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時間の中に生きる

久しぶりに、自著『時間管理術』を読み直してみた。古い友人から、「偶然手に取ってみたら案外面白かった」とメールをもらったからだ。そして、おかしなことだが、自分でも案外面白かった(笑)。この本を書いてから3年経つが、中心となるアイデアや技法は無論すべて覚えているものの、ストーリーづくりや話法はけっこう忘れていたからだ。まあ、本の著者なんて案外こんなものである。

自分が読んだら面白いだろうなと感じるような本を書きたい、といつも思っている。共著・編著を含めたら1ダース以上の本を出してきたが、うまく書けたかどうかは、時間をおいて読み直してみるとよく分かる。時間をはさむと、自分はいつも少しだけ他人になるからだ。

私たちは忘れる能力を持っている。嫌なことも、良いことも忘れていく。もちろん、私たちは記憶し続ける能力だって持ち合わせている。それがあるから、一人の人格として継続性を持ちうるのだ。もし一晩寝て起きるたびに、直近の過去のことを一切忘れていたら、私たちはアイデンティティ=自分が誰であるか、を持ち得ないだろう。そんなSFじみた世界では誰も、魂の不滅、なんて宗教的な問題は考えるまい。自分が誰なのか、考える手がかりもないのだから。記憶の連続性こそ私たちの自我の骨格を形作っている。まれに脳の損傷などで長期記憶をもてない人が医学的記録に出てくるが、こうした人も、若い頃の記憶だけは保っていて、だから人格として成立しているのである。

しかし、すべての出来事をずっと記憶し続ける能力があったら、どうなるか。便利だと思う反面、つらい体験や恥ずかしい失敗もすべてリアルに覚え続けているのは、かなり苦痛だろう。なにより、すべての過去が強弱なく同等にならんでいる心的世界では、個性や特徴も生まれてこないにちがいない。記憶の濃淡やめりはりがあって、はじめて意見や好みも出来上がるのである。記憶の濃淡とはつまり、大事なことを覚え、大事でないことは適度に忘れることを意味する。適度な記憶の連続性と、適度に忘れる能力。こうして私たちは自分をとりまく世界に構造や意味を与え、適応していく柔軟性を獲得するのだ。

『時間管理術』のエピローグでは、自分のキャリア・パスのスケジューリングについて悩む若い質問者を登場させた。仕事を続けてキャリアを磨きたい。しかし留学してもっと勉強もしてみたい。留学がキャリアの断絶を意味するなら、早いうちが良いのかもっと後が良いのか、という問いかけである。女性ならばさらに、出産や介護といった事象もキャリアの蓄積に対するリスクとなりうる(この部分の記述は、日経文庫の編集者が慎重を期して、周囲の女性に問題ないかどうかレビューをしてもらった)。

これに対して、タイム・マネジメントの解説役であるY氏(主人公S君の叔父で、引退したコンサルタント)は、こう答える。「それを決めるためには、仕事の面から見た人生の目標と、自分に与えられた時間や境遇の制約を考えなくてはなりません」--これは無論、タイム・マネジメントの一般的な方程式である。その“与えられた時間”をイメージするために、彼は『人生時計』を紹介する。

『人生時計』というのは、0歳の誕生が朝6時に相当し、10歳が朝の8時、20歳が午前10時という風に、10年を2時間刻みで換算した時計である。45歳が、人生の午後3時を示し、90歳で、深夜零時にいたる。1年が12分、1月が1分、12時間でほぼ1秒に相当する。今、自分の年齢が何時何分にあたるかを考え、引退までの時間の長さと、キャリア・パスを考えてみるのである。何十年もの時間を想像するのはむずかしいが、時計の文字盤ならばイメージがわく。そして1、2年のキャリア中断は、10分か20分ほど席を外す程度にしか相当しないのだから、あせらずに大局から計画を立てなさい、とY氏は説明するのである。

この人生時計は一応私の創案だが、似たようなことを考えた人は他にもいると思う。『時間管理術』を読んだ人から、「ギクリとしました」と感想をもらうこともあった。たいてい私たちは、こうした大局観を忘れているからである。なぜ忘れるのか。それは「忘れる能力」のためではない。実は忙しすぎて、考える時間がないからである。仕事も確かに大事だろうが、自分のキャリア・パスを考えることはもっとずっと重要なはずである。それなのに私たちは毎日、“緊急だが重要でないこと”に追われて、“緊急でないが重要なこと”を考えるゆとりをとれなくなっている。

時間管理術の最終的な目的は、考える時間を確保することにある。考えている時間とは、傍から見ると、「何もしていないように見える時間」である。現代社会にビルトインされている様々な“時間どろぼう”(ミヒャエル・エンデの小説「モモ」の登場人物)が、私たちの考える時間を、片端から奪っていってしまうのだ。

私たちは時々立ち止まって、手を休めて、考える必要がある。そういう意味のことを、「静寂の価値」でも、「エントロピーを下げる」でも、「パンのみに生きるにあらず」でも、私は本サイトで折にふれて繰り返してきたように思う。でも、もう一度書こう。私たちには、考える時間が必要なのだ。

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by Tomoichi_Sato | 2010-01-03 23:56 | 時間管理術 | Comments(0)
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