組織のピラミッドはなぜ崩壊したか


 手にならす夏の扇と思へども ただ秋風のすみかなりけり   藤原良経

夏の盛りに、ふと秋の予兆を感じとれる詩人の「気づき」は、まことに素晴らしい。ふつう私たちは、過ぎてしまってから「そういえばあの時が・・」という形で気づくのだ。真っ盛りにいるときは、なんだかその季節が永遠に続くように錯覚する。とくに、ことが経済やお金、つまり私たちの『願望』に関わるときは、そうである。

1990年といえば、日本はバブル経済の絶頂期であった。「どちらを向いても景気の良い話ばかりである」と経済評論家は書いた。日本の地価も株価もスカイロケットのように上昇し、“世界中の人々が最先端都市・東京を一目見ようと集まって来ている”と青山あたりのカフェバーでビジネスマン達が得意気に叫んでいた。その年に、変化の予兆を気づいた人はとても少なかったにちがいない。

どんな変化か? それは、人口ピラミッドの構造変化である。次のグラフを見ていただきたい(出典:総務省統計局ホームページ )。まず、1950年(昭和25年)のグラフだ。非常に単純な、三角形のプラミッド型をしていることがわかると思う。終戦直後、まだ日本が敗戦の傷から癒えようとしている時代だ。
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一方、現在はどうか。2番目のグラフが、2010年のデータだ。全くピラミッド型をしていないのが分かると思う。ちょっと遠目で見ると、まるで男女が背中合わせに顔をそむけあっているかのように見える。若年人口は、年を追うごとにどんどん減っている。高齢者比率が、とても高い。
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では、いつからこのような形に変わってしまったのか。それが1990年なのである。グラフを10年ごとに追いかけてみると、'80年頃までは、からくも「ピラミッド」的だったことが分かる。日本が高度成長をしていた時代は、すなわち、年齢の順に人口が減っていく社会であった。
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そして、この人口のピラミッドはちょうど、企業や官公庁などにおける組織の「管理のピラミッド」と相似形だったのだ。組織は三角形で、頂点にトップマネジメントがおり、上層部に役員、中間層にミドルの管理職、そして一般労働者層の順に、人数が増えていく。役員は複数の部長を統括し、部長は複数課長を統括し、課長の下には課員が大勢いる--そうしたスタイルが普通だった。

この人口ピラミッドと組織階層ピラミッドの相似則を保証するものが、『年功序列制』であった。組織における年功序列制と前例主義とが、伝統的マネジメント思想、すなわち安全第一主義に同じ根を持つことは、「リスクに対する新しいアプローチ」にも書いたとおりだ。高度成長期というのは、多少の景気の波はあれどずっと“成長し続けた”時代だから、二つのピラミッドの相似則は、同じアプローチで拡大路線を進み続けるには最適だったわけだ。

この相似則は、1990年頃を境にして、崩れていく。'90年代は、「部下を持たない管理職」が増えていった時代だ。私自身も'90年代に中間管理職の職位になったが、何年間も部下はゼロだった。“いったい誰を管理するんだ?”--それが私たちの共通の疑問だった。全社員の中の平社員と管理職社員の比率も、じりじりと1対1に近づいていった。そもそも、社員の平均年齢自体が上がっていったのだ。

このようなことを背景として、仕事の上での変化が生じた。組織間の「斜めのコミュニケーション」が増えたのだ。上司や先輩を飛ばして、別の部門の管理職と直接、仕事のやりとりをする。古き良き時代には、部門間のやりとりは必ず部門長を通すのが、ルールだった。でも、だんだんと守られなくなったのだ。なぜなら、管理職ばかりが増えて、実務をやる若手の人間が相対的に減ってきたからだ。おまけに、'90年代に入って、新規分野だ新技術だと、複数部門をまたぐ仕事がどんどん増えていった。かくして、管理職は大勢いるのに、ノーチェックの文書は逆に増加した。これで、仕事の品質が保てたら、奇跡である。

誰のせいでこうなったのか? --誰のせいでもない、私たち自身が望んだことなのだ。長生きしたいと、皆が望んだ。衛生的な社会にしたいと、皆が努力した。高度な教育を受けて知的な職業に就きたいと、大勢が考えた。その結果、長寿社会が到来し、結婚年齢が上がり、出産率は低下した。人口ピラミッドの構造変化は、皆の夢が結実した結果ではないか。それは、予見されるべきことだったのである。

年功序列制の崩壊に直面して、企業のとった行動は、人事制度の改革だった。人事部門は競って、「成果主義」と「年棒制」の導入に走った。その陰で、じつは人件費抑制も隠れたねらいの一つだった

だが、その効果が上がらなかったことは、皆が知っている。会社の人事制度は変えたが、目標管理に用いるモノサシは変えなかったからだ。相変わらず、大量見込生産時代の「売上高」「市場シェア」「製造原価低減」「稼働率」重視で、それを目標管理と成果主義に組み込んだだけだった。時代が求める、個別受注生産・短納期化へのシフトや、付加価値生産性の向上は二の次だった。

その結果として、売上も利益も低下した。この問題を新製品の多数投入で乗り切ろうとしたから、オーバーヘッド(販売管理費)は上がるばかりだ。そして、組織内に自社の「高コスト体質」をなじる声が蔓延した。その先には、早期退職制度があり(でも大事な人がまっ先に辞めた)、非正規労働者への傾斜、アウトソーシング、そしてオフショア分業の進行が続いていった。企業はいわば頭を残しして、手足や胴体を切っていった訳である。

私たちはどこで間違えたのだろうか。一つには、人事制度という狭い枠の中で、局所最適を考えたことにあるだろう。だが問題は、マネジメントの思想と位置づけにある。マネジメント(職務)と地位(職位)を混同してしまったのだ。そして経験値(年功)とも。それこそが年功序列制の最大の弊害だった。

では、経験値のある人は、管理職になるかわりに、何になるべきだったのか? 答えは「プロフェッショナル」Professional、である。この言葉を私は、知的で専門的な独立型職業という英語本来の意味で使っている。自分の専門の経験知に基づき、税務や会計や保険労務のプロフェッショナルになる、あるいは技術屋なら、米国でいうProfessional EngineerやAnalystになる--それこそまさに、シニアなベテラン達にふさわしい位置づけではないか。

そして企業は、社内外の相談に乗り問題解決に力を貸す自立した「プロフェッショナル」の職種を確立し、自社内で、あるいは社会において、積極的に利用するべきであった。Professional Serviceの質と量で、その人の処遇や評価を決めるべきであった。

だが現実はそうではなかった。私たちの社会は大勢の自立したプロフェッショナルを得るかわりに、組織体制にしがみつくことで保身をはかる、ピラミッドの中上層を大量に抱えることになった。かくて、存続だけが自己目的化した組織が出来上がった。いいかえれば、「決めない人々」の組織となったのだ。世の中はどんどん変化していく。なのに、誰も何も決められず、何もかえられない組織に。

こうして、組織は機能不全に陥っていったのだった。だが、加えてにもう一つ、要因があったように思われる。このことについては、稿をあらためて、また書こう。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2010-09-16 00:53 | 考えるヒント | Comments(0)
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