読者諸賢! これがマネージャーの仕事だ

1月。誰もがおめでたい正月気分の残る中、マネージャーは多忙な仕事を始める。会社を出て、新年の得意先回りに出かけるのだ。本年もよろしくお願いします。昨年はお世話になり、とくに某の件ではいろいろご迷惑もおかけしましたが、今年は気を引き締めて進めますので、是非またよろしくお願いいたします。営業部員も同行するが、品質トラブルで嫌みを言われるのは技術屋の方だ。いずれにせよこの不況の中、一社でも顧客を逃したら今期の目標達成はあり得ない。もっとも訪問先の2人に1人は、業界の新年会に出かけていて不在だが。それでも名刺を置いてくるのが大事な仕事だ。

2月。昨年から続いていた仕事が製作段階に入って火を吹いた。基本設計にミスがあったのだ。誰が設計書をチェックしたんだ! と叫びたい声をぐっと飲み込む。後ろ向きのことを言っても仕方がない。部下の責任はいずれ自分の責任だ。とにかく人を追加する算段を考えなければならない。といっても人材は慢性的に不足している。別のジョブから引きはがして入れるしかあるまい。そうなるとあちらの納期に影響するが、その時は客先に頭を下げにいくしかないだろうな。

3月。年度決算の締めである。なんとか今期の数字は達成しないと自分のキャリアが危ない。下請けに繰り返し催促の電話を入れて、必要な機材をそろえる必要がある。とにかく31日の深夜12時までに出荷すれば売上は立つのだ。いざとなったら、出荷所の時計を11時55分に止めてでも、今期中の納品を達成したい。事業部内も大忙しなのに、加えて、今期の部下の人事評定をしなければならない。面談する暇さえないというのに。それより自分の評価が心配なのだが。

4月。新入社員が入ってくる。自分の部署にも久しぶりに配属がある。さて、ところで何をどう教育したものか。とにかく仕事の中身が5年前10年前とはすっかり変わっているのだ。今や仕事の大半は外注管理だ。しかし技術を知らないと上手な管理はできない。やはり一から設計を教えないとダメだろうな。とはいえ、その教育資料も作成しなくては。

5月。連休明けからようやくエンジンがフル回転しはじめる。去年の連休はシステム移行のトラブルで半分以上は出社だったが、今年は休めて良かった。ただし新規受注がさっぱりだ。展示会に力を入れて顧客を呼び込むしかあるまい。

6月。株主総会に続く組織改定の人事が気になる。でも自分の足下ではジョブの納期遅延が発生しそうだ。やはり2月に人を抜いたのがきいたらしい。おまけに海外の外注工程のトラブルで、納入されても使い物にならない。至急作り直させるか、あるいはこちらで引き取って改造するか。検討の結果引き取ることにしたが、また人を追加投入することになる。それでも足りずに、自分でも久しぶりに詳細設計書を書くハメになった。おお、でもまだ腕前は衰えていないな。

7月。トラブル解決に大勢の部下を投入したおかげで、新規受注活動に手が回らなくなった。このままでは上期の受注高を確保できない。仕方なく、自分が営業活動を手伝うことになる。しかし、そうなると外出や出張が増えて、ますます受注ジョブの遂行管理が手薄になるのだが、電子メールでなんとか報告を出させてしのぐしかない。

8月。・・・いや、もうよそう。この調子で1年書いてみても、たぶん同じパターンの繰り返しになる。トラブルの火消し→人の投入→新規活動の停滞→四半期毎の管理事務→チェックの手薄化→トラブルの発生、というダウン・スパイラルの繰り返しだ。マネージャー本人は、必死で働いている。たぶん、残業代のつく部下よりも、時間的にはずっと働いているかもしれない。ということは、マネージャーの時間単価は、じつは実務担当者よりもずっと安いのだろう。

だが、このマネージャーはマネジメントなど何もしていないことに注意してほしい。マネジメントとは何か? それは人を動かして目標を達成することだ。字義通り読めば、たしかに部下を動かして受注した仕事をこなしているから、マネジメントしていると言えるように思える。しかし、マネジメントの仕事とは、先読みと組織化とリスクテークにあるのだ。このマネージャーは、いつ仕事の、技術の、あるいは業界の先読みをしただろうか。ひたすら外的事象に追われて、それに対応していただけではないのか?

マネジメントの仕事とは、変化する内部外部の環境に応じて、能動的に、自分と部下達の目標を作ったり、仕事のやり方を変えたりすることにある。それはちょうど、動物におけるの機能のようなものだ。自分から動いて、食物を探してとったり、外敵を避けたり、より良い環境を目指して移動したりする。その推測や判断や指示をするために脳はある。受動的に環境に適応するだけなら植物と同じだ。植物には脳はいらない。だから外的事象に対応するだけなら、植物的マネージャーだということになる。草食系ですらない。

「トラブルの火消し→人の投入→」にはじまるダウン・スパイラルのかわりに、マネージャーが作るべきサイクルはどのようなものか。それは、「環境変化の先読み→仮説を立てて計画→受注ジョブは無事に進行→人を新規活動に投入できる→新しい仕事が増える→人が増やせる→自分が火消しに飛び回らずに済むので考える時間ができる→環境変化の先読み」・・・という上昇のスパイラルである。

むろん、上述のマネージャー氏にだって、同情すべき点が無いわけではない。人をぎりぎりまで減らされているのも、やたら外注せざるを得ないのも、海外サプライヤーをつかうのも、自分が決めたと言うより「コストダウン第一優先」の会社方針がさせた事なのだろう。これは近年の日本の製造業では広く見られる現象だ。

それでも、このマネージャーは「自分はマネジメントしている」ときっと信じているだろう。なぜか? だって、名刺にマネージャーだとか課長だとか、そう肩書きがあるじゃないか。中間管理職の仕事がマネジメントでないとすれば、いったい誰がマネジメントしているのか? 部長だって、事業部長だって、火消しと定期的管理事務と営業支援活動が仕事の殆どじゃないのか。いや、常務だって、社長だって、どこが違うというのだ。

そう。だとすれば、そもそもその会社にはマネジメントは存在していないのである。マネジメントが存在しなくても、会社はいちおう(しばらくは)存続していける。それが機能部門から成り立つ組織というものなのだ。「しばらく」というのは、つまり、外部環境に変化がない間は、という意味だ。あるいは、変化があったとしても、それまでの蓄積があれば、累積損失が資産総額を上回らない間は、という意味である。なんだか業績が思わしくない、と思ってふたを開けてみたら、もう債務超過でした、という大企業の例を私たちはつい最近も見ている。その会社の人たちが働いてなかった、などという事はけっしてあり得ない。みな必死で働いていたのだ。だが、マネジメントが存在しない組織では、どんなに働いても、それはみな経済のエントロピーの中に消えていってしまうのである。
by Tomoichi_Sato | 2010-01-26 03:38 | ビジネス | Comments(0)
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