今はまだ鎮魂の歌をうたえ

大阪での所用の帰り、ちょっとだけ時間が余ったので京都で途中下車した。夕方だったがまだ新緑が日に映えて美しい。枝垂れ桜や八重の花も少し残っていて、その色の対比も心地よかった。八坂神社から知恩院にまわり、国宝の三門を拝観。お上りさんをしたわけだ。

その知恩院の前には大きな張り紙があり、「法然上人の八百年大遠忌法要を、震災のためにやむなく九月に延期する」と大書してあった。八百年大遠忌だから、法然という人は1211年に没したことになる。12世紀の終わりから13世紀初頭にかけて活躍した人なのだ、と思った。

12世紀ルネッサンスという言葉がある。西欧世界は、十字軍をきっかけにイスラム文明に触れ、そこを経由して古典ギリシャ時代の哲学や文化を輸入し学んだ。その刺激から生まれた一種の新しい文化の潮流を指す。明けて13世紀は、アッシジの聖フランシスコらが活躍する宗教の刷新時代になる。西欧史と日本史は面白いことに並行関係が成立していて、12世紀の日本は新しい武家風の文化が台頭し、13世紀になると鎌倉仏教が隆盛する。

それにしても、800年も経ってまだ記憶され法要が営まれるとは、偉大な影響力である。まあ一つの宗派を作った宗教家だから、と言えるかもしれない。では、他の宗教ではどうなのか。たとえば、キリストの命日はいつだか、ご存じだろうか。誕生日は「クリスマス」として世界中で有名だが、キリスト教徒は、教祖の命日は祈念し瞑目したりはしないのか。

いや、ちゃんとするのである。先週(22日)の金曜日が、その日だった。これを聖金曜日(英語でGood Friday)と呼び、斎戒すべき『受難の日』と定められている。祭日になっているキリスト教国も少なくない。それなのに、なぜ有名ではないのか? その理由は、毎年、日にちが変わるからだろうと思われる。この聖金曜日は、実はイースター(復活祭)の二日前の金曜日と決まっている。そう、24日の日曜日はイースターだったのである。そしてイースターは、「春分の日の後、最初の満月の次の日曜日」という、太陽暦と月歴を付き混ぜた複雑な定義のため、毎年変わる移動祝祭日になっているのだ。

復活祭は、キリスト教において最大の祝日だが、春の再来を喜ぶお祭りでもある(少なくとも北半球では)。教祖の命日のすぐ二日後に復活のお祭りとは、ずいぶん斎戒の期間が短いと感じられるかも知れない。でも、それは違う。実は復活祭からさかのぼること6週間半前に「灰の水曜日」という日があって、そこから復活祭までは、キリストの受難を悼む禁欲の期間(「四旬節」)と定められている。西洋の古い習慣では、肉食を絶って魚を食べることになる。だから四旬節に入る直前に、謝肉祭(カーニバル)が行われるのである。

この四旬節は47日間続く。これは日本の仏教で命日から服喪する期間の「四十九日」とほぼ同じで、偶然とはいえ不思議である。あるいは、人間の感情が落ち着くまでの期間が、それくらいかかるのかも知れない。

宗教現象というのはつねに興味深い、不思議なものだ。高等生物の中には仲間の「死」を認識するものもあるが、追悼をするのは人間だけである。遠くネアンデルタール人も、仲間の埋葬にあたって、花を捧げていたらしい。というのも、人骨の遺跡の近くに大量に花粉が見つかったからである。遠く去った仲間に花を捧げる、というのは、アーリントン墓地や無名戦士の墓に詣でた外国元首なども従う儀式であるが、どうやらわたし達人類の文化的遺伝子に刻み込まれた行動パターンらしい。

なぜ人は鎮魂の儀式を必要とするのか。それは簡単には答えられない問いである。著名な精神医学者の土居健朗は、たしか「『甘え』雑稿」の中だったと思うが、なぜ人は誰かの通夜などで「お悔やみ申し上げます」というのか、と問うていた。そして自分がその言葉を受けとる立場になった時、残された者が故人に対し“ああすればよかった”“もっとこうしてあげればよかった”と後悔し、『悔やむ』からなのだ、と気づいたという。つまり、自分達がいかに不完全な仕方でしか、人を大切にし愛することができなかったかを悟る時の言葉なのだ。そして残された者が、互いに助け合いながら生き続けていこう、と確かめるために、ああした儀式が必要なのかも知れない。

あの恐ろしい3.11の震災の日から、もうじき7週間経つ。わたし達の故郷は、大きく傷ついた。いや、実はもう、だいぶん前から傷んでいたのだ。その最も弱い部分を、災害が襲った。日本が変わってしまった日、と感じたのはわたしだけではあるまい。

これだけ深く傷ついたら、癒えて立ち直るまでには相当の時間が必要である。まず、心の中で引き裂かれた感情が静まって、ほつれが戻り、断線が再びつながるための時間がいる。それまでは、まずは静かに、追悼と鎮魂の期間をすごすべきではないのか。

元気を出そう、一日も早い復興を、とメディアは繰り返す。それは真心から出た言葉だろう。だが、わたしには何だか性急なメッセージに聞こえるのである。動物だって、傷ついたら、動き回らず、ものも食べず、じっとうずくまっている。それが動物の本能的知恵だ。動物も人間も、活動の時期と、休息の時期がある。24時間元気でいたいと思うのは浅知恵な願いだ。

わたしは酒食や娯楽まで何でも自粛しろ、と言っているのではない。追善供養の席では、みな飲食して、故人の遺徳をたたえるではないか。ただ、方や自粛する、方や復興を急ぎ消費の落ち込みを憂う、それを同時に行うのは矛盾はないかと感じるのだ。復興を叫ぶ声の後ろには、「復興需要」をあてこんだ産業界のそろばんの音さえ混じっているように聞こえる。一日も早く以前の日常を復旧させたい、地震と津波と原発と計画停電にゆさぶられた日々を忘れたい、との感情は理解する。だが、それくらいならば、四十九日の間はきちんと喪に服し、それからゆっくりと日常生活に復帰するという、古いしきたりの方がずっとメリハリがあると思う。

わたし達はたぶんまだ十分、追悼ができていないのだ。素人コーラスがわたしの休日のささやかな趣味だが、今期の曲目を決める時、鎮魂の歌を1曲入れるべきだと思った。お金による寄付だけでなく、歌うたいならば声で気持ちを捧げることも、ありではないか。

なんだか古くさい、馬鹿げたことを書いているような気もする。でも、自分たちがあの災害で生き残ったのは、偶然に過ぎない。生き残った者が真っ先にすべきことは、去った仲間を悼むことではないか。そうして、受け渡された生の意味について、もう一度考えるべきなのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-04-27 00:01 | 考えるヒント | Comments(1)
Commented at 2011-04-27 12:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
<< 書評:「持続不可能性」 サイモ... 安全と危険の境目をはかる >>