成功ストーリーに仕立てる例が多かったからだという)。ともあれ、“失敗にくじけず夢を見続ける”ことが、“見通しを途中で冷静に見直す”ことに優先される習慣がこうして形成されてきた。

そして三番目の理由が、過去のこれまで投入した努力にひきずられる、という事である。すでにこれだけの金と労力をつぎ込んだんだ。撤退したら全てパー、水の泡になるじゃないか。これはもう戦略的投資だ、後へは引けぬ。使ったお金を活かすには、事業に成功するしかない、という訳だ。もし失敗したら、ROIを低下させたといって株主にも責め立てられるだろう・・・

使ってしまったお金に対して、一種の資産価値ないし執着を感じる。このような判断上の矛盾をさけるためには、『埋没コストの原理』という考え方が必要になる。

『埋没コストの原理』とは、すでに使ってしまったコストは、現時点での判断に組み入れるべきではない、という経済学上の原理である。もはや過去という時代に埋没したコストは忘れて、この先の事だけを見て判断する。過去の苦難も(栄光も)忘れて、冷静に現在と将来を考えろ。これが経済学の要請である(たいていの経済学の要請と同様に、ふつうの人間には従うことが難しいが)。ともあれ、この原理に立てば第三の理由は回避できる、はずである。

ところが。この『埋没コストの原理』を認めると、逆に困った矛盾が生じてしまうのだ。今、プロジェクトがある技術的困難に直面したと考えてほしい。そうした時、たいていのプロマネがとる方法は、直前のステップに一歩戻って、代替手段を探すことだ。すなわち、リワークである。もし成熟した技術分野なら、失敗の原因を分析して取り除けば、先に進める。もし、まだ不確実性の高い分野なら、あるいは本質的に試行錯誤的なアクティビティならば、ともあれほぼ等価と考えられる試行を繰り返すだろう。Aという材料でダメなら、Bの材料で試してみる。BもダメならCと、竹フィラメントにたどり着いた発明王エジソンが百回以上も試したように、試行のループを繰り返すだろう。

そして、埋没コストの原理に従うならば、一歩前の原点に戻った際、それまで使ったコストは忘れていい。となると、考えるべきファクターは、成功した時の期待利益Sと、再度の試行に必要なコストC、そして失敗するリスク確率rである。それがもし

 (1 - r)S - C > 0

の条件を満たしているなら、プロジェクトは進む価値があるはずだ。いま、上の条件を満たしたとしよう。そして再試行する。ところが、また失敗してしまった。出発点に戻って、もう一度リワークしようか考えてみる。ところが前回の失敗コストは忘れていいことになっている。次回のコストCも、期待利益Sも、そして(等価な代替手段なのだから)リスク確率rも、前回と同じままである。だから、上の条件式はまた成立してしまう。そして、再々試行に進むことになる・・・

これが、プロジェクトが泥沼の無限ループに陥っていく状況なのである。判断者が合理的で、すべてを数字で判断し、かつ経済学の『埋没コストの原理』に従うと、かえって撤退の判断ができなくなっていく。たとえプロジェクトを全て自分の手金でやっていて、財布の底をついたとしても、まだ誰かに金を借りてでも続けようとするだろう。適正なストップ・ロス・オーダーなど、存在しないことになる。これをわたしは、「リワークのパラドックス」と呼んでいる。

「リワークのパラドックス」が生じる根本原因は何だろうか。それは、上記の第二の理由、つまりバラ色の見通しを捨てられないことにある。でも、誰もが一度失敗しただけで諦めていたら、技術に進歩も何もなかったことは明白である。だとしたら、何度繰り返し失敗したら、手を引くべきなのだろうか? じつは、答えがあるのである。次回は、その「マジックナンバー」について述べる。

(この項もう一度続く)
by Tomoichi_Sato | 2011-09-08 22:34 | リスク・マネジメント | Comments(0)
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