リーダーシップの3タイプ--その価値観と望まれる能力

世の中におけるリーダーシップのあり方はさまざまだが、『計画』に対する態度によって、そのタイプを分類することができる。「計画=予測+意志決定」という公式を基準にするならば、予測に力をおく「計画重視型のリーダー」、あるいは意志の力を信じる「意志貫徹型のリーダー」、という2タイプが見えてくる。そう、前回書いた。

ところで、これ以外に第3のリーダーシップ・タイプがあり得ることにお気づきだろうか? それは、「勝ち組型リーダー」とでも言うべきタイプだ。

このタイプの人たちは、予測というものを信じない。そもそも、世はつねに乱流のごとく変転していると考える。しかし、意志の力があればどんな未来をも作り出せる、とも信じていはない。かれらが信じるのは、“世の中の流れ”である。相場の流れ、勝負の流れ、人脈の力関係の流れ、といった流れを瞬時に読んでは、勝ち組の側につく。そうして、世の荒波を生き残っていく。

言いかえるならば、彼らが読んでいるのは、乱流にも似た運の流れなのだ。カオス理論を引き合いに出すまでもなく、複雑系としてのビジネス環境は方程式では予測しがたい動きをする。運勢の大きな波には、誰も抗しえない。そして、その波に乗った方が勝ち組になる。だから、このタイプのリーダーの第一特性は、「運の良い人」「ツキのある人」ということになる。彼らの何より信じるものは、“この世には運不運がある”との信条だからだ。

そもそも、『勝ち組』対『負け組』という近年流行りの区分自体が、このような運の流れを増強する方向に働いている。本来は小さな一時的な差に過ぎないはずのものを、大げさに吹聴することで、市場心理的な固定化へと向かわせる。勝ち組・負け組は格差を説明する言葉ではなく、格差状況を強めるために用いられる概念というべきであろう。この考え方をさらにつきつめていくと、家系や身分や階層の高い生まれつきの人間が、リーダーにふさわしいという思想に行き着く。なぜなら、人間が自分の意志でどうにもできない最大の要素、運不運が最も端的に表れるものが、その人の出生なのだから。貴族主義というのはある意味、こんなところに端を発しているのである。

「計画重視型」、「意志貫徹型」、そして「勝ち組型」。さて、あなたの職場では、どのタイプが主流だろうか。どれが望まれているだろうか。自分はどれになりたいと思うか? それともう一つ、新人採用の時は、どのタイプを採ろうとしているだろうか。就活ではとても重大な問題だ。

「そりゃ頭も優秀で、意志も強く、かつ運も強い人間が望ましいさ。」というのが平均的な答えかもしれない。ところが、じつはこの望みは叶わないのだ。よく考えてみると、この要望は、自己矛盾しているからだ。

それは、この3種類のリーダーシップ・タイプを頂点とした、理想論の三角形を描いてみるとわかる。上から時計回りで、A「意志貫徹型」・B「計画重視型」・C「勝ち組型」を頂点に置いてみよう。あらゆるリーダーは、三要素の強さに従って、この三角座標の中に位置できるはずである。意志力が大事だが計画も一応必要、と思うものはやや左上に位置し、運の強さが大事だが知性も必要、と思う人はやや右下側にいるはずだ。
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では、右辺AC上に位置する人たちの共通性は何だろうか? それは「計画の予測可能性を信じない」ということだ。A(意志があれば予測ははね返せる)、C(先のことは誰も分からない)のいずれも、予測の力を信じない。つまりBと右辺を隔てるのは「予測可能性の軸」なのだ。また、左辺AB上に位置する人の共通性は、「運不運を信じない」だ。A(意志の力があれば)、B(予測する知性があれば)、自分は運不運などに左右されないと考える。Cと左辺を隔てるものは、「運勢論の軸」である。

では、底辺BC上に位置する共通項は? それは、「意志の力を信じない」だ。だって、B(予測通り物事は起こるはず)、C(運が全てを決めている)なのだから。底辺とAを隔てるのは、「自由意志論の軸」なのである。
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日本のバブル時代には、世の中の考え方がCの頂点近くに限りなくシフトした。なにせ、運良く資産を持っていたかどうかが、全てを決めたのだ。土地や株のキャピタルゲインで運良く儲けた人間は、報償として出世できた。汗水垂らして工場で働くなど時代遅れの馬鹿げた事になった。当時の週刊誌に「東京家付き娘を探せ」という人気記事があったが、まことに時代を象徴していた。親が東京に家と土地を持っている。それが未婚女性の最高の価値であった。ここに意志の力など入りようがあるだろうか? 運がよい。--それが全てだったのだ。

高度成長期はBの「知性型」、つづくバブル期はCの「幸運型」が時代の主流だった。バブル崩壊後は、欧米流グローバリズム経営や金融工学的思想の影響で、ふたたびBの「知性型」が脚光を浴びた。わたし達の社会はかくして、長らくBとCの底辺、意志無用論の軸上を右往左往していたわけだ。どんな意志も無力だとしたら、社会が鬱状態になるのは当然ではないか。

それでは、A「意志貫徹型」リーダーに飛びつけば、万事解決だろうか? 社会がきしんで閉塞感が高まると、一種の英雄期待論の気分をこめて、このタイプのリーダーへの期待感が高まる。彼らは他のタイプに比べて、我々の持つ「ヒーロー」の神話的イメージに近いからだ。だが、この動きが行きすぎると、竹槍でB29爆撃機と闘う精神主義になりかねない。だからこそ戦後日本は、リーダーをB型から選び直そうとしたのだろう。

頭も最優秀で、意志も最強、かつ運も最良の人間を望む事が、矛盾であることはお分かりいただけただろうか? それは予測可能性と予測無用論とを、同時に採用していることを意味する。あるいは、決定論と運勢論とを同時に信じることを意味する、自己矛盾した価値観なのだ。たいていの組織は、この3タイプを、無意識の内に、ほぼ刹那的に求めている。だが三角形の三頂点を、同時に占めることは誰にもできない。

では、わたし達は、どれか一つを選ぶべきなのか? それとも、知性も意志も運も中途半端なところで、妥協すべきなのか? わたしの答えは、いずれもNOである。能力を、個人的・固定的な尺度で見ているから、わからなくなるのだ。望ましいのは、時期と状況に応じて、重心を動的に変えられる組織的能力ではないか。予測しやすい成熟した分野には「知性型」を、新しい分野には「意志型」を、そして動きの激しいリスキーな分野では「強運型」を登用する。と同時に、彼らの弱点を補うべく、異なるタイプの補佐役スタッフを布陣する。また出発期・発展期・撤退期にもそれぞれ変えるべきであろう。

前にも書いたが、たまたま現在わたしはPMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)的な部門の仕事をしている。そして横断的にプロジェクトをウォッチしている。見ていると分かるが、プロマネには、とても様々なタイプの人がいる。彼らが持ち合わせている能力は一様ではないし、ペーパーテストで一律に測ることもできない。大事なのは、どの種の仕事にはどのタイプの人を配員するかなのである。リーダー達の能力を憂う前に、まず配員自体の能力を向上するべきなのだ。


・・・さて、以下は蛇足であるが、わたしもまた「今年の計」について少し考えている。今年はプロジェクト・アナリシスをテーマにした勉強会ないし研究会を立ち上げたいと思う。プロジェクトの状況把握・診断・評価に関する技術の共有である。そこでは、最新の理論や研究成果についても勉強するが、同時に実務にたずさわる者同士が、具体的な悩みを語り合える「症例研究会」的な場も設定できるようにしたいと企画している。恒常的な場にできるよう、学会等の援助もお願いする予定だ。この種の問題に興味を持っている方の参加を期待している。詳細については、決まり次第またこのサイトでお知らせしていきたい。
by Tomoichi_Sato | 2011-01-10 22:30 | ビジネス | Comments(0)
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