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農業のサプライチェーンを考える

先週、農商工連携セミナーの準備で、また北埼玉に行った。今度は農家の見学だ。わたしは工場見学が大好きなのだが、生産農家の見学は初めてだ。その前日、「日本一熱い町」熊谷市は気温39.8℃を記録した。一種のフェーン現象らしいが、風がけっこう強く、"まるでヘアドライヤーの温風の中に立っている如き"状態だったという。だが、当日はそれほどひどい天気ではなかった。「しかし、この頃は異常気象が『普通』になってしまって」と、見学を受け入れてくださった田沼氏はいわれる。

「農業の仕事は作物との会話です。今、作物は何をほしがっているか、それを感じ取る技術がいります。天気や環境は毎日変わるし、『これで正解』というのは無い。」--こういう話を聞くと、なんだか部下を持つマネジメントの仕事との奇妙な類似性を連想するわたしは、きっと芯から産業社会に染まりきっているのだろう。

田沼氏は現在、主に水稲・人参・ネギを作っておられる。作付面積は三種類でほぼ同じだが、収入の構成比率は、水稲:人参:ネギ=1:3:6 くらいだという。稲作が一番保護されて、儲かるものだとばかり思い込んでいたので驚いた。逆に言うと、それだけ人参やネギの生産性が高いのだろう(今年は人参が安いが、普段はもっと良いらしい)。農地1反あたりの年間収入を「反収」と呼び、農業経営の基本単位であるが、田沼氏のやり方では野菜の方がずっと反収が高いのだ。ちなみにキャベツ・ブロッコリーで1反30万円くらいだ。ネギだと1反100万円以上行くという。

それにしても、いくら有名な深谷ネギの産地とはいえ、ネギはさほど値段の高い野菜ではない。なぜそれだけ反収が高いのか。不思議ではないか。その秘密はどうやら、出荷期間の長さと関係があるらしい。氏のやり方では、ネギの定植は1ヶ月間の間だが、出荷期は9ヶ月間もあるという。ほぼ同時に植えて、収穫の時期をそれだけ長くするためには、肥培管理などの技術が必要だ(肥培は「ひばい」と読む)。また必要に応じて葉先だけを刈り取ったりもする(ネギはすぐに伸びてくる)。そうして、それぞれベストな時に出荷する。ちなみにネギの一番の旬は冬で、霜が降りる頃に味の差が出るという。ネギの品種は全国同じだが、その差は育て方の差だ。

田沼氏は機械を使った省力化にもかなり積極的に取り組んでいる。大家族が当たり前だった昔の農家ならいざ知らず、現代ではどこも少数の手しかない。田沼氏に、ネギの自動定植機や、自動収穫機を見せてもらった。機能としては、稲作のコンバインなどと同様だが、機械メーカーと開発段階から協力したという。それでも高価なのだが(水田用機械と違い、量産効果が出にくい)、これなしではやっていけない、といわれる。田沼氏のネギは、幼苗栽培である。自分で育苗し、機械の力を借りて植え付ける。これが省力化では一番の方法だという。育苗は、タネ屋さんも定植機を作って温室管理した苗を売っているが、自分で育苗すべきだ。育苗が、一番技術がいる。県の普及所の指導員さんも、そこまですべては教えきれない。--これが氏の意見だ。

なるほど、と感服したが、まだ何か論理のつながりが欠けている気がする。機械化は、原価低減(省力化)には役立つかもしれないが、ネギの売価を上げはしない。では出荷先についてはどうなのだろうか? 氏は深谷の生産市場に出荷している。生産市場の買い手の8割以上は転送する仲買業者と地元スーパー・チェーンだ。市場は、買う側の顔が見え、要望が分かる点が良いのだそうだ。また売り手も「生産者番号」で顔が分かる。

ちなみに、20年前からJAには全然出荷していない、という。JAの納入は午前11時までという制限がある(生産市場には日中の制限はない)。農協出荷は京浜の市場向けが多く、運賃もかかる(10kgで80円かかる)。そして販売手数料を25%も取られる。つまり年に軽トラック1台分くらい収入が違ってくる。県北で収穫し、農協経由で東京の青果市場に持って行き、また戻ってここらのスーパーの店頭に並べられる。往復だけ無駄ではないか。昔は市場も東京集中だったが、今は地産地消になった。

これをきいて、前回「埼玉産直センター」で聞いた話を思い出した。あちらでも、生産者と組合は作付契約をして、収穫したものは基本的に全量出荷する。つまり農協には出さないわけだ(地域の義理などがあるから、完全にゼロにはならないらしいが)。なぜ、農協を通さないのか。それは、農協→卸売市場→仲買→小売り、という長いサプライチェーンに問題があるからだ。

どういう問題か。非効率、というのも一つの問題だろう。手数料の増加、輸送の長距離化・大ロット化などがある。また、古くからの「市場」を通すことで、消費者のニーズが見えにくくなることも障害だ。

だが、最大の問題は、サプライチェーンの需給調整機能が働きにくい点にある。サプライチェーンには、種々の変動の結果、需要も供給も変動するリスクがある。もし供給が多くなれば在庫の形で、また需要が高まれば納期(バックログ)の形で、リスクの吸収と調整が行われる。しかし、困ったことに野菜はあまり在庫がきかない上に、消費者はバックログも許さない(え、キャベツが品切れなの? じゃあ、今日は別の料理にするわ)。その結果、需給調整機能はもっぱら、価格によって行われることになる。こうして相場の乱高下が起きやすくなる。いや、それだけではない。古くからの農協関係者には、どうも「相場」が逆に儲けるチャンスに見えるらしい。そういう面も、無くはないだろう。しかし大組織ならともかく、各農家はそれでは生活のメドが立たずに困ってしまう。

それを解決する方法が、出荷期間を長くすることだったのである。いわば、畑に「在庫」しておく方法だ。需要が強い時には多めに出荷し、弱まれば出荷を遅らせる。無論そのためには、水・肥料・農薬そして幼苗の定植など、細心の注意が必要となる。それでも、出荷期間を長くして出荷量を平準化できれば、相場の変動に巻き込まれにくくなる。なお、「平準化」という生産管理用語を使ったが、これは工場などにおける平準化とは違った狙いがある点に注意して欲しい。工業製品は基本的に、いつ作るかは好きな時に決められる。作業負荷のばらつきを抑えるために、また「作りすぎ」を防止するために、平準化するのである。一方、農産物は季節性の強い制約がある。だから一時にたくさん出来てしまう。これから逃れるために出荷の平準化を行うのである。

サプライチェーンの形は産業により、様々である。しかし、共通していることがある。それは、需給のギャップが生じるリスクがつねに存在する点だ。そのギャップを、自ら調整する能力を持つ者が、そのサプライチェーンの支配力を持つ。逆に、調整能力の最も小さい者には、つねにリスクが押しつけられることになる。自動車のサプライチェーンと家電・電子機器のそれが似て非なる理由は、ここにある。自動車はメーカーが支配力を持つ。しかし電機業界では、小売りの側がヘゲモニーを奪ってしまったのだ。そしてしわ寄せを食うのは、どちらも下請けの部品サプライヤーである。

田沼氏の知り合いに、化粧品関係の下請け工場の経営者がいるが、農業に興味を持っているのだという。量産型の工場は、はたには良く見える。だが下請けは注文がなくなれば収入の道はない。農業は、とりあえず作れば売れる。むろん、そのためには販路が必要だが、今は農業もやり方で差が出る時代だ。そう語って、田沼氏は笑顔になった。


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 「農業に日本の未来を読み取る
by Tomoichi_Sato | 2011-07-05 00:12 | サプライチェーン | Comments(0)
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