『正解のない問題』を考える能力

次の問題は、ある理系の大学入試問題である。回答者は、3問の内いずれかを選び、それについて論文を記述しなければならない。制限時間=4時間。字数制限無し。

 (問1)言語は思考を裏切るか?

 (問2)不可能事を望むことは非合理か?

 (問3)実験のほかに真実を立証する方法はあるか?

あなただったら、どう回答するだろうか。ちょっと考えてみていただきたい。

じつはこの問題、日本の大学ではなくフランスの「バカロレア」baccalaureatの過去問題から引用した。バカロレアは高校卒業時の大学進学検定試験のようなもので、毎年6月に行われる。日本のセンター試験に該当する、と言えなくもない(だいぶん違うが)。そして、上の問題は「哲学」科目の出題である。そう。大学進学試験には国語、数学、地理、歴史、第1外国語、体育と並んで哲学が必修科目なのである。

ちなみに2010年度は全国で642,253人が受けて、受験者の86%が最終的にバカロレアに合格し、これは同じ年に生まれた全体数の65.6%に相当する、のだそうだ(「パリの郊外暮らし」 より孫引き)。

バカロレアは基本的にすべて論述問題である。上記の哲学に関して言えば、自分の感覚で好き勝手なことを書いていい訳ではない。まず、論理的で首尾一貫した論述であることが求められる。結論は肯定でも否定でもよいが、まず問題とされているテーマを明確に定義し、できれば哲学の歴史的な議論を踏まえ、対立する論点を正確に論じた上で、最後に自分の結論を書くことが期待される。さらに関連する思想家の主張を引用したりすれば、上出来だそうである。そして、このような試験では「携帯を使ったカンニング」など不可能だし、意味がない。震災前の古き良き時代、世間が一番騒いでいたのは某有名大学のカンニング事件だったが、あれは短くて正解のある問題だからこそ可能だった出来事なのである。

哲学は重要な受験科目のひとつだから、フランスで教育を受ける者は、高校でこの種の思考訓練を徹底的に受けている訳だ。このような教育を経て、論説の達者となった連中と、論理的主張の訓練など殆どない普通の日本の大学を出た人間が、国際会議や商談等で議論や交渉をしても、なかなか辛いものがあるのは分かっていただけるだろう。

誤解しないでほしいのだが、わたしはフランスが素晴らしくて日本が劣っているとか、日本の大学入試もバカロレアを見習え、といった主張をしたいのではない。両者がずいぶん違っていることに、まず単純に驚き、感心しているのである。国同士の優劣の比較は皆の興味をひく話題だが、わたしはむしろ個性と差の方に関心がある(たまたまフランスで若干の間、働いた経験はあるが、わたしはフランス崇拝趣味はない)。

日本とフランスの大学入試問題の違いは、二つの国が、若者の知的能力に何を求めているかの差を、端的に反映していると思う。日本のセンター試験はすべてマークシート方式である。これは大量の受験者を、効率よく正確に短時間で評価し点数化する必要性から出ている。と同時に、出題者の用意した選択肢という枠の中で、正解と不正解を明確に切り分ける能力を受験生に求めている訳である。

したがって、日本では記憶力ならびに条件反射的な判断力を持つ若者が有利だし、有名大学に合格して「頭が良い」と世間から太鼓判を押されることになる。物覚えが良く種々の知識や解法パターンを記憶することに抵抗のない子の方が、自分がじっくりと納得できるまでものを覚えられない子よりも、受験勉強に向いている。さらに言うなら、出題者が“何を答えさせたがっているか”を瞬時にかぎ分ける能力も重要である。

いや各大学の独自試験では記述式問題も出されるし、後期試験では小論文と面接のみの大学もあるではないか、と反論されるかもしれない。そのとおりだ。しかし、日本の論述問題とは、具体的にどのような知的能力を問うものだろうか。論文試験と言われてわたしがすぐ思い出す典型は、司法試験と、情報処理技術者試験である。司法試験の論文試験について、以前、法学部出の友人から聞いた話では、「出題意図に添って、必須のキーワードを、期待される順番で盛り込んだ文章を書くこと」が合格回答のポイントであるという。つまり、出題意図のフレームワークの中で、記憶した知識を体系にしたがってつなぎ出すことが求められる。

高度情報処理技術者試験については、「プロジェクトマネージャ」の参考書を10年近く編著で出していたので、よく知っている。いわゆる午後II論文問題は、制限時間2時間で、約4,000字の論文を書くことが要求される。つまり、毎秒1文字のスピードで論文を書かなければならない。当然、その場で考えている時間など殆どない。だから事前対策として、自分が経験したプロジェクトを題材に、「品質管理」の面から聞かれたらこう書こう、「要員管理」で出題されたらああ書こう、「プロジェクト計画」の観点ならば、といった具合に、いくつかの切り口で整理しておく。そして実際にその論文を書いてみるのである。2,3回やると、書くべき事を反射的に「体で覚えて」いる状態になる。そうして試験に臨むのだ。

言いかえるならば、日本の論文問題は、出題のフレームワークの中で、正解(ないしそれに準じた知識)を、効率的に記憶から取り出す能力を測っている場合が多い。そのために時間をかけ根気よく繰り返し学習する。これは無論、立派な知的能力である。ただしそれは、世の中が比較的予見可能な、つまり安定した右肩上がりの時代に有用な能力と言えるだろう。

これに対しバカロレアの論文問題では、出題者は、知識もさることながら、整合性のある論理展開能力を、まず求めている。哲学にみるとおり、出題は「正解のない問題」である。そのかわりバカロレア方式では、採点は手間がかかるし、主観ももぐり込みやすい。だから毎年6千人以上の判定委員と10万人以上の採点者(及び口頭試問試験官)が動員されるという。それだけの国費(受験は無料である)を使いながらも続けている事は、フランス人が無駄な議論好きのおしゃべりだという「国民性」だけで説明すべきではない。漠とした状況下でも論理性と一貫性のある思考が必要だ、という知的能力への社会的期待がそこにあるのだろう。少なくとも、彼らの求める知性の尺度には、カンニングがもぐり込む隙間はあまりないのだ。

もっと単純化して対比すると、フランスが評価する頭の良さとは、真っ白なキャンバスに見事な絵を描く知的能力で、日本の求める頭の良さはジグソーパズルを素早く解く能力だ、と言えなくもない。わたしの好きな用語で言うならば、フランス型知性は『自由度』の大きな抽象的問題に向いており、日本型知性は、自由度は小さいが複雑な問題に向いている、という印象である。正解のある、具体的な問題に。

だが、わたし達の社会は(むろん立派な社会だが)「正解」をあまりにも求めすぎる、と最近つとに感じている。様々な問題にぶつかるたびに、どこかに正解を探し求め、受け入れようとやっきになる。「頭の良い」人たちは、どこからか格好良いキーワードを仕入れて、問題の根を切り分けてみせる。正解のある問題は、考えずとも“右へならえ”が効きやすい、という特徴がある。でも、ある場所で役に立った方法が、別の状況で正解となる条件について、しばしば無頓着である。生産改善だ、じゃあトヨタのカンバン方式を導入するのが正解だ--そんな単純な話じゃありませんよ、と「あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由」みたいなエントリをいくら書いても、世間は馬耳東風だ。そのあげく巨大な問題にぶち当たって、「想定外でした」という。その想定のフレームワークは、誰が決めたのだろうか? 

自分達の知的能力を高めるにはどうしたら良いか--これは典型的な「正解のない問題」である。だから、“日本もバカロレアの哲学の問題を導入すればいい”という答えは失格だと、すぐ分かる。世の中には正解のない問題はいくらでもあるのだ。そもそも、自分はどういう人間なのか。自分は何がしたいのか。自分はなぜアイツのことが好きなのか。それなのになぜ、アイツは自分を好いてくれないのか。そもそも自分の人生にはどういう意味があるのか・・。こうした問題は、若いうちだけでなく、中年になってからも、繰り返し襲ってくる。むしろ若いうちに、これら正解のない問題を自分で悩む経験を積んだ方が、大人になってから想定外の問題にも耐えられるようになるのではないか。

「ずっと昔に学校を卒業したのに、ときどき試験問題に苦しむ夢を見る人は、自分が考えるべき大事な問題を無意識の内に回避している可能性がある」、と心理学者は言う。無意識が夢を通して、その事に警告を発しているのだという。わたし達の社会が『入学試験』にひどく敏感なのを見るたび、“われわれの繁栄にはどういう意味があるのか”という正解のない問題を、わたし達がずっと回避してきたのではないか、と疑わしく思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-04-18 22:48 | 考えるヒント | Comments(2)
Commented by at 2014-06-24 21:36 x
繁栄とは何か?

それに対する僕の答えはただ一つだ


君は挫折したことがないのか?
Commented by at 2016-03-03 19:44 x
無は本当に存在するのだろうか?(無の物理学)
無は最初から存在していないのか?
答えが出ても、また別の答えが出てくる、
答えという存在は矛盾しているのだろうか?
反面教師は何処から何処まで、何時、どの瞬間、
加害者が反面教師?被害者が反面教師?
善悪は何処から何処までが善悪なのか?
逆に偽善は悪なのか?義悪は善なのか?
善悪は最初から存在してなかったのか?
何故、人間は善悪に拘るのか?
違法犯罪者は善なのか?悪なのか?
結論は何処から何処までが結論なのだろう?
テレビなのか?新聞なのか?ネットなのか?
ラジオなのか?周りからの噂の言い回しなのか?
どの辺りから?どの瞬間から?どの視点から?
結論は最初から存在してないかもしれないのか?
結論は物事が矛盾してるかもしれないのか?
答えが出ても、また違う答えが出てくる矛盾…、
最初から答えという単語は存在してないのか?
考えねば、考えねばならない………。
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