リスクにつけるクスリ

暮色の深まるヒューストンのショッピング・センター。夕食を取ろうと立ち寄った、その駐車場で、わたしは反対車線から来る車に気づかずに左折し、接触事故を起こしてしまった。1997年の秋のことだ。わたしのレンタカーと相手の車の後部ドアが破損したが、幸い相手は怪我もなく無事だったし、その証拠に、すぐさま車を降りてわたしに罵りかかってきた。原因は明らかに、わたしの前方不注意だ。事故検証に来た警官も、わたしにそういった(念のために書くが、実話である)。

ところで、あなたはレンタカー契約書の裏面に書き込まれた、虫眼鏡サイズの細かい文字の文章を必死に読んだ経験があるだろうか? その夜のわたしはそうだった。レンタカー会社に事故を報告すると、彼らは、わたしの契約には賠償責任保険はついていなかった、と説明したのだ。“Full coverage”といって借りたじゃないか! と抗議しても、申し訳ないが契約書を読め、という態度だ。

そして、わたしはそこで、リスク管理の最初の原則を学んだのだ。

教訓1:外国で取り引きするときは、契約書を必ず読め

知らなかったのだが、じつはその当時、保険会社とテキサス州政府は係争状態にあった。料率が高すぎると言う批判に対して保険会社たちが耳を貸さないため、州政府は半年間、レンタカーの自賠責保険の引き受けを停止させたのだ。そんなこととは露知らぬ外国人のわたしは、その保険の空白状態に、ものの見事に落ち込んでしまったわけだった。

所持するコーポレート・カードの旅行者保険も、自動車賠償責任だけは除外されていた。アメリカの賠償責任は天井知らずだから、そんなものを組み入れるほど保険会社は甘くない。そもそも損害保険は見え透いた危険に対してのみ可能なのであって、大地震とか、戦争とか、異常気象とか、本当に大きなリスクに対しては引き受けてくれないのだ。

教訓2:保険会社は、あなたの必要とするときに、あなたを守ってくれるとは限らない

このときは、勤務先の米国子会社がかけていた保険で、からくも救われた。物損で約20万円の示談額が提示されたという報告を受け、わたしは安心してその事件を忘れることができた。

ところが、この事件にはまだ続きがあった。ちょうどその2年後、横浜の自宅に、テキサスの裁判所から分厚い封書が郵便で届いた。開けてみると、YOU HAVE BEEN SUEDと、わざわざ大文字で書かれている。書状は、わたしに対して、事故の後遺症による心身両面の損害と収入低下を保証せよという、100万ドル(約1億円)の賠償請求の訴状であった。事故の相手方は、保険会社の提示額を不満とし、時効になる2年間が切れる直前に、わたしと勤務先米国子会社を相手取って、訴訟を起こしてきたのだ。

それからの数ヶ月間は、まさに悪夢だった。米国側で弁護士を捜さねばならない。裁判所からは召喚状が来ている。出頭するかわりに、英文で宣誓供述書を作成し、日本の公証人にサインをもらう必要がある。しかも外国の裁判で有効な供述書とするためには、驚いたことに、霞ヶ関の法務省まで判子を、単なる判子を、押してもらいに行かなければならないのだ(わたしが釧路や熊本の住人だったらどうするのか?)。いや、そもそも、夕食に立ち寄ったときの事故は、業務上の行為として、会社は連帯で責任を負ってくれるのだろうか・・

残念ながら、米国は訴訟天国である。たしかに、事故を起こしたすぐ後に、米国子会社の人に相手方の名前を告げると、“それに似た名前のうるさい弁護士を聞いたことがあるけれど、まさか親戚じゃないだろうねえ、もしそうなら、かなり面倒なことになる”と言っていたのだ。しかも、彼らは金のとれそうなところを狙い撃ちにすることを心得ている。

この訴訟にしても、わたしの勤務先子会社と連名にしたのは、実はその方が賠償額をたくさん払う能力があるからなのだ。本当に責任があるかどうかは問題ではなく、事象のほんの一端でも関わっていれば、連名で訴えるに限る。これを、米国では、Deep Pocket Theoryという。


教訓3:大きな組織に“よらば大樹の陰”で寄り添っているせいで、逆に狙われることがある

この裁判は、結局1年半かかって終結した。相手側は決して和解に応じようとはしなかった。しかし、事故が不調の原因であるという医学的証拠も、相手は提出できなかった。判決は百数十万円の賠償である。この金額は、弁護士費用ともども、子会社の保険がカバーした。

米国には、他人を恐喝することが金持ちになる早道だ、と考えている人々が一定数いる。全部の米国人がそうだ、などと言うつもりはむろんない。わたしだって、信頼すべき、立派な米国の友人が、十指に余るほどいる(一番の親友は、退役海軍大佐だ)。

しかし、この事件を境に、わたしの米国観は変わってしまった。いや、たぶん、それ以前から少しずつ変わりはじめていたのだろう。わたしはかつてほど単純に、アメリカのオープンで実利的で率直なところが好きになれなくなってきた。そのかわり、強欲で、理不尽で、傲慢で、相手が弱いと見れば徹底的にエゴを通そうとする姿ばかりが目に付くようになった。そして、世の中は、ラフで、殺伐とした、リスクの多い場所として自分の前に広がっているのだった。

この話は、ここで終わりにしてもいい。リスクに対処することが下手な1エンジニアの、繰り言めいた教訓話である。

しかし、もう一つだけ教訓めいた話を、蛇足ながらつけ加えたい。先月の18日、まだ震災と原発事故の余波の中で日本があえいでいたとき、外電で一つの奇妙なニュースが入ってきたのに気づいた人はいただろうか。北アフリカの産油国をめぐって国連安保理決議が通り、米国を含む6カ国の連合軍が空爆をはじめるというのである。でも奇妙だったのは、空爆の開始ではない。その日を境目に、ニューヨーク市場の株価が上昇をはじめたことであった。

ちょうどこの日から8年前、2003年の3月18日は、中東の産油国イラクをめぐる国連安保理の交渉が決裂して、世界がはっきり戦争に踏み出した日だった。このときも実は、米国をはじめ諸国の株式市場が上がったのだった。これは何を意味するのだろうか? たぶん米国の資本市場の投資家たちは、不確実な状況にいて待つよりも、リスク・ポジションが明確になる異常事態の方が、より有難いと考えたのだ。

だから、険呑な小さき世界に住むわれわれ庶民にとって、リスク・マネジメントに対する最大の教訓は、こうなるのかもしれない:

教訓4:世界の投資家たちは不確実な平和よりも、戦争による賭けを好む。
by Tomoichi_Sato | 2011-04-07 22:41 | リスク・マネジメント | Comments(1)
Commented by ぴー at 2011-04-12 08:49 x
初めまして
米国には行ったことありませんが、契約書はきちんと読んだり必要な情報を収集しておくのが最大のリクスヘッジなのですね(´Д`)
勉強になりました
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