JALに乗るおじさんの日記 - あるいは、サービスの質を考える

私は家に、2008年11月づけの、大変貴重な新聞「コリエレ・デラ・セーラ」紙の記事を持っている。コリエレ・デラ・セーラは、イタリアを代表する日刊紙だ。この日の一面記事は、「アリタリア航空の売却再建に合意」である。なぜこれが貴重かというと、実はこの紙面を、私は当のアリタリア航空の機上で受け取ったからである。これから乗り込もうとする飛行機の会社が倒産し、従業員は浮き足立っている、そんな機内に足を踏み入れるのは大変スリリングな体験であった。

同じような経験は繰り返すものらしい。

先月、中東出張の途上で久しぶりにJALの国際線ビジネスクラスに乗った。いつものsafety instructionの放送が終わると、客室乗務員の女性が前列に神妙な顔つきで並んで立った。そして「皆様も新聞報道等でご案内の通り、弊社は・・・皆様にご心配をおかけした事をお詫びし・・・サービスのさらなる向上につとめる所存で・・」という趣旨の機内アナウンスが流れ、女性たちが一斉にお辞儀して頭を下げたのである。まあ、じつに日本企業らしい光景だとは思う。アリタリアの乗務員は、恐縮はしても頭なんか下げなかったし。

成田からソウル・仁川空港までの短い機内だったが、座っているうちになぜか次第に、不思議さ、ないし違和感のようなものを感じはじめた。どうしてこの会社の乗務員のサービスは、どこか微妙に「ずれて」いるのだろうか。たとえば、機内の夕食は、飲み物のサービスの後、何も聞かずにいきなり和食のお弁当が配られてくる。なるほど、上品な箱に入った立派なお弁当だ。献立も念入りで、味付けも美味しい。でも、なぜ食事のメニューには選択肢が無いのだろう。どんな格安便のエコノミーに乗っても、"beef or chicken?"くらいのチョイスは聞いてくるのに。ぼくが洋食より和食を好むかどうか、外見だけで分かるのだろうか。あるいはエビ蟹を食べないユダヤ教徒や豚肉を食べないイスラム教徒でないと、どうして知ったのか。

JALの国際線には2年前も乗ったが、フィリピンへの往復は規定によりエコノミークラスだった。そのときは、こんな違和感は感じなかった。こうしたことはむしろ、サービスの手厚い(はずの)ビジネスに乗ったから気づいたのだろう。機内に乗り込んで着席すると、チーフ・アテンダントが「佐藤様、本日はご利用ありがとうございます」と挨拶に来る。その顔に浮かべた営業笑いも、なんだか不思議だった。

飲み物には一応選択肢があるのに、肝心の夕食のメニューには選択肢が無いのはなぜなのか。考えたり観察したりしているうちに、だんだん気がついてきた。この人達は、顧客の要求や望みにどう対応するか、ではなく、自分達の頭の中にある『型』を念入りに磨き上げ極めることがサービスだと思っているのではないだろうか。自分の頭の外に出ること、相手の悩みや要望の全体を想像し、またその言葉を素直に「聞く」ことこそ、サービスの原点だと思うのだが。

周知の通り、アメリカのレストランでステーキを頼むと、「焼き方はrare? well-done? つけあわせはマッシュポテト? フレンチフライ? サラダのドレッシングはoil&vinegor? French? Italian? Southern Island?」と何でもかんでも聞いてくる。彼らは、顧客に選択肢を与えることこそサービスだと心得ているのだ。そんなことより、もうちょっと上手に料理してよ、と思ったりもする。ところが、フランスのビストロでビフテックを注文すると、彼らはほとんど何も聞かずに、料理を持ってくる。焼き加減はア・ポワン(ちょうど)で、付け合わせはフリット(フライドポテト)。サラダは、たとえばオンディーブのサラダならクルミ入りのオーロラ・ソースという具合で、すべて定石が決まっている。そのかわり、まあそこそこ美味しい。これが彼らのサービスなのだ。

寿司屋風に言えば、アメリカ人は「お好み」派で、フランスは「おまかせ」派だ。これはちょうど、米英のエンジニアリング会社がコスト・プラス・フィー(実費償還)契約のプロジェクトを好み、仏伊のエンジ会社がランプ・サム(一括請負)契約をうまく料理する傾向に、ちょうど合致する。でも、フランスのビストロの客が、定石をわざとはずした要望を口に出せば、もちろん彼らは顧客の意志に従う。すべての顧客は好みも意志も持っている。それが西洋人の前提なのだ。

ひるがえって、JALはどうだろう。あの会社は、“黙って、最上の物(と自分が信じるもの)を提供する”ことがサービスだと心得ているらしい。プロダクト・アウト--極端に言えば、一種の一方通行である。そして、私たち日本の企業はどうだろう。「おまかせ」での仕事を好む“寡黙な大工さん”が身上ではないだろうか。だとしたら、いつの間にかJALが競争力を失っていった轍を、私たちも踏んでいないだろうか。

そして、自分が現在かかわっているプロジェクトの仕事を思い出してみる。中東で大規模プラントを計画中の顧客連合に対する、Project Management Serviceという契約形態だ。顧客の側に立って、悩みや要望の全体を想像し、それを具現化することが求められている。にもかかわらず、つねに無意識のうちに、「そんな要求を聞いたら後が大変だ」「そんな短納期でできる訳がない」「この構成の方が良いに決まっている」という大工さん根性が顔を出す。

製造業の会社だって、この話に無縁ではあるまい。昨今の製造業は製造部門の子会社化や海外生産が進み、自分では製造現場を持たなくなっている。“ものづくり企業”を自認しつつ、実態はどんどんサービス業化しつつあるのだ(いまや業種分類など、企業の「本籍地」を示しているにすぎない)。そんな風にサービス業に近づいた企業が顧客に届けるバリューとは、自社の優れた製品や技術を提供することだろうか、それとも顧客の声や意志を聞くことなのだろうか。

中東からの帰りの機内では、映画「ハゲタカ」を見た。映画作品としての水準はともあれ、“日本企業にはまだ技術がある”という信念ないし思い込みを、皆が繰り返していたのがひどく印象に残っている。たしかに、ある特定の数字を極めることにかけては、日本企業の技術者達はみな優秀だし、懸命だ。だが、その数字(尺度)を、顧客の要望の全体系の中で位置づけて吟味し、何を捨て何を活かすかを考えて実践することこそ、技術ではないのか。そこには想像力(構想力)と、「賭け」が必要なはずである。--などと偉そうなことを、雲の上で考えてみたのだった。
by Tomoichi_Sato | 2010-02-27 18:27 | ビジネス | Comments(2)
Commented by ウッディ at 2010-08-03 15:52 x
近距離路線では JALだけでなく他の航空会社も 食事のチョイスはありませんよ。例えば成田―ソウル間において韓国のエアラインでは韓国料理を提供しています。日本の航空会社だから和食を出しているのではないでしょうか。筆者様こそ、思い込みの「頭の外」に出られて、なぜそうなのかを考えても良いかもしれませんね。
Commented by Tomoichi_Sato at 2010-08-04 00:20
近距離路線であってなくても、顧客にチョイスを提供するかどうかはその会社の判断です。自分の記憶では、パリ→フランクフルトや、ジェッダ→ドーハ間でも食事の選択はあったと思います。べつに近距離路線は1メニューにすべきだという企業間の合意があるのではないと思いますが。
<< 書評 「ダメな会社ほど社員をコ... 「わかる」ことと「知る」こと >>