ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描

いつだったか、役員向けの説明資料を作っているときに、ふと「経営者にとっての1億円というのは、自分みたいなサラリーマンにとっての1万円みたいな感覚なのだろうか」と感じたことがある。決済権限の基準は会社によっていろいろだが、億を超えたら、まずどこでも役員決裁が必要になる。「1億円の買い物です、と気楽に言うが、1億の利益を稼ぐのがどれだけ大変なのか分かってるのか!」と言われたこともあった。これってちょうど、自分の子どもが1万円の買い物をねだりにきた時と同じ感覚なのかもしれない。

たとえば年商500億円と言ったら立派な中堅企業の業容だが、その企業にとって1億円は、ちょうど年収500万円の個人にとっての1万円に相当する。だとすると、中堅企業に5億円のERPパッケージ一式を売りに行くというのは、Office Suiteソフトウェアを5万円で買ってくださいというのと同じだし、30億円の工場ライン新設の提案は、30万円で部屋のリフォームを提案するのと似ている、のかもしれない。すくなくとも、企業の1億円=個人の1万円、という換算は、少しだけ相手の感覚に近づく手がかりになった。

最近ふと、官公庁の資料を読みながら、この換算式は日本全体を論じるときにも当てはまるのではないか、と思いついた。ただし、国全体の場合は1兆円=個人の1万円である。ちょうど日本の人口も1億人ちょっとであることを考えると、あながち根拠レスな対比ではあるまい。たとえば、経産省の産業構造ビジョン2010などを読んでいると、“戦略五分野で、今後140兆円以上の市場創出。インフラ関連/システム輸出で18.2兆円の増大”などと書いてあるが、単位が大きすぎて何の事やらピンとこない。だが、これを兆→万に換算すると、「そうか、年収140万円の増加が目標で、システム輸出の分は18万円くらい稼ぐつもりなんだ」と、自分の理解範囲にぐっと近づいてくる。

そこで、このアナロジーをもっと強引に使って、日本経済全体像を、身の丈に合わせた形に書いてみよう。すなわち、「日の本」家の人々の暮らし向きである。

ヒノモト家の現在の年収(GDP)は、約480万円弱である。月々約40万円だと思えばいい。'90年代の一番多いときには、520万円近くあったのに、もう10数年間も頭打ちで減り続けている。

ヒノモト家を取り仕切っている、一番えらい人は父親(政府)だ。この人の年収は90万円である。でも、その半分は実は他の家族から入れてもらっているお金を、管理しているにすぎない。そして、残り半分は借金である。この人自身は、何かを作り出して稼いでいる訳ではないのだが、皆に対してあれこれ指示を下し、「皆が安心して暮らしていけるのも俺が居るからだ」と口癖のように言っている。収入90万円のうち70万円は、家の補修や医療費、セキュリティなど皆の生活を支えるために使っているが、残る20万円は、以前借りたお金の返済に使っているのだから、ちょっと馬鹿みたいだ。累積債務は900万円もあるのだが、「なあに、いざとなれば財産は沢山ある」と言っている。

ヒノモト家の長女(農業)は、ずっと趣味的な家庭菜園を続けている。昔は家族全員の食べるものを作った時もあったが、最近では4割くらいしか自給できていない。土は肥沃で水にも日光にも恵まれており、おかげで良い作物も少しは作るのだが、菜園のあちこちは草ボウボウだったりする。高齢化のために足腰が弱ってきているせいだろう。後継者がほしいと言っている。家の外には作物はほとんど売らない。年収は7万円ちょっとである。

ヒノモト家の長男(製造業)は、筋骨逞しいが、年を取ってきてこのごろ背中がちょっと淋しい。頑固で、意見を大声で言う。自分が皆を食わせているという自負があるのだろう。でも、この人の年収は100~110万円くらいで、一家の稼ぎの2割を切ってしまった。20年前には125万円くらいあったのだが。この人は、家の外とのつきあい(輸出入)が一番多かったので、“自分は世間を良く知っている”と信じているが、最近は減ってきたので、皆からその内実をあやしまれている。でも、「ヒノモト家の復興は俺が支えるんだ」と、まだ頑固に言っている。

次男(流通サービス業)は、ひどく太っており、歩くのがのろい。でも実は長男より稼ぎが多く、220万円弱の年収がある。ヒノモト家の約45%を、この次男が稼いでいる勘定だ。だったら、もっと贅肉を落としたらいいのに、と周囲からは言われている。

ヒノモト家の次女(金融業)は、眼鏡をかけた才女である。父親の通帳も預かっていて、実はいろいろなことに自分の意見を通している。父の借金は彼女を通しているからだ。他の家族も、彼女からお金を借りたり稼ぎの中から返したりしている。ただ、この人は慎重なのか無謀なのかよく分からない性格で、家族にお金を融通するときは担保を取り、決して損をしないようにしているのに、一度、外の男にだまされて財産をかなり失った。だが、父親のかけ声で、家族皆に援助金を拠出してもらった。本人も覚えているはずだが、まるで何もなかったかのように振る舞っている。電卓が商売道具なのに技術オンチらしく、電卓が1週間くらい動かないことも最近あった。お金は沢山預かって持っているが、本人の年収は30万円ほどである。

三男(建設・不動産業)は地味だがそつのない服装に、営業用笑顔をいつも見せて歩いている。年収は90万円強。皆の住む家の増改築・営繕と賃貸を仕事にしている。父親や次女とも仲が良く、20年前はかなり羽振りも良かったが、家の外で何やら痛い目にあったらしい。最近は家も建て増しの余地はなくなって、次はどうしようか考えあぐねている風情である。

ヒノモト家の最後の登場人物は、母親(家計)だ。この人には稼ぎはなく、使うだけである(年に約300万円くらい)。皆の衣食住の面倒を見ている。もちろん、この人が居なくなったら他の家族は皆、生きていけなくなるのだから、もっと敬意を持って接しても良さそうなものなのに、「お客さま」としてお金をもらう時くらいしか愛想を言わない。母親も、そんなものだとあきらめているらしい。

(念のために書くが、上記で業界の「稼ぎ」・「収入」と表現したものは、各産業の『付加価値額』であって、売上の絶対値ではない。付加価値とは、その業種が生み出す経済的なバリューであり、売上から外部に支払うお金を差し引いたものである。国内で生み出された付加価値額の合計が、DGP=国内総生産になる。なお、政府系サービスその他の細かい項目は、ここでは無視している)

さて、このヒノモト家で最近、困った事故があった。長女の住んでいるスペースで、北東向きの池に面した一角が、突然の災害で大きくこわれてしまったのだ。長女も怪我をした。そればかりか、そこに父親が置いていた発電機が壊れて、有毒な物質があたりに飛び散ってしまい、危険で近づけなくなったのである。被害総額は、25万~30万円くらいかもしれないと言われている(誰も正確にはよく分かっていない)。長女や母親は、「大丈夫だから」と言い続けてきた父親になんとかしてもらいたいと思っているが、一家の家計から見ると、すぐおいそれと出せる金額ではない。『一刻も早い復興を』と皆、口では言っているが、具体策となると家族で意見が分かれている始末だ。

これがヒノモト家の人々である。どこにでもいる、ごく普通の人たちだ。“村で二番目に稼ぎがある”と自慢することもあったけれど、「土地があって家族が多けりゃ当然だんべ」と思う村人もあるらしい。なにより、皆の集まる寄合いでも、二言目には『お金』の話をすることが、鼻白むべきことと思われている節がある。けっこう風流なところもあるのに、残念な人たちだ。チキュウ村では、ときに喧嘩もあるが、基本は助け合いである。なのにヒノモト家の人たちの態度は、このごろひどく内向きだ。今でも人並み以上に稼ぎはあるのだから、もっと村をリードし助けることを考えるのが大人だろうに、と周囲は思っているのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-11 22:39 | 考えるヒント | Comments(1)
Commented at 2011-07-13 23:01 x
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